二階 なんj。 なぜ“二階” その存在感の理由

【悲報】自民党・二階幹事長が不要不急の勉強会「なあに、うまい物を食って寝ればウイルスには勝てる」

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ネトウヨ「二階がー!」「安倍さんは悪くない!」 この理論が謎だから説明してくれ

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いま、永田町を舞台にした、あらゆる政治劇の陰に見え隠れする人物がいる。 二階俊博、79歳。 巨大与党の運営を一手に取り仕切る、幹事長。 しかし、その力の源泉は、立場だけではない。 歴代の自民党幹事長の中でも異色を放つのが「外交」なのだ。 就任以来、2年足らずで11回。 二階流外交とは何なのか、それを目の当たりにした人物、そして本人を直撃した。 (自民党幹事長番 田尻大湖) 圧倒的な「数」 200、1400、そして3000。 何の数字か、お分かりだろうか。 旅費?土産の数?…いやいや、これは過去に二階氏が率いた訪問団の人数だ。 先月は中国・大連を訪問。 交流会が開かれた大広間は、900人で埋め尽くされた。 過去には、なんと5200人を引き連れて中国を訪問したこともある。 なぜ、それが可能なのか。 まずは各界に呼びかけ、自己負担でツアー参加を募るのだ。 運輸大臣や経済産業大臣を務め、旅行業者の団体トップも20年以上にわたって務めてきただけに、ひとたび声をかけると、観光・運輸業界をはじめ財界や各地の自治体に広がるネットワークが稼働する。 二階氏いわく、これぞ「民間大使」。 定期路線の飛行機ではまかなえず、時にはチャーター便を仕立てることもある。 日中関係を変えた3000人 私は、二階氏の外国訪問にたびたび同行取材してきた。 その中でも記憶に残っているのは、2015年5月の中国訪問だ。 当時、尖閣諸島の国有化などの影響でさまざまな交流が途絶え、日中関係が凍てつく中、二階氏はあえて3000人を連れて北京の人民大会堂で開かれた交流会に参加した。 習近平国家主席はスピーチで、両国の友好協力を進める姿勢を表明し、その後の関係改善の流れが作られることになった。 二階氏の側近で、同行した林幹雄幹事長代理は、この「3000人訪中」が習主席の心をつかんだと分析する。 「やっぱり、インパクトがすごかったと思う。 相手に対するインパクトがね。 3000人とはさすがに習主席も『口だけじゃなくて、ほんとに、やるねえ』と感じたはずだ」 二階氏にも、直接聞いてみた。 「あの時は、中国の領袖(りょうしゅう)にも、日本の政治指導者にとっても、何かきっかけが必要だった。 そういう意味では1つのエポックになっただろうと。 ああいうことを思い切ってやるっちゅうのは、重要なことなんです」 そもそも大規模訪問団には、どんな意味合いがあるのか。 「政府の外交が重要なことは元よりですが、もう一面、国民どうしの交流を展開していかなきゃいけない。 テンポ早く、お互いの国の人たちが仲良くしていくためには、やっぱり人々との交流を、ある程度の量をもって進めることが必要ではないか。 『この指集まれ、一緒にやりましょう』とね」 中国側から見ると… 2010年から駐日大使を務める中国の程永華氏。 二階氏とも親交が深く、両国の関係改善に努力してきた。 「前年の2014年11月に両国首脳が会談し、お互いに『関係改善を』とは言いましたが、何か盛り上がらない、ちょっと沈んだ雰囲気の中でした。 政治家個人でなく、民衆に広く裾野を広げた交流は、中国でも広く伝えられ、よりインパクトが大きい。 今年4月のロシア訪問。 モスクワ郊外にある首相公邸で、メドベージェフ首相と会談した。 双方、硬い雰囲気のまま、やり取りが続いていたその時、突然、二階氏が切り出した。 「ところで、閣下はマグロをご存じか」 マグロ?!ーー。 二階氏の唐突な発言に、同席者たちはあぜんとした。 その場にいた側近、林氏が語る。 