あたしの向こう 歌詞 意味。 あたしの向こう aiko 歌詞情報

米津玄師「アイネクライネ」歌詞の意味を解釈!母から子への深い想いとは?

あたしの向こう 歌詞 意味

ヘッドライトに押し出されて 僕らは歩いたハイウェイの上を この道の先を祈っていた シャングリラを夢見ていた 誰がどんなに疑おうと 僕は愛してるよ君の全てを もしも神様がいたのならば 僕と同じことを言うだろう 何されたって 言われたっていい 傷ついても平気でいられるんだ だから手を取って 僕らと行こうぜ ここではない遠くの方へ 今は信じない 果てのない悲しみを 太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく 全て受け止めて一緒に笑おうか テールライトに導かれて 僕らは歩いたハイウェイの上を 気がつけば背負わされていた 重たい荷物を捨てられずに 誰のせいにもできないんだ 終わりにしようよ後悔の歌は 遠くで光る街明かりに さよならをして前を向こう 貶されようと 馬鹿にされようと 君が僕を見つめてくれるなら キラキラ光った パチパチ弾いた 魔法だって使えるような 今は信じない 残酷な結末なんて 僕らアンビリーバーズ 何度でも這い上がっていく 風が吹くんだ どこへいこうと 繋いだ足跡の向こうへと まだ終わらない旅が 無事であるように そうかそれが光ならば そんなもの要らないよ僕は こうしてちゃんと生きてるから 心配いらないよ 帰る場所も無く僕らは ずっと向こうまで逃げるんだ どんな場所へ辿り着こうと ゲラゲラ笑ってやろうぜ 今は信じない 果てのない悲しみを 太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく 全て受け止めて一緒に笑おうか ひいらぎの解釈 何をされようと何を言われようと構わない。 傷付いたって平気だ。 だから僕らの手を取って一緒に行こう ここではない遠い場所へ。 どうやら「僕」と同行者たちは、周囲の意見に意識的に耳を塞いでいるようです。 「何されたって」「言われたっていい」とは言いながら、ちゃんと「傷ついて」います。 それでも「平気でいられる」と言っているのは、単なる強がりではないように感じられます。 「遠くの方」と言う漠然とした目的地へ、彼らはただ「行こう」と「君」を誘っています。 歌詞全体を通して、「僕」と「君」の関係性を示す記述はありませんが、根拠のない愛情や、旅へ連れ出していることを考えると、「君」は旅立つ前の「僕」とよく似た人物であることが推察されます。 今は信じない 果てのない悲しみを 太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく 全て受け止めて一緒に笑おうか ひいらぎの解釈 今は果てのない悲しみなんて信じない。 地面に立ち尽くしても太陽を見ていた。 空を飛びたくて夢を見ては明日を迎える。 希望も失望も全部受け止めて一緒に笑おう。 「果てのない悲しみ」を「信じない」と否定しつつ、「今は」と限定的な表現も使っていることから、「僕ら」の楽観が作為であることが浮き彫りになりました。 「地面に立ちすくんだまま」で「太陽を見ていた」様子から、願うことはあるのに圧倒されて動けなかった「僕ら」の過去が見えます。 「それでも」「空を飛ぼうと」「夢を見」ながら「朝を繋いで」つまり日々を重ねています。 彼らは「太陽」までの距離に怯んだだけでは終わらなかったのです。 「全て受け止めて」と言っていることから、無様だった過去も、まだ「空を飛」べていない現状も、ひっくるめて受け入れようとする姿勢が伺えます。 ひいらぎの解釈 誰かに押し付けることなんてできない。 後悔は終わりにしよう。 遠い街明りに決別して前を向こう。 前述の「荷物」に対して「背負わされていた」と受け身の表現を使っていたことから、彼らが重荷の責任を他人に求めていたことがわかります。 しかし、ここで「僕ら」はそれを止め、「後悔」を「終わりにしよう」と語り合っています。 「遠くで光る街明り」は過去の栄光とも、かつて抱いていた希望とも捉えられます。 それらに「さよならをして」彼らは「前を向」く、つまり未来へ進んで行くことを決めます。 貶されようと 馬鹿にされようと 君が僕を見つめてくれるなら キラキラ光った パチパチ弾いた 魔法だって使えるような ひいらぎの解釈 今は残酷な結末なんて信じない。 