にちゃん 名人。 羽生善治とは (ハブヨシハルとは) [単語記事]

名人戦

にちゃん 名人

いまやCM好感度ナンバー1の呼び声も高い、松岡修造。 彼の行く先々では、なぜか気温が上昇するといった都市伝説も有名ですが、それ以上に熱いのが超ポジティブなエール。 でも、どれだけ気張っても前向きになれない。 そんな人たちの支えとなっているかもしれないのが、4年前に発売された『絶望名人カフカの人生論』。 その名の通り、誰の背中を押すこともない格言の数々を収録。 そしてこの6月にはいくつかのフレーズをもとに『』(飛鳥新社)も刊行され、静かに支持され続けていることがうかがえます。 この好対照な両者の言葉。 人は一体どちらに強く惹かれるのでしょうか。 というわけで、ここからはお互いの名言を直接戦わせてみたいと思います。 題して「修造 VS カフカ 究極のポジネガ5番勝負」。 その人生と言葉を、女性誌でもお馴染みの平松昭子さんがマンガ化したのが『マンガで読む絶望名人カフカの人生論』です。 カフカのネガティブさとヘンテコさは、もう笑ってしまうほど。 たとえば、恋人に毎日手紙を送って、いかに自分が弱くて結婚に不向きかを切々と書く一方で、プロポーズをする。 で、婚約したら重みに耐えかねてソッコーで解消すること3回。 カフカは自分のことを「無能、あらゆる点で、しかも完璧に」と書いています。 ダメ男と付き合っている女性にオススメしたい1冊です。 カフカの言葉は『絶望名人カフカの人生論』(編訳・頭木弘樹)より引用。 <TEXT/比嘉静六>.

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羽生善治とは (ハブヨシハルとは) [単語記事]

にちゃん 名人

いまやCM好感度ナンバー1の呼び声も高い、松岡修造。 彼の行く先々では、なぜか気温が上昇するといった都市伝説も有名ですが、それ以上に熱いのが超ポジティブなエール。 でも、どれだけ気張っても前向きになれない。 そんな人たちの支えとなっているかもしれないのが、4年前に発売された『絶望名人カフカの人生論』。 その名の通り、誰の背中を押すこともない格言の数々を収録。 そしてこの6月にはいくつかのフレーズをもとに『』(飛鳥新社)も刊行され、静かに支持され続けていることがうかがえます。 この好対照な両者の言葉。 人は一体どちらに強く惹かれるのでしょうか。 というわけで、ここからはお互いの名言を直接戦わせてみたいと思います。 題して「修造 VS カフカ 究極のポジネガ5番勝負」。 その人生と言葉を、女性誌でもお馴染みの平松昭子さんがマンガ化したのが『マンガで読む絶望名人カフカの人生論』です。 カフカのネガティブさとヘンテコさは、もう笑ってしまうほど。 たとえば、恋人に毎日手紙を送って、いかに自分が弱くて結婚に不向きかを切々と書く一方で、プロポーズをする。 で、婚約したら重みに耐えかねてソッコーで解消すること3回。 カフカは自分のことを「無能、あらゆる点で、しかも完璧に」と書いています。 ダメ男と付き合っている女性にオススメしたい1冊です。 カフカの言葉は『絶望名人カフカの人生論』(編訳・頭木弘樹)より引用。 <TEXT/比嘉静六>.

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将棋がファム・ファタールだと思ってた藤田麻衣子さん(元女流棋士)が連珠に出会ってA級に入るまで(1)(松本博文)