「打ち合わせも全然無しに、いきなり始まるんだから、最初は『え?』って感じだったよね。 けど、首相は『マグロはよく知っています。 すしは大好きです』と。 そしたら幹事長が『では、きょうマグロをお届けしましょう』って言い出したわけですよ」 実は訪問団に、すしチェーン店の一行11人が参加していた。 二階氏は、一行がモスクワでのイベントで披露する解体ショーのために持ち込んでいた238キロの「本マグロ」に目を付けたのだ。 首相の反応を見た二階氏は、即座に一行に依頼。 その日のうちに、メドベージェフ首相のもとに「にぎり寿司」と「切り身」を届けた。 会談で林氏は、とっさに首相に畳みかけた。 「本物のマグロは、日本にあります。 首相、ぜひ食べに来てください。 歓迎しますから」と。 すぐさま二階氏が、自民党として首相の日本訪問を要請。 メドベージェフ首相は、笑顔で身を乗り出しながら「真剣に検討します」と応じたという。 「すっかり、マグロ談義で雰囲気はくだけてね。 最後は和気あいあいで、肩を組まんばかり。 印象は抜群だと思う。 最初は硬い感じでも、ゴロッと崩す。 去年12月の中国訪問。 首都・北京を飛び越して、まず福建省に入った。 福建省は、習主席が長らく要職を務め、みずから唱える巨大経済圏構想「一帯一路」の拠点にも位置づけられている。 まず、そこで「一帯一路」に協力を進める提言を発表した上で北京に入り、習主席と会談したのだ。 去年6月の韓国訪問でも、まず入ったのは、南西部のチョルラ南道。 誕生したばかりのムン・ジェイン(文在寅)政権にとって重要な存在であるキム・デジュン(金大中)元大統領ゆかりの地だ。 就任したばかりの知日派、イ・ナギョン(李洛淵)首相が知事を務めた場所でもある。 そこからソウルへ。 ムン大統領と会談し、首脳間のシャトル外交の推進を確認した。 林氏が解説する。 「『ああ、そういう気配りまでしてくれるのか、そういう配慮までしてくれるのか』と、相手も思うはずだよね。 1人が、1972年に日中国交正常化を成し遂げた田中角栄・元総理大臣。 田中派の議員として国会活動をスタートした二階氏にとって、外交の舞台で相手の心をとらえて離さなかったその姿が、みずからの念頭にあると話す。 「田中先生の基本は、常に相手の立場に立って物を考えようという、きわめて単純な、どこにでもある考え方。 しかし、どこの国が相手でも、この国を、この人をつかまえようと狙った場合は、外さないんだ。 そういう粘り、執念、スピード。 刮目(かつもく)すべきところがあった。 そのまた弟子の弟子として、それを見習って実行しようとね」 中国の程永華大使もまた、田中元総理の外交姿勢と共通するものを見るという。 「『信は万事のもと』。 国交正常化のときに、周恩来総理と田中総理の間で交わされた言葉です。 最後はお互いに『信』を大事にしようと。 日中関係がいろいろとあっても一貫して交流を続けるという、二階幹事長にはそのぶれない一線がありますね」 外交は「自分でやれ」 もう1人の先達。 それは、金丸信・元自民党副総裁だ。 金丸元副総裁のある「流儀」を胸に刻んでいるのだと言う。 「政府の援助を受けて国の立場でいくら行っても、それじゃあ制約を受けるでしょ。 小さい動きでもいい。 自分でやれと。 そうしないと、良好な友好関係ってのは築くのは難しいとね。 金丸さんの言われる流儀は大事なことで、今でも箴言(しんげん)だと思うんです」 行き着くところは、愚直 相手に向き合い、言葉に耳を傾け、無二の関係を築いていく、その愚直さ。 実は特殊なテクニックもなければ、定石もなく、ひたむきな対話の積み重ねにこそ源泉はある。 「どんな人間関係でも1回や2回会っただけでは、自信を持って『あの男なら大丈夫だ』と言い切れない。 人の値打ちっちゅうのは、どこの国に生まれようが変わりないんだから。 積み重ねの上に、おのずから道は開けてくる。 一番大事なところは精進だと思うね。 若い人、今の人にも、みんな通ずることですよ」.

