すっとこどっこい 語源。 「すっとこどっこい」とは?意味や使い方を解説!

すっとこどっこいの意味とは?江戸弁の方言?語源(由来)や使い方の例文も!

すっとこどっこい 語源

ただの疑問文ではなく、相手の発言を馬鹿にしたり、責めたりしたい時に使います。 何かとよく使われる便利な言い回しです。 「てやんでぇ、べらぼうめ!」は「何を言ってやがる、このたわけが!」という意味です。 現代語に直訳すると強烈な印象になってしまいますが、当時は「何言ってんだよ(笑)。 馬鹿だなぁ」くらいのニュアンスで使われていたそうです。 今日でも東京の下町方言として残っています。 元々は裸でうろついていた人を罵った所から来ているという説があります。 そこから派生して、「間抜けなことをするな」という意味に変化しました。 現代では主に、自分よりも目下の人がミスをした時に用いられるフレーズです。 「唐変木」の語源には諸説あり、遣唐使が持ち帰ってきた変な木のことではないかと言われています。 そこから派生して、融通の利かない人や気の利かない人のことを「唐変木」と呼ぶ様になりました。 すっこんでろぃ。 」 方言の意味:「お前の出る幕じゃないよ。 引っ込んでな」 「すっこむ」とは「その場から退く」ことです。 態度がふてぶてしかったり、トラブルを起こしても全く悪びれない人のことを指します。 時代劇では、泥棒を捕まえた時などにも使われますね。 売り言葉レベルとしては、本気モードに入る直前くらいの段階です。 語源には2つの説があります。 もう1つは、「一昨日(おととい)来い」という不可能なことを命令する=「二度と来るな」とする説です。 単体では何の役にも立たないことから、役立たずな人や気の利かない人のことを指す言葉となりました。 現代標準語では、単に「丸太の様に太いこと」を表す言葉となっています。 本当に豆腐の角に頭をぶつけようと頑張るんじゃないか?」という想いを込めて使われます。 無粋な人を嘲る時に言うフレーズです。 「そんな事をするなんて相当寝ぼけているのか?その具合だと、水で顔を洗ったところで目が覚めることはないだろうから、もういっそのこと味噌汁で顔を洗えば良いと思うよ。 そしたら、お前もさすがに目が覚めて、こんなおかしな事はしないだろう」という相当な憤りが込められています。 落語によく出てくる表現で、現代でも稀に使われることがあります。 ただし、このフレーズを知らない人に言ってしまうと、「食べ物を粗末にする人だったんだ・・・」という顔をされてしまいます。 注意してください。

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すっとこどっこいってどういう意味? 語源や使い方(例文付き)も紹介!

すっとこどっこい 語源

[スポンサードリンク] 基礎 意味 馬鹿野郎、間抜けを意味する。 江戸言葉で、すっとこが裸を意味して醜い男を罵る時に使われ、どっこいが気合いを入れる時の掛け声を意味する。 みすぼらしいボロボロの着物を着た裸同然の男を罵る時に使われていた言葉。 上手に使うには 古くから相手を罵る時に使われる言葉なので、相手にバカ!と言うのと同じ感覚で使うことができます。 江戸時代から使われていた言葉なので、使うと江戸っ子気質さを感じさせるため、普段の生活で使うとシュールな印象を相手に持たせることがあります。 当時は「てやんでい!このすっとこどっこい!(何を言ってるんだ。 この馬鹿は)」と言うのが決まり文句となっていたので、江戸っ子さを出したい時に使うといいかもしれません。 小説や漫画などの登場人物で、江戸っ子らしさを表現したい場合に有効な手段です。 使い方/例文 自分をけなすときに おはよう。 寝過ぎた。 どうしてくれんだ、このすっとこどっこい。 昨日せっかく充電したウォークマン持ってくんの忘れた~~~このすっとこどっこい~~~!! 自分の歌がすっとこどっこいなのはともかく……なんでだろ。 人の評価をもらうたびに良い歌というのがわからなくなってくる。 人間とはなんと愚かな生き物なのだろうか。 なぜ学習しないのだ。 なぜ改善しないのだ。 土日余裕ぶっこいてたやつが月曜の朝になって焦り出すのだろうか。 土日の自分をぶん殴りてえよこのすっとこどっこい。 相手を罵る時に お金借りてもいいよね、っていいわけねえだろ。 このすっとこどっこい! いつでもかかってきやがれすっとこどっこい 僕が電車から降りるってんのになんで先に乗ってくんだよこのすっとこどっこいが。 やっていいことと悪いことがあるだろすっとこどっこい! 今すぐ有明海に沈めこのすっとこどっこい。 やだーすっとこどっこいなんだからー! 自分で考えろすっとこどっこい 間抜けな事を話題にする時に 今日の朝、すっとこどっこいな印象のニュースしか見なかったけど明日の朝はどないなるかねー。 そもそもカクレンジャーがどんだけすっとこどっこいかと申しますと全ての災いの原因はサスケとサイゾウのせいだったわけで。 あえて褒める時に すっとこどっこいなポーズまでしちゃうから純ちゃんって多才。