僕らはアンビリーバーズ。 何度でも這い上がる。 どこを目指して進んでも刻んできた足跡の上には風が通る。 まだ終わらない旅が無事であれと祈るように。 打ちのめされても「何度でも這い上がっていく」と不死身の精神を誇る彼らに名前が付きました。 相変わらず「今は」との限定表現が拭われず、心の底では「残酷な結末」に対する不安を抱え続けている様子ですが、あえて無視することを選んでいます。 彼らの目的地はまだ定まっていませんが、「繋いだ足跡」は進歩を物語り、「風」が背中を押しています。 そうかそれが光ならば そんなもの要らないよ僕は こうしてちゃんと生きてるから 心配いらないよ 帰る場所も無く僕らは ずっと向こうまで逃げるんだ どんな場所へ辿り着こうと ゲラゲラ笑ってやろうぜ ひいらぎの解釈 それが光ならば僕はそんなものは要らない。 こうしてちゃんと生きているから。 帰る場所が無い代わりにずっと遠くまで逃げられる。 どんな場所に辿り着こうと大声で笑ってやろう。 「光」と言えば、確固たる希望を与えてくれるはずのものですが、「僕」は「ちゃんと生きてる」ことを理由に「そんなもの要らない」と言っています。 どうやら彼にとって希望は外部から与えられるものではなく、内側から見つけ出すもののようです。 「帰る場所」は安全地帯と読み替えることができます。 不安定な道程を猛進中の彼らには、安心できる場所はありません。 また遠くに向かうことを「逃げる」と表現していることから、彼らが自由意志で「帰る場所」を拒絶していることがわかります。 冒険の果てに待ち受ける未来がどうであろうと、自分で選んだ結末を「ゲラゲラ笑」える程の大満足で受け入れようとしているのです。 正気の沙汰ではありませんが、彼らにはそれが信念なのでしょう。 今は信じない 果てのない悲しみを 太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく 全て受け止めて一緒に笑おうか.

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”あたしの向こう” by aiko

あたしの向こう 歌詞 意味

aikoのシングルがここ数作、非常に面白いことになっている。 特にデビュー15周年を迎えた2013年を経て、2014年からその面白みが増しているような気がする。 思えば2014年5月にリリースされたアルバム『泡のような愛だった』も、ある意味では攻めのアルバムだったように思う。 冒頭の「明日の歌」からロック色の強い楽曲が並んでいることもそうだし、歌詞の言葉数にしてもこれまで以上。 そうそう、アルバム直前のシングル『君の隣』(2014年1月発売)には、ライブ映えのするロックチューン「舌打ち」も収録されてたっけ。 しかし、アルバム『泡のような愛だった』以降のシングル……昨年11月発売の『あたしの向こう』と、今回の主役である『夢見る隙間』の攻め方は上記の作品群とはちょっと違う。 サウンド的に攻めだった『泡のような愛だった』までの流れから一線を画し、『あたしの向こう』以降は音楽的に攻めまくっているのだ。 シングル『あたしの向こう』ではカップリング曲「ハレーション」で過去に「三国駅」「嘆きのキス」などを手掛けた吉俣良が参加したほか、表題曲のアレンジはボカロ界隈で知られる音楽ユニットOSTER projectが担当。 もう1つのカップリング曲「ドライヤー」ではさまざまな映画やCM音楽で知られる川嶋可能がアレンジを手掛けた。 王道感あふれる「ハレーション」のみならず、軽快なピアノロック「あたしの向こう」、JELLYFISHやBEN FOLDS FIVEにも通ずるパワーポップ「ドライヤー」からはデビュー15周年を経てもなお、音楽に対して貪欲なaikoの気概が感じられる。 そして前作から5カ月ぶりに届けられる通算33枚目のシングル『夢見る隙間』。 最初にこのタイトルを目にしただけで、ファンなら思わずガッツポーズを取ってしまうのではないだろうか……そんな「これぞaiko」と呼べるようなタイトルだ。 さらに、個人的にはカップリング曲「さよなランド」のタイトルを見たときも、同じようにガッツポーズを取ってしまったことをお伝えしておく。 そんな、冴えまくったタイトルの並ぶこのシングル、音楽的にもガッツボーズ取りまくりの1枚に仕上がっているのだから、終始ニヤニヤが止まらない。