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卒論の中間発表で教授に「なんなんこれ、子供のお絵描きみたいなもんよ?」って言われた

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経歴 [ ] 政界入り [ ] 和歌山県議会議員 [ ] 号を取得して卒業後、選出の衆議院議員でを務めたのとなる。 遠藤の死後、和歌山県に戻り、に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。 衆議院議員 [ ] 、から公認(田中派)でに立候補する。 5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。 以後、現在まで連続当選を続けている。 に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて派に属していたためにに近いことから結成には参加しなかったが、その後、ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。 が行われた直後の2月、でに就任。 の竹下派分裂時はに同調し、に参加する。 自民党離党後 [ ] 運輸政務次官 [ ] 、に賛成して自由民主党を離党、小沢らと共に結成に参加した。 総選挙後に発足したで再び運輸政務次官に就任する。 細川内閣での政務次官時代はのを差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。 小沢一郎の側近 [ ] 細川・羽田政権後、にも参加し、「」の・部門と・部門の大臣などを務める。 小沢側近として小沢の党首選出にも尽力した。 、で新設されたから立候補し、自民党()の現職を破り5連続当選を果たす(野田はしたが、後にを適用されて失職した)。 、新進党分党後も小沢側近として結党に参加した。 運輸大臣 [ ] 自由党として樹立に動き、ので兼として初入閣した。 保守党結成 [ ] 4月、自由党の政策が実現されないとして連立解消を主張する小沢ら連立離脱派と袂を分かち、やら連立残留派とともにを結成する。 に参加し、小渕内閣を引き継いだで運輸大臣兼北海道開発長官に留任した。 同年7月、保守党国会対策委員長に就任。 、保守党党首の扇が野田に党首の座を譲ったことから、保守党幹事長に就任した。 、保守党の後継政党であるでも幹事長に就任したが、ので保守新党は代表のが落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。 かくして二階は約10年ぶりに自民党へ復党することになる。 自民党復党後 [ ] 2008年11月10日、にて(手前右)と 自民党総務局長 [ ] 自民党への復党後、旧保守新党の議員らで(二階グループ)を結成して会長に就任。 9月、に任命される。 以後、自民党が下野するまでほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。 5月、の意向により、自民党総務局長を兼任しながらを審議する特別委員会の委員長に就任する。 では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後のによるでは選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。 この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。 またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階が一定の政治的影響力を持つことになった。 経済産業大臣 [ ] 総選挙での功績を買われ、10月に発足したにとして入閣する。 4月7日、「二階イニシアティブ」(、東アジア版OECD、)を提唱した。 同年9月、小泉の自民党総裁任期満了に伴いが総裁に就任し、小沢一郎への対策として自民党国会対策委員長に任命された。 自民党総務会長 [ ] 8月、の一角であるに就任。 その直後、自らが代表を務める和歌山県第三選挙支部の未記載問題が発覚する。 、の総裁選挙立候補を受け、自民党役員会において、期間中の幹事長職務を一任された。 、が総裁に就任し、総務会長に留任することが決まった。 の改造に伴い自民党総務会長を退任し、に経済産業大臣として再任された。 2008年に発足したでも経済産業大臣に再任されている。 自民党選挙対策局長 [ ] 2009年に行われたに出馬した際は、の推薦も受けて9回目の当選を果たし 、同年10月には自民党幹事長の下に新設されたに就任。 自身が会長を務めていた二階グループは総選挙で二階本人を除く衆議院議員が全員落選し、2名と合わせて総勢3名となったことから派閥の維持が困難となった。 このため、に全員が(伊吹派)へ合流し、同日付で二階グループは解消された。 同年12月にで政策秘書が違反でとなったことを受け、自民党選挙対策局長を辞任する。 