今くるよ 画像。 今いくよさん死去 漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で人気

今いくよさん死去 漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で人気

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oricon. 学校を卒業後、一般の企業で働いていましたが、1970年に退職をして今喜多代に弟子入りをします。 デビュー後、すぐに売れることはなく、下積み期間が長いこと続きましたが、1980年に花王名人劇場へのテレビ出演で漫才がウケたことがきっかけとなってメディアへの露出が多くなっていきます。 その後1984年には上方漫才大賞、1988年には花王名人大賞を受賞しました。 いくよさんがボケで、くるよさんがツッコミの漫才で、特徴的な体型やファッションなどをお互いにいじるネタが広く知られていますが、40年以上の付き合いのおかげか、普段はとても仲が良いことで有名です。 後輩芸人の面倒見がとてもいいことでも知られていました。 私生活の面においては、結婚することはありませんでした。 周りの人たちから冗談半分で女芸人は結婚したら面白くなくなるから結婚するなとの忠告を忠実に守りました。 結婚に近づいたこともありましたが、破談になっています。 sponsored link 今いくよのガンの種類 胃がん 今いくよの闘病生活 最初に異変を感じたのは2014年9月のことでした。 食べ物を食べてもなかなか消化されることなく、ずっと胃の中に残っているような感覚になることに疑問を感じて、かかりつけの病院でエコー検査をしたところ、お腹のあたりにしこりがあると言われました。 より詳しく分かる病院で精密検査を受けたところ、進行性の 胃がんという診断を受けました。 いくよさんのお父さんやお兄さんも胃癌にかかって亡くなっているので、その落ち込みを想像するに難くありません。 いくよさんは、手術という選択肢を選ばずに抗がん剤治療を受けることを選択しました。 抗がん剤治療は、吐き気や脱毛などのひどい副作用を伴う場合がよくありますが、いくよさんは必要以上に手が乾燥することがありましたが、それ以外に副作用は現れなかったと言われています。 治療を続けて、2014年の12月に仕事復帰をしました。 癌が少し小さくはなりましたが、完全に治ってはいない状態での復帰でした。 今まで大好きだったたばこを吸うことをやめて、健康にとても気をつかうようになりました。 舞台上では、今までの彼氏よりがんとの付き合いが長くなると思う、などとキレのあるボケをかまして今までと変わらずに仕事をしていました。 sponsored link 今いくよの晩年 復帰後は2015年5月11日まで数多くの舞台をこなしていましたが、5月20日前後に再び入院をして、相方のくるよさんが付きっきりで看病をしました。 亡くなる3日前には、ナースさんから名前を確認されると、「はい、里谷正子です。 28歳」とボケて、くるよさんが「ナイスギャグ」と返しましたが、それが二人の最後のやりとりとなりました。 次の日には、くるよさんの話しかけに応じることができなくなり、危篤状態になりました。 そして、5月28日に胃癌のため、入院先の病院で亡くなりました。 67才という若さでした。 芸人としていくよさんを送り出したいと考えた くるよさんの希望もあって、いくよさんに漫才のときと同様の厚化粧が施されました。 葬儀と告別式のときには、癌の治療のために絶っていた大好きなたばこやビールなどが棺のなかに納められました。 くるよさんは、現在もピンで活動を続けています。 くるよさんとは40年以上の付き合いで、仕事のなかだけの関係ではなく、もしかすると家族以上の深い関係だったことがよく分かります。 sponsored link.

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笑いは文化、世界が舞台 漫才師 今くるよさん(もっと関西) :日本経済新聞

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Sponsored Link どうもです。 太った方のくるよちゃんがツッコミで 痩せている方のいくよちゃんがボケ担当です。 今いくよくるよのプロフィール 今いくよ 本名 : 里谷正子 生年月日 : 1947年12月3日(67歳) 出身地 : 京都府京都市 血液型 : A型 身長 : 158cm 出身高校 : 京都明徳高等学校 趣味 : ゴルフ・スポーツ観戦・ソフトボール 今くるよ 本名 : 酒井スエ子 生年月日 : 1947年6月17日(67歳) 出身地 : 京都府京都市 血液型 : A型 身長 : 160cm 出身高校 : 京都明徳高等学校 趣味 : ゴルフ・読書・食べること となってますね。 このお二人は 高校時代のソフトボール部の同級生で、 いくよちゃんはセンターでキャプテン、 くるよちゃんは初めはキャッチャーをしてましたが、後に マネージャーに転向したそうです。 ソフトボール部に入ってすぐに意気投合して仲良くなったそうですWW 高校卒業後は、二人ともOLをしてましたが 1970年今喜多代さんに弟子入りしたそうです。 1973年にデビューになりますが、 中々売れなくて、大変苦労されたようですね・・・ 苦節10年だという事ですWW 女性同士の漫才というと聞く方も 「ほんとに、面白いの?」って構えてしまって ウケにくいのかもしれないですよねー その時代を乗り越えれたのは、二人の コンビ愛だったようです。 ほんとに、仲がいいんだそうです。 2009年にくるよちゃんが心筋梗塞で倒れた時も いくよちゃんの献身的な看病が話題になってましたWW 今回も2014年にいくよちゃんの胃がんがわかった時も、 くるよちゃんは家族のように付き添い、 一人の仕事もあったそうですが、断っていたようです。 高校生からの付き合いですから、 50年の付き合いになりますよね・・・ 女性同士のコンビは なぜだか仲いい所が多いですが、 (大抵仲良くって、仲悪いんで私が思い出すのはオセロくらいです笑) その中でも、仲の良さはピカイチで 仕事も、決して一人では受けなく常にコンビで仕事だったそうですよ。 代表的な賞は 1981年の 上方お笑い大賞金賞 1982年、 花王名人大賞最優秀新人賞 があります。 Sponsored Link 今いくよくるよの性格は? この二人の性格ですが、 悪い話が一つも出てきません!!! 二人とも、 元気、 優しい、 後輩の面倒見がいい、 みんなに気を使う など、本当に みんなから慕われていたそうです。 毎年3月3日に親睦会と題してよしもとの女芸人を集めた会をしていたようですが 「私らがいたら気を使うやろ!」と言って お金を置いて早いうちに 帰ったりするそうです!!! 自分が女王きどりでみんなを派べらして飲む人もよく聞きますから、 ここだけをとっても、良く気の付く優しい人たちなのがわかりますねー そんな二人なんで、 お互いのことを分かり合えて 仲が良かったんでしょうね・・・・ 仲が良すぎたせいか・・・ お二人とも 独身ですWWW 性格のいいお二人だし、 若い頃はそれなりにお相手もいたんだろうと思いますが 仕事に集中してたんではないでしょうかね・・・ そうこうしているうちに婚期を逃してしまった・・・みたいな?笑 今回の訃報は、 お笑い大好きで、80年代に青春時代を過ごした私にとって とってもショックな事でした。 今は、ただ、くるよちゃんの事が心配ですが 早く元気を取り戻して欲しいです。 そして、心からご冥福をお祈りいたします。