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あたしの向こう aiko 歌詞情報

あたしの向こう 歌詞 意味

そして先日のライブでもaiko自身が「歌詞なんて呪いみたいなもんやから」とトークしていた。 呪いとはWikipediaを参照すると「人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって(以下略)」とある。 aikoってそんなに恐ろしいアーティストだった? 1年越しに怒りがこみ上げてきたため、その検証も兼ねて僕がすきなaikoの歌詞を紹介していく。 aikoの詞を読む事=簡単な事? 切りすぎた前髪右手で押さえて少し背を向けた 嫌われたくないから /「シャッター」 この歌詞にどれほどの女子が共感したのだろうか。 どれほどの男子が心のうちにaikoを発見したのだろうか。 「あなた」によく思われたい一心で向かった鏡。 見た目をよくしようとして逆効果になるという甘酸っぱい現象、そこに年齢性別の垣根などない。 aikoが歌詞にしたためる世界観というのは、「あなた」と「あたし」のお話。 aikoの歌詞を読むことは、あなたが「あたし」になることを意味する。 あなた自身が「あたし」になる瞬間を見逃してはならない。 心のシャッターを押す準備はできているだろうか。 落ちぬ取れぬ消えぬあなたへの想いは正に 体中の落書きみたい /「彼の落書き」 「あなた」に対する想いが体にこびりついてなかなか取れない様子。 <落ちぬ取れぬ消えぬ>と困り果てる「あたし」を横に、<落書き>という響きから「あたし」の体へ自由奔放に書き記した「あなた」の態度がうかがえる。 もはや一種のマーキングだろう。 君を失う悲しみに比べれば 思う苦しみなど 幸せなより道 /「より道」 <思う>ことをしっかり<苦しみ>と認識しているのが健気すぎるって。 夢に出てきたんだよってどうして あたしの胸にインクを落としていくの /「格好いいな」 <夢>にまで現れてしまう純粋な想いを<インク>という強固な汚れに比喩するのがいい。 喉の痛い朝 頬杖の街 こんな日はすぐあなたに触りたい /「恋愛」 きっとすぐ触りたいんだよね。 でもなにか理由をつけないといけなくて、それが喉が痛かったり退屈な街だったり、ただそれだけなんだろうな。 そのまんまのあなたの 立ってる姿とか 声とか仕草に 鼻の奥がツーンとなる /「かばん」 この詞をはじめて読んだとき、「鼻奥ツーン現象が起きるのは僕だけじゃないのか! 」と感動したのを覚えている。 他人と共有したことがないからわからないが、僕はaikoのいう<そのまんまのあなたの 立ってる姿とか>に鼻奥ツーンがよく生じる。 存在そのものが愛おしい感覚。 一個人の感覚と世界をつなげてくれたのはaikoだった。 今日あなたを見かけたよ 前みたいに苦しくなかった 髪型とかゆるいシャツだからとかじゃなくて なんか…経ったんだな /「宇宙で息をして」 <なんか…経ったんだな>ていう一言に「あたし」がどこか前を向けるようになった心境が垣間見えるなあ。 あと7kmで出口です 心の方もこんな感じだったら /「トンネル」 aikoが高速をドライブしているときに浮かんだ曲。 <あと7kmで出口です>と書かれた看板があったのだろう。 終わりのない、答えが見つからない恋愛をここまで綺麗に書かれちゃうともう。 あなたの側にいる時のあたしを誰も知らない /「キスが巡る」 恋愛をするときの一番の醍醐味はこれだから。 aikoが描く「あなた」と「あたし」 何億光年向こうの星も 肩に付いた小さなホコリも すぐに見つけてあげるよ この目は少し自慢なんだ /「アンドロメダ」 距離がありながら恋愛特有の情景も保たれている綺麗な二項対立だと思う。 aikoは対比表現が本当に巧みだ。 <何億光年向こうの星>という大きい視点を持ちつつも、次に来るフレーズ<肩に付いた小さなホコリ>で aikoは「あなた」と「あたし」の世界に一気に引き込む。 さっきまで輝く星々を想像していたのに、もう<小さなホコリ>をとってあげる微笑ましい「あたし」しか浮かばないのだ。 時が過ぎる音を忘れるまで 寄り添って過ごした日々 /「指先」 「アンドロメダ」の<星>と<ホコリ>のように、ミクロとマクロの視点を切りかえることをaikoは得意としている。 