黄巾賊。 ざっくりとわかる三国志

三国志14攻略プレイ日記その1 黄巾の乱を遊ぶ

黄巾賊

劉備三兄弟、出陣する 劉備 りゅうびは、義兄弟の契りを結んだ 関羽 かんうに 黄巾賊 こうきんぞく討伐の 檄文 げきぶん(=自分の考えを述べて、他者に行動を促す文。 )を書かせました。 これが、劉備最初の君命となりました。 劉備は故郷 涿 たく郡において、すでに人望を集めていました。 また、やりたい放題の黄巾賊に対して憎しみを抱いている者は多く、劉備のもとへは若者がこぞって集うことになりました。 張世平 ちょうせいへいという豪商などは劉備を見るや、その人となりに感銘を受け、馬と大金を融資しました。 張世平は、黄巾賊によって財産は 掠奪 りゃくだつされ、妻も娘も拉致されてしまっていたのです。 劉備たちに、その恨みを晴らして欲しいがための協力でもありました。 これにより、 劉備は200人程度の義勇軍の結成に 漕 こぎ着けたのです。 また、 張飛 ちょうひは重さ90 斤 きん(=54kg)、長さ一丈八尺(=5m超)の 蛇矛 じゃほこ・じゃぼうを、関羽は自分の背丈を超える 青龍偃月刀 せいりゅうえんげつとうを新調し、その生涯を閉じるまで愛用することになるのです。 青龍偃月刀 涿県のある 幽州 ゆうしゅうでは、太守の 劉焉 りゅうえんが黄巾賊討伐のための兵を募っており、劉備はその求めに呼応します。 黄巾賊討伐、そして大漢の再興を決意し、一軍の主として頼もしく旅立つ劉備を、母は涙ながらに見送るのでした。 劉備の初陣 幽州の義兵となった劉備軍は劉焉の配下 鄒靖 すうせいの部隊に編入され、 大興山 たいこうざんに潜んでいた5万の黄巾賊と戦うことになりました。 この頃には、劉備の兵は500人にまで 膨 ふくれ上がっていました。 黄巾賊は農民の反乱でした。 兵士の数こそ膨大でしたが、兵法に 長 たけた武士が率いていたわけではありません。 そこで、まずは張飛が大将をおびき寄せ、その武勇で一刀両断に 蹴散 けちらします。 大将を失い、統率を失った黄巾軍に関羽が特攻を仕掛けます。 前もって敵の後方に回り込んでいた劉備が奇襲をかけて 挟 はさみ撃ちにします。 大興山の黄巾賊は、わずか一日で平定されてしまいました。 三兄弟はその知略と武勇を用い、 初陣 ういじんを勝利で飾ったのです。 英雄曹操との出会い 続いて、 青洲 せいしゅう城を包囲した黄巾賊を掃討する戦いにおいても、劉備軍は伏兵を用いて勝利を収めました。 連戦連勝であった劉備は、かつて涿県で 儒学 じゅがくや兵法を教わったことがある恩師、 中郎将 ちゅうろうしょう 盧植 ろしゅくが 広宗 こうそう 山東 さんとう省 で 張角 ちょうかくの直属部隊と戦い、苦戦しているということを耳にします。 そこで、劉備は盧植のもとに 馳 はせ参じます。 盧植は劉備の才能を愛していました。 劉備が到着すると、盧植は早速、 穎川 えいせん(= 河南 かなん省・ 許昌 きょしょう)で 張角の弟 張宝 ちょうほう・ 張梁 ちょうりょうと戦って苦戦している 朱儁 しゅしゅん将軍と 皇甫嵩 こうほすう将軍の援軍に行くよう劉備に要請します。 ここでも、劉備の知謀が光ります。 劉備は、兵士たちの背中に複数の 松明 たいまつを装着させ、点火します。 そして、大音量の 銅鑼 どらの音を 轟 とどろかせ、さも大軍が押し寄せているように、黄巾賊に錯覚させるのでした。 恐れ 慄 おののいた黄巾軍は戦意を喪失し、陣から出てきません。 そこに松明を投げ込んで一気に火攻めにした後、四散した黄巾賊を三兄弟が挟み撃ちにしたのでした。 この時、劉備たちとは別に、黄巾軍を追撃した部隊がありました。 規律が整い、炎よりも赤い 鎧 よろいに身を包んだ風格のある軍隊でした。 貴公の奇襲作戦に乗じて、我らも黄巾賊を散々に打ち破ることができた。 その部隊の長と思われる人物が、劉備に礼を述べます。 官騎都尉 かんきとい 曹操 そうそう、 字 あざなを 孟徳 もうとく。 曹操の父 曹嵩 そうすうの養父 曹騰 そうとうは、漢の 高祖 こうそ(=初代皇帝。 )となった 曹参 そうしんの子孫でした。 劉邦の血を引く劉備とは深い 因縁 いんねんで結ばれ、いずれ密接に関わることになる英雄の一人でした。 劉備が 凱旋 がいせんすると、朱儁からは 労 ねぎらいの言葉は一つもありませんでした。 張飛よ、我々は褒められるために戦っているのではない。 偏 ひとえに黄巾賊によって 塗炭 とたんの苦しみを強いられている民を救うために、そして 大漢 だいかんに報いるために戦っているのだ。 天は必ず、今日の我々の働きを見てくださっている。 だから落ち込むことはない、盧植先生のもとへ戻ろう。 三兄弟は心を新たにし、軍を引き返して再び盧植のもとに戻るのでした。 西暦 出来事 年齢 劉備 孔明 曹操 孫堅 袁紹 董卓 呂布 前202 劉邦が項羽を滅ぼす。 漢王朝誕生。 前157 景帝が漢の皇帝に即位する。 168 霊帝が漢の皇帝に即位する。 7 13 13 14 30 7 184 黄巾の乱が起こる。 23 3 29 29 30 46 23.