にちゃん 名人

よろしくお願いします。 プロの定義は簡単ではないですが、たとえば将棋だと、養成機関を優秀な成績で抜けた将棋専業の棋士、女流棋士というプロがいます。 一方で連珠は、皆さんそれぞれの立場があって、競技に参加してるってことですね。 藤田「そう、アスリートに近いかな。 ただ、中国はプロ化してて。 チェスみたいにプロとアマチュアが一緒に棋戦に参加してます。 上海棋院とか、地区ごとの棋院があって、そこに所属の選手がいて対抗戦やったり。 政府が頭脳スポーツを奨励して支援したり企業も協賛したり手厚い環境で。 たまに日本のA級棋士の人が中国に招待されて指導したりすることもあるみたい。 そういう時中国では日本の将棋界みたいにちゃんとした先生として扱ってもらえる。 でも日本では『連珠棋士』って言っても知名度がないじゃない? だから連珠棋士の地位を高めたくて、まずはスポンサーがちょっとでもあるといいなと思ってて、自分が連珠がんばってる理由の一つに、知名度をあげたり、いい成績を残してスポンサーを探したいなっていうのがあります。 対局場の芝公園・紅葉館に囲碁、将棋、そして連珠の名人が集まった様子が川端康成『名人』に書かれています。 碁の名人の対局を将棋と聯珠の名人が観戦する。 新聞社が招いて、名人をそろえたのだ。 高木名人の次に、観戦記者の私が坐っていた。 藤田「西日本新聞が棋戦を主催していたこともあったり。 イベントでも任天堂がスポンサーになったりしてたんだけど。 もう圧倒されただけです。 情報量が多すぎて、なかなか追いつけません。 藤田「連珠の人たち、純粋な公益社団法人なのよ。 『寄付金だけでやってます』みたいな感じで。 すごい楚々としてるから。 私はガツガツしてるわけよ、わりと。 先人はそうした時代のことを切々と書き残しています。 それを思うと、藤井ブームに沸く現代の将棋界は夢みたいな状況かもしれません。 どんな分野でも経済的に恵まれない時代を支えた有名、無名の人たちは素晴らしいと思います。 藤田さんは異例の晩学組なんですよね。 藤田「21歳、大学3年の時に将棋に出会って『これだっ!』って思っちゃって。 大学の最寄り駅まで校舎から全速力で走って。 (将棋会館のある)千駄ヶ谷に行きたいばっかりに。 藤田「親もそれを聞いた時に『なに言ってんだ?』って思ったから、特にツッコミもしなかったんだよ。 それもまた素晴らしいことです。 藤田「強くなるのはけっこう速かったんだよね。 でもプロになってからはすごく低迷して。 職業としての女流棋士は適性がなかったんだよね。 結局一番よかった成績が(2003年度、予選で3連勝して)女流王将戦の本戦入り。 女流1級に昇級できたんだけど、それで終わって。 毎年ほとんど予選で1、2回戦負けっていう成績で、6棋戦か7棋戦ぐらいしかなかったから、年間10局以下で過ごすっていう生活を続けてた。 最初は塾講師のアルバイトして、対局料だけじゃ生活できないからさ。 だけどある日『これをやってても将棋になんにもつながんないな。 すべて将棋関係の仕事で稼ごう』と思って辞めて。 稼ぐっていっても、目標月15万だからね。 それでいろんなバイトをしたんですよ。 たとえば将棋ソフトの苦情受付の電話応対とか。 本の校正とか。 将棋に関わるいろいろなことをやって。 藤田「人のために役立つ仕事とか好きな方だし。 そんなこんなやってるうちに、観戦記とか、原稿を書く仕事とか、お兄さん(松本)に『明日空いてる? 空いてたら順位戦中継して』みたいな。 ずいぶん、カジュアルに頼んできたよね。 『あ、残念ながら空いてるわ』って感じでうっかり中継記者になったりとか。 そういうスキマ仕事をいっぱい積み重ねて。 そうこうするうちに、どうぶつしょうぎをデザインしたり。 でもやってることはバラバラだけど、将棋の魅力を世に知らしめるためという意味では一貫してた。 プロ棋士の一つの使命でしょ、それって。 里見香奈さん(現女流四冠)はトーナメントに打ち込む姿で将棋の魅力を伝える。 一方、底辺の藤田麻衣子さんはあの手この手で、時には(どうぶつしょうぎの)らいおんを描き、時には中継記者として棋譜を入力し、対局室で写真を撮り。 ありとあらゆることをして、将棋の魅力を世に伝えようとしていたわけです。 そしたら私が子どもを産んでる間に、女流棋界が分裂して。 (中略)これさあ、面白いからYouTubeに流そうぜ。 できるだけ文字起こしはしますけど。 で、藤田さんはLPSA(日本女子プロ将棋協会)に所属して。 藤田「まあ成績も毎年ぱっとしない感じだったんだよね。 『連珠世界』(公益社団法人・日本連珠社の機関誌)にも書いたんだけど、引退を決意した対局っていうのがあって。 (2009年11月に)山口恵梨子ちゃん(現女流二段)と対局したんだよね。 で、あっさり負けて。 その時『一日無駄にしたな』って思っちゃったの。 この時間があったら『駒込の(LPSAの)事務所でどんだけの仕事ができたんだろう。 もっとやりたいこといっぱいあったのに』って思ったのね。 