この「指先」も同様で、<時が過ぎる音>というミクロな視点から<過ごした日々>というマクロな視点へとなめらかにフォーカスを移している。 例えば、<時が過ぎる音を忘れるまで 寄り添って過ごした>まではひと時の描写としておかしくないが、その語尾に<日々>と一言加えることでひと時の積み重ねがしあわせな日々へと一瞬にして生まれ変わる。 その変身があまりにも一瞬で、この緩急に心を掴まれる。 あの子の前を上手に通る癖覚えたのは もうずいぶん前の事長いなぁ あなたの視線追うと必ずいるあの子の前を 通り過ぎてる事であたしに気付いて欲しくて /「アスパラ」 例えば学生時代。 人は息をするように好きな人の机の前をわざと通る。 もしくは好きな人がロッカーに物を取りに行けば自分もすかさず立ち上がって取りに行く。 取りに行く物はないのに。 もちろんaikoも人であり、「あなた」に「あたし」を意識ほしいがゆえに前を通る。 ここが一筋縄ではいかないのがaikoだが、実際に通るのは「あなた」の前ではなく<あの子の前>なんである。 どういうことか。 <あの子の前を上手に通る>前に、まずaikoは<あなたの視線>を追っている。 その視線の先には必ず<あの子>がいる。 そこで「あなた」に気付いてほしいaikoがとる行動とは、<あの子の前を通る>ことなのだ。 <あの子>を追う「あなた」の世界にこちらから出向いてやるのがaikoだ。 これほど報われない行為があるだろうか。 出の悪い水道 直し方も解らない 今は些細な事すらも軽く拭えない /「明日もいつも通りに」 これが世に言うaikoの 水道事件である。 aikoの視線は日常のありとあらゆるものに向けられる。 その顕著な例がこの<出の悪い水道>なんである。 <出の悪い水道>の直し方が解らず自暴自棄になる「あたし」。 それが意味するのは<些細な事すらも軽く拭えない>、すなわち一人では生活を送れない惨めな自分である。 しんどい。 少し雑にだけど綺麗に並べられた歯ブラシにあたしはなれなかった /「間違い探し」 歯ブラシとは毎日使うもの。 「あなた」と「あたし」が生活を共にするのであれば、必然的に二人が使う二本の歯ブラシは洗面所で<少し雑にだけど綺麗に>並ぶことになる。 例えばコップに立てられる二本の歯ブラシというのは、垂直に乱れなく並ぶ姿より、コップの底から上部に向かって対角線上に置かれるイメージを想像すると思う。 そんな<少し雑にだけど綺麗に並べられた>歯ブラシのように、「あなた」と「あたし」は忙しない日々のなかで家事が<少し雑に>なったり些細なことでストレスが溜まったりしながらも、自分をごまかして二人<綺麗に>並んで愛の同棲をする。 しかしながらそんな歯ブラシのように<あたしはなれなかった>と。 つまり、 もう「あなた」とは一緒に過ごせない心情をaikoは歯ブラシで表現したってわけ。 突然かけてくる電話 こんな時間にどうかした? いつもふりまわしてくれて どうもさようなら /「こんぺいとう」 普通、<どうも>に続く言葉は「ありがとう」だ。 aikoは「どうもありがとう」と感謝の意を述べるくらいなら、<どうもさようなら>というコロケーションの違和感によってありったけの潔さを示す。 あなたがここに生きてるからあたしこんなに愛してしまった 後戻りは決してない だから全部奪ってしまいたい 貪欲であたしの大きな脱出 /「脱出」 言いがかりから純愛へのふり幅がすごい。 まず<あなたがここに生きてる>せいで「あたし」が<こんなに愛してしまった>と言い放ち、次に叫ぶのは好きにならなきゃよかったのような言葉かと思いきや、「あなた」を<全部奪ってしまいたい>という<貪欲>な愛である。 それが「あたし」に残された、唯一の「脱出」方法なのだろう。 運命には逆らえないね きっとどう転んだって きっとどうあがいたって あなたとあたしは恋人なのよ /「ロージー」 これは解説すると、<逆らえないね>と語尾をやわらかくすることで<あなたとあたしは恋人>であるという事実をどうにかして認めさせるaiko特有の手法である。 aikoの「ね」にかかれば暴論という概念は消滅する。 たまにあたしを思い出してね そして小さな溜息と肩を落とし切なくなってね /「赤いランプ」 またしても「ね」の手法である。 