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あほう(阿呆・阿房)の語源・由来

すっとこどっこい 語源

A ベストアンサー こんにちは。 30代オンナです。 私は5年前に実母を癌で亡くしました。 そのときに会社の皆さん、友人たちにいろいろな言葉をかけてもらいました。 「大変だったね」「何かできることあったら言ってね」等々なぐさめやねぎらい(お通夜・お葬式は大変だった!)の言葉はどれもありがたいものでした。 ただ、うちの母親の場合56歳という若さで亡くなったのでそれは私自身とても残念で悲しいことでした。 唯一「まだ、若かったのに残念ね・・」という言葉には正直辛く感じました。 わたくしごとをゴタゴタ並べてしまいましたが、やはり何か言葉をかけてあげたほうが良いと思います。 腫れ物を触るように気をつかっていただいたことがあり逆にこっちが気をつかっちゃったりしたことがありました。 ただ、なくなった直後は葬式やら事務手続き等でとても忙しくて亡くなったんだ実感というものが感じられません。 できたら、落ち着いた頃に 49日が終わり、2か月くらいたったころ)食事にでも誘ってお話を聞いてあげてみてください。 Q 本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。 お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。 50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。 ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端? な数の場合、さっぱりわからないのです。 暗算とまではいかなくても計算機 ケータイにもその機能はありますし があればいいので、どういう計算式でその%オフされた数字を出すのか教えて下さい。 05」で出ますよね。 なぜ、1. 05をかけるのかわからないのです。 本当にお恥ずかしいのですが、どうか教えてください。 まったくわからないので、出来る限り丁寧で細かい説明をして頂けると本当に助かります。 よろしくお願いいたします。 本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。 お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。 50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。 ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端? な数の場合、さっぱりわからないのです。 A ベストアンサー 丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。 数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。 1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね? これは以下計算をしていることになります。 次、1000円の30%オフって場合ですが、「オフ」=値引きです。 つまり、1000円の30%分を値引きします、ということですよね。 だから、元の値段1000円から1000円の30%分である300円を引いた 残りである700円が答えです。 でもそれを計算するのは面倒なので、ちょっとテクニックがあります。 30%オフということは、元の値段の70%分を求めればよいと考えます。 つまり、1000円の70%なので700円、となります。 %で表現する場合はこれに100を掛けます。 最後、消費税。 前述のオフとは逆で、消費税5%分を上乗せする、と考えます。 これが基本ですが、先程のオフの計算のテクニックと同じ考え方が適用できます。 5%上乗せした額ってことは、元の値段の105%分を求めればよいと考えます。 おまけ。 暗算を早くするためのテクニック初級編として3つだけ書いておきます。 1.計算式に掛け算と割り算しかない場合、もしくは足し算と引き算しかない場合、 順番を無視しても答えは一緒です。 これならすぐに暗算できますね。 2.割り算の場合、前後の数字に同じ値を掛け算しても答えは一緒です。 3.掛け算の場合、前後の数字を分解して細かく掛け算しても答えは一緒です。 これなら暗算できそうですよね。 丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。 数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。 1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね? これは以下計算をしていることになります。 次、1000円の30%オフって場... A ベストアンサー 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。 残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。 当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。 従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。 ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。 それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。 例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。 これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。 風に抵抗できない。 いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。 しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。 しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。 少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。 人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。 自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。 そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。 ……このような意味の比喩ではなかったかと思います。 この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。 パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。 彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。 パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。 暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。 弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。 パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し... A ベストアンサー 教諭は、「教育職員免許法による普通免許状を有する、小・中・高等学校、幼稚園、養護・聾 ろう ・盲学校の正教員」をいいます。 教員は、「学校で児童・生徒・学生を教育する職務についている人」を指します。 こちらには、非常勤講師や実習助手など教諭とは言わない人々も含まれます。 教師は、「1 学校などで、学業・技芸を教える人。 2 宗教上の教化を行う人。 」とあり、学校の内外を問わず、教え導く人を指しています。 だから、家庭教師とは言っても家庭教員とか家庭教諭とは使いません。 でも、ベテランが新米教師にも「先生」なんて敬称を使うのはおかしいですよね。 逆に、「先生」呼ぶにふさわしい人も1割いるかいないかという惨状ですが・・・。 A ベストアンサー アメリカに36年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 学校で教わる英語を基にすると難しいかもしれませんね。 こう考えてもいいと思いますよ。 see a movie watch a movie は両方とも問題なく使えます。 I saw the movie on TV, I'm watching the movie on TV right now. などですね。 seeは見ると言う経験をする watchは観ると言う行為をする。 I saw the movie 見た経験・事がある I watched the movie. 観た I am seeing the movie now. 使わない (下を参照) I am watching the movie. 観ている I will see the movie. 見る経験を持つ予定 I will watch the movie. 観るつもり I'm gonna see a movie tongiht. 見る経験を持つつもり I'm gonna watch a movie tonight. 観るつもり 上のI'm seeing the movieですが、今進行しているという言い方では使わないですが、未来形としての現在の予定、と言う意味では問題なく使います。 I'm seeing the movie next week with Jackie. と言う感じですね。 確かにwatch a movieと言うとビデオやテレビで見るというフィーリングがありますが、見たという経験を言いたいのであれば、I saw the movie on TVと言う表現は全く問題ないわけです。 テレビで見た経験があるよ、すなわち、テレビで見たよ、と言うことになり、テレビで見たよ、はI watched the movie on TVは、テレビで見た行為をした これも日本語では、テレビで見たよ、となりますね 、と言うフィーリングになるわけです。 I saw him. 彼を そのときの みた経験がある、すなわち、彼を見かけた、と言うことになり、I watched him. と言うと彼を見る行為をした、すなわち、彼を観察した、と言うことになるわけです。 ちょっと断言しすぎたところはあると思いますが、このmovieについてはこのようなフィーリングを元に使っています。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 アメリカに36年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 学校で教わる英語を基にすると難しいかもしれませんね。 こう考えてもいいと思いますよ。 see a movie watch a movie は両方とも問題なく使えます。 I saw the movie on TV, I'm watching the movie on TV right now. などですね。 seeは見ると言う経験をする watchは観ると言う行為をする。 I saw the movie 見た経験・事がある I watched the movie. 観た I am seeing the movie now. 使わない (下を参照) I am...

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