志帥会会長 [ ] 12月、が衆議院議長への就任に伴い(伊吹派)会長を退任。 後任として二階が同派会長に就任し、志帥会は伊吹派から二階派へと衣替えした。 、下でに就任。 与野党の人脈を駆使し、衆議院において史上最速で予算案を通過させた。 [ ] 9月、発足と同時に行われた党役員人事で党総務会長に再任される。 党四役は派閥を離れるとの慣例により、二階は志帥会(二階派)会長の職を退任し、同派会長は空席とされた(同派の指揮は会長代行のが務める)。 自民党幹事長 [ ] の発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院したの後任としてに就任した。 就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、の中で史上最高齢の就任であった。 8月3日の発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた。 8月3日で幹事長として連続在職日数が1096日に達してを抜き歴代最長になり、さらに続投すれば9月には通算在職日数が最長の田中角栄も超える可能性を記者会見で問われた際は「大先輩に日数が近づいたということは、長く居過ぎたかな」と述べた。 23日に総理としての通算在任日数が戦後最長となった安倍晋三首相の総裁任期を延長させた党則改定と連続3選などを実現して中国との太いパイプを生かした独自の党外交も展開する一方で無所属や野党の議員も派閥に取り込む強引とも映る政治手法は党内でも物議を醸すも 、翌9月の発足と同時に行われた党役員人事でも幹事長に留任した。 政策・主張 [ ] 日中友好活動 [ ] 江沢民碑建立計画 [ ] の有力議員の一人であり、にも所属した。 時代には、地元・のにが自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」のと、自身も参加したの日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講話を刻んだ30周年記念碑の建立を計画し、や全国各地にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元市議らの猛反対に遭ったため頓挫した。 新幹線輸出 [ ] の中国への輸出に関し、訪中時に新幹線担当の国家発展計画委員会主任(大臣)、さらに中国大使に対し、「日本は中国から文化を教わり、その延長線上に今日の日本の繁栄がある。 そのなかから、たまたま新幹線の技術を開発した」「この技術が中国の発展にもしお役にたつならば、どうぞ一つお使いください。 積極的に協力します」と発言した。 当時のはに東シナ海ガス田の試掘許可を下ろしたが、後任として二階が経済産業大臣になると試掘は中止された。 書画展 [ ] NPO法人が運営する日中国会議員書画展へ書画を提供している。 新たな日中友好議連計画 [ ] 7月の後に、自民党元幹事長、元内閣総理大臣らとともに新たなの結成を予定していると報じられた。 同年7月4日、中華人民共和国大使のと大使公邸で懇談し、日中友好に関する協力を求めた。 日中国交正常化35周年に合わせて日本と中華人民共和国が進める「2万人交流」プロジェクトが2007年秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる。 2007年10月12日、その行事記念として交響楽団の日本公演が行われた。 日本ボアオ会 [ ] 2015年11月、を支援する日中友好団体として「日本ボアオ会」を立ち上げ、自ら会長に就任、発起人には前会長のやタレントのらが名を連ねた。 一帯一路 [ ] 2017年5月、の唱えるをテーマにした ()への出席のため、を重視する旨が書かれたのを携え、代表団団長として、会長や 、 らを引率して訪中し、「日本も積極的に協力をする決意をもってうかがってる 」「日本は一帯一路に最大限協力する 」と述べた。 また、同サミット直前に行われたのミサイル発射については「こういう日に北朝鮮の行為は許されるものではない。 強く日本国としても自民党としても抗議する」「日中両国を含む北東アジア地域および国際社会の安全保障に対する明らかな挑発行為だ」「日本は中国と緊密に連携する」と述べた。 ただし、同サミットには北朝鮮の閣僚級も出席しており 、同サミットに代表団を派遣していたアメリカ合衆国政府からも中国に懸念は表明されていた。 同じく中国の主導する(AIIB)についても「参加をどれだけ早い段階で決断するかだ」と発言した。 2017年8月に自民党・公明党との間で行われた第6回日中与党交流協議会では一帯一路への協力を具体的かつ積極的に検討するとする共同提言をまとめた。 2019年4月の第2回一帯一路国際協力サミットフォーラムでは財政の健全性や透明性などを条件に「日本も協力していく」と述べ、持論である国土強靭化も自然災害対策のインフラ整備に必要と演説した。 共創 [ ] 2017年12月での第7回日中与党交流協議会への参加のための訪中でで講演した際に、現代日中関係の基礎であるを共に未来を創る「共創」に格上げすることを提唱した。 