将棋を指した日にそんなことを考えたのが初めてだったのよ。 それで『今日をもって私は辞めることを決意しよう』と思ったの。 それが秋ぐらいで。 (年明けの)3月で辞めようと決めた。 将棋って負けが込むと、どんどんわるいイメージが積み重なって、対局すること自体が前向きな気持ちになれなかったりするじゃん。 だけど辞めると決めた後は何も怖くなくなったのね。 『最後だし好きな戦法を指そうかな』みたいな感じでやってたら、最後だけ将棋の調子がよくて。 (2010年1月)LPSA主催のペア将棋選手権で鈴木貴幸さん(アマ強豪)と組んで優勝したんだよ。 中井さん(広恵女流六段)たちに勝って。 それが私の唯一の優勝記録」 2010年、ペア将棋選手権で優勝(撮影:松本博文) 藤田「(2010年3月)最後のけやきカップ(1dayトーナメント)が準優勝だった。 最後にそうやっていい成績で終われたから。 降級点取って去るより(規定では成績下位者に降級点がつけられ、それが積み重なると引退)私としては、すごくいい終わり方だったんだよね。 寡黙な人よりは饒舌な人の方が、インタビュアーとしては助かります。 そういうわけで、将棋のプレイヤーとしては、納得する形で辞めたんですね。 藤田「そうですそうです。 藤田「そうです。 自分が勝負事が向いてないと思いこんでたから、まさかもう一度競技をすることになるとはまったく思ってなくて。 藤田さんはもともと、将棋をやる前は囲碁をやってたんですよね? 藤田「子どもの頃、一番最初にやったボードゲームは囲碁です。 囲碁をやるきっかけになったのは、近所の児童館でやってたオセロ大会で優勝したのね。 父が囲碁やってたから、娘に囲碁をやらせる機会をうかがってたのよ。 オセロ大会で優勝した日に、すごいその気になって『あたし、囲碁もやるー!』みたいな。 でも囲碁は才能がなかった。 毎日、碁会所に行ってたのね。 それで初段ぐらいにしかならなかったのよ。 中部には羽根直樹君(三重県出身、現碁聖)っていう天才がいて。 こっちは大会とかで後ろでおとんが見てて。 『うっとうしいなあ』って思いながら、いやいややってたわけ。 だから全然伸びなかった。 (大学在学中に)将棋をやり始めたきっかけも、囲碁をもう一回やってみたいなと思って。 たまたま一緒にいた友達が将棋しかルール知らなくて。 やってみたら『将棋の方が自分の性格に合ってたわ、あたしが求めていたのは将棋だったんだ!』と思って。 『将棋がファム・ファタール(運命の女性)だ!』と思ってたんですよ! ところがですよ! 将棋よりハマるものがあるとは思わなかったよね、マジで。 『将棋が100パーセント正義』みたいな価値観で十年以上生きてきたわけですよ。 ただし一方で世界には同じように奥深くて面白いゲームがいくつも存在する。 でも将棋をやってる人はついつい『将棋こそキング・オブ・ゲームなり』と思ってしまいがちかもしれませんね。 藤田「連珠に興味を持ったきっかけは、将棋の普及活動をしてるうちに、イベントブースとかで他のボードゲームの人たちとも知り合ってお話を聞くんだけど。 私は囲碁と五目並べって、兄弟のように思ってたのね。 そしたら岡部さん(寛九段)っていう連珠の棋士が『いや違う、連珠は限りなく将棋に近いゲームだ』って言うの。 『えっ、そうだったの?』って思って。 それでまず興味を持ったのね。 藤田「五目並べも、石が5個並ぶまでのスピードを競争するのね。 将棋で『王手』『詰めろ』『一手すき』『ゼット』(絶対に詰まない)とかあるじゃん。 速度計算。 あれがすべて連珠でも同じなんですよ。 将棋の終盤の考え方が全部応用が効く。 『じゃあ連珠って何手ぐらいで終わるの?』って言ったら、だいたい三十手ぐらいだっていうの。 早いと十手で終わることもある。 要するに、3手目ぐらいから終盤なの。 4手目、5手目から『詰めろ』の連続。 序盤は『詰めろ』以外の手をやったら負けちゃうぐらいの、それぐらいシビアな戦い。 である日ふと、『そういえば私、駒組とかあんま興味なかったわ』って気づいたの。 それより駒がぶつかってからの最終盤が楽しかった。 将棋を始めた時も『詰み』って状態が面白くてハマっていった。 藤田「そう! 面白いのは、囲碁の人も連珠を始めるとすごく強いの。 ところがね、棋風が空間型なの。 将棋系の人は連珠でも速度概念がしっかりしててすぐにコツをつかむ。 囲碁の人は、相手に打たれたくないいい場所、どっちが先に好点を押さえるか、みたいな、そういうのが上手い。 囲碁って「地」(じ)の取り合い、領地の争いじゃん。 そういうバックグラウンドの違いで、棋風に違いが出てきたりするんですね。 藤田「する。 牧野さんも連珠が大好きなんですね。 藤田さんと牧野さんは最近、大の仲良しのようですが。 藤田「そうなんです。 なんで牧野さんと仲良くなったかっていうと・・・」 (次回に続く) 連珠で対局する将棋棋士の牧野光則五段(撮影:藤田麻衣子).

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