「赤いランプ」は至高の失恋ソングであるが、aikoは「あたし」を思い出させた上で溜息と肩の落としを要求する。 そこに「ね」という終助詞を駆使して愛の重さを軽減する。 この「ね」こそが、aikoなのだ。 お願いあたしの真っ直ぐなこの愛を見捨てりしないで 「あと15分! 」の口癖を今夜だけは大目に見て 愛しい人よ くるくると表情を変えながら あたしの手のひらの上にいてね /「恋人同士」 「ね」の手法もここまで磨きがかかると逆に習得したくなる。 aikoのどんでん返しはいつも唐突で、そこに「あたし」の想いが見え隠れする。 結局は<あたしの手のひらの上>にいないとaikoは気が済まないのである。 遠く空が続いていようが 逢えなければ想像するしかない 元気でいることを 笑っていることを 隣に誰かいることを /「あなたは」 aikoは常に唐突だ。 <笑っていることを>まではよくありそうな曲なのに。 この歌詞は曲の歌い出しであり、aikoには歌い出しが唐突であるがゆえにぐっと引き込む曲が多い。 あなたが飼い主ならば あたしは忠義尽くす物に変わる こんなに好きなんだから 手をひく権利をあたしに下さい /「私生活」 aikoは容赦なく見返りを求める。 その見返りさえも唐突なのだ。 <忠義尽くす物>にすら変わる「あたし」は、次の瞬間<手を引く権利>を要求する。 びっくりしてしまう。 先ほどまで忠犬のはずだったのにリードを握るのは実は「あたし」の方なんである。 集まった星くずの様な想いが チリとなって 消えゆくのならまだ気が楽だろう 「 あられ」という曲から。 「あなた」に対して増幅した<星くずの様な>片想いが<チリとなって>消えくてれたらいいのにと、よくある片想いの道をたどっている世界観だ。 あたしの中に生まれたもの 目を反らしてはいけない 同じように同じように あなたに降り注げばいい だが、大サビ。 <あたしの中に生まれたもの>に危険信号が灯る。 aikoは緊迫した様子で<目を反らしてはいけない>という。 この先にぞっとするどんでん返しがある。 <同じように>と2回繰り返したあと、aikoは<あなたに降り注げばいい>と明言するのである。 儚い<星くずの様な想い>は唐突に「あなた」へ降り注ぐことになった。 ゆえに「あられ」という曲名になっている。 塵も積もれば山となるとはいうが、aikoの<チリ>が溜まれば最後、純真な想いの実態は隕石レベルの<星くず>であることだと気づかされる。 「あなた」と「あたし」の終着点 ここまで読んでいただけたらあなたはいくつもの「あなた」を追体験してきたはずだ。 <星>と<ホコリ>による視点の切り替え、<水道>や<歯ブラシ>といった日常からのアプローチ、そしてパワーワード的な告白をときに<ね>をぶら下げて寄り添いながら、大胆かつ唐突にやってのける。 それをかわいくポップに歌い上げるからaikoの曲は「せつないのに明るい」と評される。 恐ろしくて愛おしい、それがaikoだ。 そんな「あなた」と「あたし」の世界を20年以上描いてきたaikoだが、一昨年のアルバムである境地に達した。 それが「 だから」という曲だ。 全部吐き出して涙も鼻水も 少し眠ればいい 起きていてもいいよ あたしはあなたになれない だからずっと楽しいんだよ 苦しくてもどんなに悲しくても 涙も鼻水も出して<眠ればいい>と言っておきながら<起きていてもいい>という急な翻しに口角が上がってしまうが、それも束の間<あたしはあなたになれない>と、aiko特有の剛速球をこの度も飛ばしてくるのである。 しかしaikoはいう。 <だからずっと楽しい>と。 それがどんな悲劇であっても<あたしはあなたになれない>事実をaikoは噛みしめる。 痛みを分けあえるメーターがあったら 目を見る事を忘れ目盛りみて もしも「あなた」の痛みを可視化できたら、aikoは自分にもその痛みを分け与えようとする。 <目を見る>と<目盛り>の語呂のよさに思わずその痛みすら忘れてしまいそうになるが、「あなた」のまなざしを忘れるほど「目盛り」に夢中になる「あたし」である。 しかしaikoは、そんな便利な<メーター>より大切なことに気づいている。 それはそれでうまくいかないさ だからあなたの肌を触らせてよ わからないから触らせてよ そのような計量器があったとしても、aikoにとっては<うまくいかない>のだ。 それは前述の通り、たとえ<痛み>の量を知れて分け合えたとて、<あたしはあなたになれない>からである。 