また、「大国である中国と、それを追う日本が協力し、時に競争することも必要」とも述べてる。 清華大学名誉教授 [ ] 2017年12月、から名誉教授の称号を授与される。 尖閣諸島 [ ] に関しては棚上げ論者である。 日韓友好活動 [ ] 2月、1400人の訪問団を率いて入りし、解決を迫る大統領に「積極的な努力」を約束した。 2017年にが最高級ホテルで観光を促進のためにジャーナリストと旅行業関係者など約250人の日本人内で招待客の最高位であった。 自民党の序列第2位の幹事長、日本全国旅行業協会会長としての挨拶した際には「(韓国人の)皆さんは、どんどん日本人が平昌オリンピック(のために韓国に)に来なければならないと言いますが、(日本人に)『謝罪せよ』という話をやめるのであれば行きます。 日本人は最近、韓国旅行を恐れています。 お金かけて、時間を費やして(韓国に)行くというのに『謝罪せよ』という言葉を聞かなければならない。 それを(謝罪要求)しないという約束をしてくれるのであれば私も平昌訪問キャンペーンに率先して乗っていきましょう」と述べている。 過去の数々の韓国に対する功績に対して、韓国から最高位の国家勲章「金塔産業勲章」(1等級)を授与されている。 常任幹事も務める。 前ソウル支局長の拘留問題()では、「われわれから新聞社の判断や韓国の司法がどうだとか、言うべきことではない」と発言している。 の見直しについては「軽々しく口にすべきではない」として否定的な立場を示しており、元の国会招致についても反対している。 2019年7月にでが史上最悪 とも評される中で韓日議員連盟会長のが訪日した際は面会を中止して「物乞い外交に来たのではない」と姜昌一を激怒させた。 「金忠善」碑の建立 [ ] のに顕彰碑を建立している。 沙也可はの配下であったが、の際に朝鮮側に寝返り、日本側と戦ったとされる人物である。 に渡韓した際、で開かれた「韓日友好交流行事」でもモデルとして金忠善の例を挙げ、日韓友好を訴えた。 日本における外国人参政権 [ ] 2月11日、で大統領秘書室長と会談し、について「実現に向け、引き続き努力する」と述べた。 靖国神社問題 [ ] 2003年2月11日、青瓦台で大統領秘書室長朴智元と会談し、自身がの国立墓地「」に参拝したことを紹介した上で、に代わる新たな追悼施設について「必要性をあらためて認識した。 実現のために努力したい」と述べた。 その一方で、4月22日には靖国神社に参拝している。 韓国への苦言 [ ] しかし一方では、「世界防災の日」の制定に反対する韓国に対し、「日本が提案しているというだけで反対したがる特殊な国民性がある」と名指しで苦言を呈したこともある。 2017年6月10日には、木浦(モッポ)市であった韓国国会議員らとの会合であいさつし、日韓の関係改善を妨げる動きが両国にあるとの認識を示した上で、「一握りの悪巧みをする連中は撲滅をしていくように。 韓国の中にも一握りだけでもいるかも知れないが、見つけたら撲滅して」と述べた。 国対政治 [ ] 「だんごの会」 [ ] 、時代にを務め、でも国対委員長を務めた。 1999年のでは、自民党国対委員長の、国対委員長のとしばしば懇談し、3人は当時の流行歌『』をもじって「三兄弟」と呼ばれた。 二階はこれを逆手に取り、自由党国対副委員長だった主催の形で、だんごを食べながら国政を語る「だんごの会」を企画した。 「だんごの会」は会期末間近のに開催され、「3兄弟」揃って参加することで結束をアピールした。 成立に3人は大きな役割を果たしたとされ、その後も固いパイプを誇った。 このため二階は党内の重鎮である一方、調整や根回しに優れる数少ない親分肌のという顔も持っている。 郵政国会 [ ] によると、「その人脈と調整力と勝負カンの鋭さと気配りは、衆目の一致するところ」であるという。 同じく馳によると、2005年のでは、の筆頭理事(= )の弱みを利用し、中井の顔を立てる形で採決に協力させた。 北朝鮮への非難決議 [ ] 2006年にを行ったが、二階はあらかじめ6日に「週末に北朝鮮が核実験をもしも行ったら、世界で唯一の被爆国である日本は、強い抗議声明を総意として世界に発信しなければならない。 そのためには、の国会対策責任者がその準備をしておかねばならない。 だからといって危機管理の対応が疎かになってはならん。 いざという時にはであっても集まって、を開く準備をしておこう!! 」と各党の国対委員長のもとに出向き頭を下げて要請していた。 その結果、翌にへの非難決議を全会一致で採択させることができたという。 「人間的な信頼関係」 [ ] によれば、の議員とも「人間的な信頼関係で結ばれている」という。 切り崩し工作 [ ] 、民主党を離党した議員らが改革クラブ(のちの)を旗揚げしたが、以前より二階が切り崩し工作を行ったことが功を奏したとするもある。 二階は「数は力」を政治信条の一つとしており 、民主党政権が下野した2012年以降は民主党などの他党出身者を積極的に自派に引き入れている。 