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黃巾之亂

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この記事の目次• 実はとっても重要な「黄巾の乱」 黄巾の乱が始まったのは184年。 この時時代は 漢王朝 かんおうちょう 、しかし既に末期と言っても良い状態でであることからこの王朝の終わりが近付いていることが分かりますね。 既に中枢で政治は腐敗しており、賄賂のために民衆に重い税をかけて私腹を肥やす官僚たちも増えてきていました。 そんな中で世を変えようとしたのか、もっと別の意図があったのか…それは分かりませんが、 張角 ちょうかく という人物が起こした反乱が黄巾の乱と言います。 黄巾、つまり黄色の頭巾を身に付けた人々が起こしたので黄巾の乱と言うのですね。 さてそんな黄巾の乱を鎮圧するべく多くの兵士が集められ、義勇軍が結成されます。 そしてこれこそが三国志の幕開けとも言えるのです。 英傑たちが名前を挙げ、力を付ける 結論から言うと、黄巾の乱は速やかに集められた義勇軍たちにより鎮圧されました。 反乱軍の鎮圧をしたことで参加した武将たちは評価され、昇進したり、役職を与えられたりとしていきます。 この武将たちには 何進 かしん 、 董卓 とうたく 、 王允 おういん といったこの後の三国志の登場人物として名高い人物たちだけではなく、三国志を良く知らなくても名前は知っているという人物であり英傑、 曹操 そうそう 、 劉備 りゅうび 三兄弟、 孫堅 そんけん という三国を鼎立した人物たち、関係した人物たちがいるのです。 つまり黄巾の乱は三国志を代表する人物たちが世に名前を広げる戦いであり、自分の基盤を作るための戦いでもあるのです。 三国志というと 赤壁の戦い せきへきのたたかい や 夷陵の戦い いりょうのたたかい といった華々しい戦いに目が行きがちですが、全ての始まりである黄巾の乱はそれらの戦いの前提とも言える戦いなんですよ。 乱が治まっても世は治まらず さて黄巾の乱はかなり早く鎮圧されました。 しかしだからと言って世が治まったという訳ではありません。 そもそも黄巾の乱が始まった原因とも言える賄賂の横行や政府腐敗などは結局治まることはなく、民衆の苦しみは続きました。 しかも黄巾の乱の残党である黄巾賊は今だ各地に多く、略奪などを繰り返していたので世はどんどん乱れていったのです。 この黄巾賊の残党は暫く鎮圧され続け、そしてその度に幾人もの武将たちが名前を上げていくことになります。 例えば 曹操 そうそう はこの黄巾賊を鎮圧するだけでなく精鋭兵として迎え入れていますし、 曹操 そうそう の親衛隊である武将・ 許チョ きょちょ もこの黄巾賊と戦っていたという逸話が残っています。 三国志演義 さんごくしえんぎ の方では許チョと曹操の出会いが正にこの黄巾賊の残党狩りの中で描かれ、個人的には短いけれどかなりの名シーンなのでぜひ知らない人は見てみて欲しいですね。 曹操の人材ハンターっぷりが窺い知れますよ。 終わりであり、全ての始まりであり、乱れの始まりでもある戦い そして黄巾の乱が静まって次に始まるのは騒乱の時代。 様々な武将たち、有力者たちの争いの時代が幕を開けます。 それは同時に後漢の時代の終焉でもあります。 黄巾の乱では様々な武将たちが名を上げ、力を付けました。 しかし彼らは悪く言えば「忠誠心」で戦っている訳ではなかったのです。 王朝を守るために戦うのではなく、 あくまで自分の力を上げるための手柄を手に入れるための戦い、それが黄巾の乱であったと筆者は思います。 建前として国のため、 漢王朝 かんおうちょう のため、と言うだけであり、その実は自分が覇権を握って天下を手に入れるための通過点になってしまったのが黄巾の乱です。 この後に三国鼎立というそれぞれが王を名乗って争うことになることを考えると、やはり色々な意味でこの黄巾の乱というのはターニングポイントと言える戦いでしょう。 黄巾の乱の終わりは、乱が終わったのではありません。 皮肉にももっと大きな乱が始まる、開始の合図だったのです。

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三国志―黄巾賊・賊徒|夢想大蛇

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pixivision• 2020-07-17 14:00:00• 2020-07-17 13:00:00• 2020-07-16 18:00:00• 2020-07-16 17:00:00• 2020-07-15 18:00:00 人気の記事• 更新された記事• 2020-07-17 18:15:56• 2020-07-17 18:13:25• 2020-07-17 18:13:23• 2020-07-17 18:12:58• 2020-07-17 18:11:55 新しく作成された記事• 2020-07-17 17:45:32• 2020-07-17 17:54:13• 2020-07-17 17:52:52• 2020-07-17 17:55:42• 2020-07-17 17:42:11•

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