大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 意味。 まだふみもみず

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 意味

【現代語訳】 大江山を越え、生野を通る丹後までの道は遠すぎて、母がいる天の橋立にもまだ行ったことはないですし、母からの手紙もまだ見ていません。 【解説】 「大江山」は、京都西京区大枝(おおえ)にある山で大枝山、もしくは、酒天童子で有名な丹波の大江山かも知れないと言われています。 「いく野」は行くと生野をかけています。 「遠ければ」は、遠いのでという意味です。 「まだふみも見ず」は、踏みと手紙の文(ふみ)をかけていて、まだ手紙を見ていないという意味です。 代作疑惑をかけられたことに対して皮肉った歌です。 小式部内侍とは、どんな人物?? 平安時代の女流歌人。 父は橘道貞(たちばなのみちさだ)、母は和泉式部。 母と一緒に一条天皇の中宮・彰子に仕えていました。 その母と区別するために、「小式部」という女房名で呼ばれるようになりました。 28歳くらいの時に、藤原公成の子供を出産後、亡くなっています。 まとめ! 上の句 大江山 いく野の道の遠ければ 下の句 まだふみもみず 天の橋立 歌人 小式部内侍 決まり字 おおえ 決まり字数 3 収載和歌集 金葉和歌集.

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51番~60番|子供と愉しむ百人一首:百人一首の意味を知ろう

大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 意味

009] 小倉山荘では、2000年~2002年にかけて、『ちょっと差がつく百人一首講座』と題したメールマガジンを発行しておりました。 『小倉百人一首』の中から毎回一首ずつ、100回完結の形式で発行いたし、たくさんの方々に愛読いただいておりました。 この度愛読者様からのご要望にお答えし、バックナンバーを作成いたしましたのでおせんべいを召し上がりながらゆったりくつろいでご覧ください。 尚、マガジンの記載内容につきましては発行時点(2000年~2002年)のものであること、お問い合せ等にはお答えできかねますことを重ねてご了承くださいませ。 鬼退治で有名な丹後の大江山とは別。 大枝山とも書く。 【いく野の道】 生野は、丹波国天田郡(現在の京都府福知山市字生野)にある地名で、丹後へ行くには生野の里を通りました。 この「いく野」には「野を行く」の「行く」を掛けています。 【遠ければ】 遠いので、という意味です。 形容詞「遠し」の已然形に、確定の助詞「ば」を付けています。 【まだふみも見ず】 「ふみ」に「踏み」と「文(ふみ)」つまり手紙を掛けた掛詞(かけことば)です。 行ったこともないし、母からの手紙もまだ見てはいない、ということを重ねて表しています。 さらに、「踏み」は「橋」の縁語でもあります。 小式部内侍の華麗なテクニックが伺えるでしょう。 【天の橋立】 丹後国与謝郡(現在の京都府宮津市)にある名勝で、日本三景のひとつです。 当時、小式部内侍は年少ながら非常に歌が上手いと評判でした。 しかし、あまりに上手なので、母の和泉式部が代作しているのではないかと噂が出るほどでした。 ある日小式部内侍は歌合(歌を詠み合う会)に招かれますが、その頃、母の和泉式部は夫とともに丹後国に赴いており不在でした。 そこで、同じ歌合に招かれていた藤原定頼が、意地悪にも「歌は如何せさせ給ふ。 丹後へ人は遣しけむや。 使、未だまうで来ずや」と尋ねました。 つまり「歌会で詠む歌はどうするんです? お母様のいらっしゃる丹後の国へは使いは出されましたか? まだ、使いは帰って来ないのですか」と、代作疑惑のことを皮肉ったのです。 そこで、小式部内侍が即興で歌ったのがこの歌です。 「大江山へ行く野の道(生野の道)は遠いので、まだ行ったことはありませんわ(手紙なんて見たこともありませんわ)。 天の橋立なんて」。 生野と行くと掛け、さらに「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けた華麗な歌。 これを即興で詠むことで、小式部内侍は、これまでの歌が全部自分の才能の賜であり、噂はデタラメであることをずばりと証明してみせたのです。 定頼はさだめし驚いたことでしょう。 今で言うなら、部長のセクハラ発言を、ずばり自分の才知で切り返してしまった新入女子社員といったところでしょうか。 このエピソードは非常に有名になり、後の多くの物語や研究書にも引用されました。 内侍が若くして逝去したことが惜しまれます。 この歌で詠まれた「天の橋立」は、日本三景のひとつに数えられる名勝です。 現在の京都府宮津市の宮津湾にあり、3. 3キロにも及ぶ細長い松林が、湾を塞いで伸びています。 この姿から、イザナギノミコトが天にかけた梯子が倒れたとの伝説を生み、平安期から幾多の文人達が訪れました。 天橋立を望む笠松公園は、両足を広げて股の間から覗く「股のぞき」の場所として有名です。 訪れる場合は、JR山陰線を乗り継ぎ、宮津線天橋立駅で下車します。

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【百人一首 60番】大江山…歌の現代語訳と解説!小式部内侍はどんな人物なのか|百人一首解説サイト

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ふじわらのさだより が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。 大江山を越え、生野を通って行く道のりが遠いので、母の和泉式部がいる天橋立へ行ったことはまだありませんし、母からの手紙をまだ見ておりません。 音が同じことを利用して、二つの意味を表すこと。 「いくの」が「行く」と「生野」を掛け、「ふみ」が「踏み」と「文(手紙)」を掛けます。 終止形のところが切れ目となる場合が多いです。 和歌を体言(名詞)でしめくくることを体言止めと言います。 「天橋立」という体言(名詞)でしめくくられています。 それぞれの意味は文脈によって判断します。 「遠ければ」は「遠いので」の意味を表します。 が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。 おほえやま【大江山】 京都市西京区大枝(おおえ)。 したがって大枝山とも書く。 今も山を越えて亀岡市に入る山陰街道に大江の関址がある。 『万葉集』巻十二の「丹波道(たにはぢ)の大江の山のさねかづら絶えむの心わが思はなくに」は、ここをいうのであろう。 いっぽう、小式部内侍の有名な歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)になると、丹波への道にあたるこの大江山を越えて生野(今の福知山市)へ行くとも解せるし、福知山市の北にある大江町の、あの酒呑(しゅてん)童子で有名な丹波の大江山と解することもできるのである。 丹波国の歌枕。 今の京都市福知山市生野。 「別れにし程に消えにし魂のしばしいくのの野辺に宿れる」(元真集)や「君にわがあはでいくのの幾度(いくたび)か草葉の露に袖ぬらすらん」(風情集)など「生き」「行く」「幾」を掛詞にしてよむことが多かった。 『百人一首』にも採られて有名な小式部内侍の歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上)は「行く」と掛詞にして、山城国と丹波国の国境の大江山をはるばる越えて行く地としてよんでいるが、以後もこの歌を意識して「大江山」の地名とともによみ込まれることが多かった。 「大江山こえて生野の末遠み道ある世にもあひにけるかな」(新古今集・賀・範兼)はその例である。 ) あまのはしだて【天の橋立】 「橋立」という形でもよまれた。 丹後国の歌枕。 今の京都府宮津市。 小式部内侍の「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)が有名であるが、「音に聞く天の橋立たてたてておよばぬ恋も我はするかな」(伊勢集)のように古来丹後の代表的名所であった。 (後略) 百人一首の現代語訳と文法解説はこちらで確認 こちらは小倉百人一首の現代語訳一覧です。 それぞれの歌の解説ページに移動することもできます。

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