内政 [ ] 経済 [ ] 野党時代の自民党で設立された国土強靱化総合調査会(現・国土強靭化推進本部)の会長を2011年10月の発足当初から務めて民主党政権の掲げた「コンクリートから人へ」に対して「コンクリートが人を守った」と反論 してるように党内でも代表的な論者とされている。 ある政府関係者は、「二階氏はスピードとボリュームのあるで、デフレ脱却を目指している」と評している。 2017年8月に、当選2回の衆院議員29人による「日本の未来を考える勉強会」から消費増税凍結を求める提言書を渡された際は、二階は「どんどん発信してほしい」と歓迎した。 拙速な(プライマリーバランス)の黒字化には、「そもそもの財政規律目標である『債務残高の対国内総生産(GDP)比の改善』の障害だ」として反対の立場を取り、日本経済復活の会の会長は「正論」と評価している。 2019年11月には国土強靱化を推進する党所属議員と経済界との会合において、「財政規律をいくら守っても、命を失ったら何もならん。 公共事業はけしからんと言う方がけしからん」と述べ、公共事業費の増大を警戒するを牽制した。 核シェルター [ ] 他国に比べ整備率の低いの必要性を安全保障面から訴えており 、2017年12月には国土強靭化推進本部で「国民の生命をあらゆる角度から守っていくことが最大の責務」と述べて地下シェルター建設の検討を本格検討した。 選択的夫婦別姓制度 [ ] 選択的制度導入の是非について、2014年の調査で「どちらとも言えない」と回答していた が、2017年の調査ではどちらかと言えば賛成、としている。 グリーンピア南紀 [ ] (和歌山県)の跡地開発をめぐり、所有するに中華人民共和国のリゾート会社「」を紹介したのは、地元政界に強い影響力を持つ二階だと報じられている。 跡地は賃貸後の2015年に無料で業者へ譲渡されるという異例の契約となっており、地元で批判が高まっている。 グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。 その後、資金難を理由に開発計画を先延ばしをしようとしたペーパーカンパニーとも報じられた香港BOAOに対し、那智勝浦町議会はを理由に契約解除を決めた。 だが、違約金などで長引く可能性があり、そもそもこのような会社を紹介し、圧力をかけた二階に対する疑問の声は地元ですら多いという。 香港BOAO側も那智勝浦町長も二階に紹介を受けたと証言しており、自分は関係ないとする二階の態度に疑問がもたれている。 医師のモラル低下説 [ ] 9月22日晩から23日明け方にかけての妊婦の容体が急変し、受け入れ先が見つからなかった事件に関連して、経済産業大臣として、「の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。 忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」という見解を表明した。 原発の津波対策をめぐって [ ] 経済産業大臣在任中の、第七分科会で()からなど43基のにおける対策の不備を指摘され、喪失によるの危険性を警告された。 これについて、日本共産党機関誌は、この時、二階は吉井に対策を約束したが、によれば4年経過した時点で改善はされていなかったと報じた。 その後、2010年2月のの発生を受けて、同年4月13日にの共同発足人になり、同年6月11日には他の自民党議員などと案を国会に共同提出したが、継続審議となり、つるし状態になったが、 東日本大震災での津波により多数の犠牲者が出たことを受けて、方針転換が行われ、2011年6月17日に津波対策推進法が成立した。 詳細については「」を参照 その後、本件に関するウィキペディアの記述が自由民主党のIPアドレスから「民主党の問題」に書き換えられていたことが話題となった。 部落差別問題 [ ] の法規制を検討している。 11月16日、東京のホテルで「人権課題解決に向けた和歌山県集会」と銘打った「人権フォーラム」が開かれた。 約400人が参加した。 実行委員長として挨拶に立った二階は、法規制について「、就職問題で現に苦しんでおられる人が存在するのであればもう済んだ、終わったとか無責任な言葉で解決できる問題ではないと思っている」と話した。 の成立後、衆院議員や自民党和歌山県議らを引き連れ、数十年にわたり親しくしてきた間柄であり長年にわたり同法の必要性を訴えてきた故・中澤敏浩和歌山県連合会元執行委員長の自宅を訪れ、同氏の仏壇に手を合わせ同法の成立を報告した。 日本体育大学大学名誉博士 [ ] 2018年4月、から名誉博士の称号を授与される。 捕鯨問題 [ ] 自民党本部での料理を提供することを発案 するなどの推進派であり、2018年12月26日に30年ぶりの本格的な解禁を日本政府は決定し、異例の国際機関脱退である(IWC)からの脱退も発表した際は「近代捕鯨発祥の地」と「古式捕鯨発祥の地」を地盤に持つ安倍首相と二階の意向が働いたとされ 、太地町では二階を「神様」と称える動きもあった。 政治資金 [ ]• を資金源とする(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。 (道建協)の会員企業である奥村組土木興業など3,4社から合計168万円の献金を受け取ったことが2004年-2006年のからわかっている。 自らが代表を務める「支部」が、からにかけて、事件やの設計ミスなどのを起こし営業停止もしくは指名停止を受けた3つの企業から、問題発覚後に、合計で253万円に亘る寄付を受けていたことが判明している。 不祥事 [ ] 西松建設事件 [ ] で準大手ゼネコンのから、同社のOBらを代表とした政治団体(「新政治問題研究会」「未来産業研究会」)を隠れ蓑に多額の政治献金を受けていた1人だったことが、2008年12月末に表面化した。 この疑惑に関連して西松建設関係者や小沢一郎の公設第1秘書が違反容疑でされた後、二階にも同様の行為をおこなっている疑いがかかり、が二階の関連政治団体をする方針を固めたことが報じられた。 これに対し、二階は「調査を受けるいわれはない」「違法性はない」と反発している。 しかし、2009年6月ので前西松建設社長が起訴相当、二階の政策秘書が不起訴不当となったことを受け、前西松建設社長が二階ルートでもされ有罪を受けた。 政策秘書は再度となったが、西松建設の別ルートの資金提供問題に関して2009年12月に政策秘書が虚偽記載でされ、100万円の判決が下された。 批判を受けた発言 [ ] 「台風被害まずまずでおさまった」 [ ] 2019年10月13日、(台風19号)による自民党の被害対策役員会の冒頭挨拶で「色々言われていたことから比べると、まずまずで収まった」と発言。 、、が決壊、または氾濫し、多数の死傷者、行方不明者、避難者、断水・停電被災者が出ている中のこのような発言は批判を受け、釈明に追われた。 当初、発言を撤回するつもりはなかったが与野党内外から批判を受け、15日に事実上発言を撤回した。 「人との接触8割減はできるわけがない」 [ ] の感染拡大による、東京などの7都府県にが発出され、安倍首相や小池都知事から「感染拡大防止のため、人との接触を8割は減らす」ことを国民に要請する会見がなされたにも関わらず、与党幹事長として「8割減らすなんてできるわけがない」と、首相の要請を真っ向否定する発言をぶら下がり取材に対して行い、批判を受けた。 人物 [ ]• のと親交がある。 二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも芸能関係者に交じり祝福のスピーチを行った。 には、二階を団長とするなどを中心とした訪中団にみのも招かれていた。 両者の関係は、で「」を興したみのの父親が二階が秘書を務めていた東海地方選出国会議員の後援者だった縁によるもので、20年来の懇意な間柄であり、の著書『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』にもみのが推薦文を寄せている。 野球選手のとは40年以上にわたり親交があり旧知の仲である。 好物はとである。 2014年に自民党が所有するIPアドレスの『210. 226. 11』で、ウィキペディアのの記事にあった「どのような対策を行ったのかは定かではない。 その5年後、2011年に福島第一原子力発電所事故が発生した」という原発対策の記述を、「2010年6月、自民党は津波対策法を国会に提出するが、民主党の無関心から審議に入らないまま、2011年に福島第一原子力発電所事故が発生。 震災後与野党が合意し、法案が成立。 二階が中心的役割を果たした」に書き換え、民主党のを行ったことが報道された。 他にも、同IPアドレスで、自民党のの記述には「ワイン好き」、民主党のの記事には「電機労連の支持を背景に」と追記している。 家族・親族 [ ] 二階家(和歌山県御坊市)• - 父で政治家。 1900年(33年)生まれ。 和歌山県(現:久木)出身。 記者、和歌山県議会議員、村長、御坊造船社長を務めた。 俊樹 - 長男で秘書。 2016年5月の長選挙に出たが、大差で落選した。 怜子 - 妻、2018年12月26日死去(満77歳没)。 所属団体・議員連盟 [ ]• (常任幹事)• (副会長)• (会長)• (会長)• 小規模企業税制確立議員連盟• 自転車活用推進議員連盟(会長代行)• 自由民主党津波対策議員連盟(会長)• (会長)• (会長)• (元会長)• (会長) 脚注 [ ] []• 日刊建設工業新聞. 2016年8月31日. 日本経済新聞. 2018年8月28日. 『現代アジア事典』上原秀樹,川上高司,谷口洋志,辻忠博,堀井弘一郎,松金公正編 監修 文眞堂 2009 37頁• 週刊現代• (2016年8月3日、日本経済新聞)• (2017年8月3日、日本経済新聞)• 2019年8月3日. 2019年9月6日閲覧。 時事通信. 2019年8月5日. 2019年9月5日閲覧。 時事通信. 2019年8月23日. 2019年9月5日閲覧。 日本経済新聞. 2019年7月31日. 2019年8月18日閲覧。 2019年8月30日. 2019年9月5日閲覧。 2019年9月11日. 2019年9月11日閲覧。 「二階俊博の「江沢民碑 全国建立計画」白紙へ」国民新聞 平成15年3月• 『毎日新聞』2007年7月5日 東京朝刊• テレ朝NEWS. 