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今いくよ・くるよの出身高校や結婚などプロフィールや性格!

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いま・くるよ 京都市生まれ。 1970年、めおと漫才で知られる故・今喜多代さんに入門。 73年に漫才コンビの今いくよ・くるよを結成し、80年代には漫才ブームの一翼を担った。 84年に上方漫才大賞、86年に上方お笑い大賞を受賞。 躍動感あふれる動きと掛け合いで観客の笑いを誘う。 漫才師の今くるよさんは京都市で生まれ育った。 ベテラン女性芸人の笑いの原点は、高校時代の過酷な部活動での体験。 漫才の相方だった今いくよさんとも、その当時に出会った。 6人きょうだいの末っ子として生まれ、幼いころから活発だった。 近所の友達と日が暮れるまで、かくれんぼや缶蹴りをして遊ぶ毎日。 中学で始めたソフトボールは高校でも続け、同級生のいくよさんとは部活動で仲良くなった。 正月でも休まず練習し、他校に遠征する道中も笑い一つ許されない部。 緊張した雰囲気をぶち壊したいと思っていた3年生の時、いくよさんら2人と監督の目を盗み、遠征先の宿舎で二人羽織を披露した。 監督のものまねもやってみせると、約20人の部員は腹を抱えて笑いころげた。 いつもの切迫感から解放された皆の表情に「私には、これが向いてるんやないやろか」と思うようになった。 10年間の下積みを抜け出す起爆剤となったのが、腹を勢いよくたたいて観客の笑いを誘うギャグ。 スポットライトの当たる場に立てたのは、笑いに厳しい目を持つ関西の人々のおかげだという。 会社の同僚が吉本興業が芸人を募集していると教えてくれたのが、お笑いの道に入るきっかけになった。 いくよさんも誘ってオーディションを受けたが、自分だけ不合格。 2人で担当者のところに押しかけ「なんで私だけ落ちたんや」と直談判した。 「女の子は続かへん」と切り捨てられたが、体育会系の負けん気で「絶対に大丈夫です」と引き下がらず、重いドアをこじ開けた。 漫才コンビの相方、今いくよさん 右 とは高校の同級生だった 同期や後輩がスターの階段を着実に駆け上がっていくなか、鳴かず飛ばずの時期が長く続いた。 転機となったのが80年。 たまたま声がかかった全国放送のテレビ番組で、お腹を「ぱーん」とたたいて見せたところ、公開収録に集まっていた観客は爆笑。 人生が変わる瞬間だった。 関西のお客さんは笑いを見る目が肥えている。 特に厳しいのは大阪人。 舞台が終わった後、「今日のネタはおもろかったな」「観客の笑いが薄かったんとちゃうか」などと声をかけられる。 指先の動きまで気を抜かずにネタを披露しようという気持ちにさせてくれ、舞台に立つたび、自分のお笑いの先生はお客さんだと実感する。 以後、一人で活動するピン芸人として再出発し、17年9月には京都府の文化観光大使を引き受けた。 その目は地元、京都の盛り上げだけでなく、活況が続くインバウンド(訪日外国人)にも向けられている。 コンビ結成45年を迎え、12月には京都にゆかりある芸人を集めた記念イベントを京都市の劇場「よしもと祇園花月」で開く。 誰でも悩みはあるが、笑うと一瞬であっても忘れることができるし、笑うこと自体が健康にもいい。 関西にとって笑いは文化そのもの。 その魅力を京都から発信していきたい。 元気にしたいのは日本人だけではない。 日本語や関西弁が理解できなくても、身ぶり手ぶりを交えて工夫を凝らせば、動きで笑いを体験してもらえる。 顔の前で両手を翻しながら交互に前後させ、「どやさ」と繰り返すギャグなどは覚えてもらえるのではないか。 今はインターネットが普及している。 世界中の誰もが面白いことを発信し、受信もできる。 笑いは関西の輸出品にもなるはず。 人や町を明るく楽しくしていくのが漫才師の最大の役割。 いくよさんと交わした100歳までお笑いを続けようとの約束も忘れていない。 この気持ちは大切に持ち続けたい。 (聞き手は大阪社会部 加藤彰介).

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