なによりaikoが最も主張したいのは最後の二行だろう。 「あなた」の苦しみや悲しみは分かち合えないからこそ、<触らせてよ>という至極真っ当な恋愛の欲求につながるのである。 その思考の経緯をつなぐのは<だから>という接続詞であり、その一言からすべてを汲んでほしいとaikoが考えたのは曲名を「だから」にしたことからも容易にわかるだろう。 二人も一人も同じなんだと 思える日もあれば 孤独な日もあって わがままにこれからも生きていこう だらしないねと笑っていたいの わからないからそばにいたいの 一緒に居れば重なる日もあって、同時に独りになりたい日もある。 もちろんaikoはそれでいいという。 <わがまま>に生きていいのである。 大粒の涙を流して泣きわめいていい。 その様を見て<だらしないねと>笑うaikoがそばにいるのである。 この選択がaikoのやさしさであり、この「だから」こそ、「あなた」と「あたし」の世界に対するaikoなりのひとつの答えだと思う。 切りすぎた前髪を右手で押さえる初々しいaikoはもういないかもしれない。 あなたが「あたし」になるとき 「だから」に<だからあなたの肌を触らせてよ わからないから触らせてよ>という歌詞があった。 そもそもaikoにとって「触れる」とはなんだろうか。 片想い真っ最中な「横顔」の< 次は触れたいといつからか願ってた>を始め、「ストロー」では< 初めて手が触れたこの部屋で 何でもないいつもの朝食を>と、初めて「あなた」に触れた瞬間の思い出を場所に宿している。 そんなaikoの「触れる」に対する価値観をよく表しているのが次の歌詞だ。 もっと心躍る世界が すぐ隣にあったとしても 乱れたあなたの髪に触れられるこの世界がいい /「milk」 今見ている世界よりも素敵な世界がすぐ近くに広がっているとしても、aikoは「あなた」に触れられる世界を求めるのだ。 それが乱れた髪でも、どんなにだらしなくとも、aikoにとって「触れる」とはそういうことだ。 最後に言いたい。 僕がすきなaikoの感性のひとつに、「 形ないものをとらえる」というのがある。 先ほどの「だから」が収録されたアルバムにある「愛は勝手」を紹介したい。 愛の深さは勝手 まだ大したことはないんじゃない /「愛は勝手」 aikoは愛に形をもたせ、それを大きい小さいではなく深度としてとらえた。 俗に言う「沼」だろうか。 ありったけの愛が存在してもいいのだ。 きっとそれは<まだ大したことはない>だろうし、深さの底は更新されていい。 文字通り底なし沼で、それは許される。 だって、「愛は勝手」なのだから。 「形あるもの」みたい 感じてるあなたへの想いに 体が震える程あたしぐっときてるから /「ボーイフレンド」 「あなた」と「あたし」の間にある形ないものを<「形あるもの」みたい>と、初期の頃から実直にaikoは感じ取っていた。 aikoが描いているものはずっと変わっていないのだ。 <体が震える程>感じていたものが「触れたい」という欲求に変わり、愛の深さに限度はないことに至った。 aikoにとってこの20年間で変化したのはそれくらいで、常に愛を纏っているのである。 「あなた」がいて、「あたし」がいる。 aikoがいる。 「あなた」と「あたし」の間には常になにかがあって、aikoはそれとひたむきに向き合ってきた。 aikoはそれらをじっと見つめ、耳を傾け、においを嗅ぎ、愛の味を感じる。 そしてそれに輪郭を与え、手に取り、その感触を歌詞に落とし込む。 その大体が、真っ黒で歪でどろどろしたそれであることが「aikoの歌詞は呪い」と言われてしまう所以かもしれない。 しかし「呪い」と呼ばれてしまう歌詞であればあるほど、「あたし」の想いが強いことの裏返しなのだ。 あなたはaikoが恐ろしいだろうか、愛おしいだろうか。 ここで紹介した歌詞はaikoの一部にすぎない。 逆にこんな30程度の歌詞でaikoのことをわかったような気でいられても困る。 僕にしかなれない「あたし」がいて、あなたにしかなれない「あたし」がaikoの作品には眠っている。 まだaikoのことがわからない、だからもっとaikoに触れてみたいとあなたが思えたとき、あなたは既にひとりの「あたし」になっているだろう。

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