2015年11月13日. 2017年10月24日閲覧。 2017年5月14日. 2017年5月14日閲覧。 2017年5月13日. 2017年5月14日閲覧。 2017年5月13日. 2017年5月14日閲覧。 2017年4月29日. 2017年4月30日閲覧。 2017年5月14日. 2017年5月14日閲覧。 2017年5月13日. 2017年5月14日閲覧。 2017年5月14日. 2017年5月14日閲覧。 産経新聞社. 2017年5月16日. 2017年6月3日閲覧。 毎日新聞社. 2017年8月10日. 2017年8月11日閲覧。 日経新聞社. 2019年4月26日. 2019年4月26日閲覧。 2017年12月28日. 2017年12月29日閲覧。 2017年12月27日. 2017年12月29日閲覧。 時事ドットコムニュース• 1400人訪韓団率いた二階総務会長、慰安婦問題解決を迫る朴大統領に「積極的な努力」を約束・・韓国ネットは「この際、独島も」「ご存命中に強い圧力を加えて…」(2015年2月14日、)• [今日と明日]外交儀典は「国内」向けではない• 【本紙前ソウル支局長起訴】「大人の対応ができるように努力を」自民・二階総務会長(2014年10月9日、産経ニュース)• 二階氏、見直し「軽々と発言すべきでない」 消費税引き上げ「約束通り」に 産経ニュース 2014年9月10日23:50• 文春オンライン. 文藝春秋社 2019年8月6日. 2019年9月5日閲覧。 2019年8月1日. 2019年9月5日閲覧。 デジタル. 2015年10月27日. 訪韓中の二階氏「悪巧みする連中、見つけたら撲滅して」(2017年6月11日閲覧)• 「」(二階のサイトより)• 記事中では名指ししていないが、この時点で「民主党の筆頭理事」に該当するのは中井しかいない。 朝日新聞. 2019年1月31日. 2020年2月2日閲覧。 産経新聞. 2020年1月16日. 2020年2月2日閲覧。 自民党. 2019年3月18日閲覧。 2016年8月3日. 2018年3月1日閲覧。 2017年8月15日. 2018年3月1日閲覧。 日本経済復活の会 2015年2月19日. 2018年3月1日閲覧。 朝日新聞. 2019年11月13日. 2020年2月2日閲覧。 『二階氏、地下シェルター整備訴え 北朝鮮ミサイル』朝日新聞2017年7月29日• 2017年12月11日. 2019年4月7日閲覧。 朝日新聞 2007年4月14日• 、2011年4月9日• 毎日新聞のニュース・情報サイト. 2016年1月15日. 2016年5月10日閲覧。 16年12月12日 18時58分• nikkansports. com(2018年4月3日)• 経済界. 2014年9月29日. 2018年12月30日閲覧。 2018年12月26日. 2018年12月30日閲覧。 2018年12月26日. 2018年12月30日閲覧。 2018年12月27日. 2018年12月30日閲覧。 しんぶん 赤旗2008年5月12日• 2008年10月5日• しんぶん赤旗 2008年12月21日(2009年3月12日閲覧)• MSN産経ニュース 2009年3月6日• MSN産経ニュース 2009年3月6日• アサヒコム• みのもんた 談合と政治家『』2008年6月21日号• 事務所. 2017年4月20日. 2019年10月15日閲覧。 (2016年6月24日)• 2014年8月28日. 2019年5月16日閲覧。 引用エラー: 無効な タグです。 「 nikai02」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません• 2018年12月29日. 2019年1月1日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• (公式サイト) 公職 先代: 第6代:2005年 - 2006年 第9・10代:2008年 - 2009年 次代: 先代: 第75・76代:1999年 - 2000年 次代: 先代: 第69・70代:1999年 - 2000年 次代: 議会 先代: 2013年 - 2014年 次代: 先代: 1997年 - 1998年 次代: 党職 先代: 第48代:2016年 - 次代: 現職 先代: 第46代:2007年 - 2008年 第53代:2014年 - 2016年 次代: 先代: 第48代:2006年 - 2007年 次代: 先代: 第5代:2012年 - 2014年 次代: (代行) 先代: 結成 初代:2003年 - 2009年 次代: へ合流 先代: 結成 初代:2002年 - 2003年 次代: へ合流 先代: 第2代:2001年 - 2002年 次代: へ 先代: 第2代:2001年 - 2002年 次代: へ 先代: 結成 初代:1998年 - 1999年 次代:.

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