トロッコ 問題 答え。 トロッコ問題とは?トロッコ問題の目的や意図!

【皆殺し?自分が飛び込む?】トロッコ問題(トロリー問題)とは【脱線?ネット上の回答】

トロッコ 問題 答え

ブレーキの壊れたトロッコが暴走している。 このまま直進すると、線路上の5人がひき殺されてしまう。 トロッコの進路を変えれば5人は助かるが、曲がった先には別の人がいて、その人は死ぬことになる。 「ああ、トロッコ問題ね」とページを閉じる前に、次のパラグラフを読んでみてほしい。 ブレーキが故障した乗用車が、歩行者5人のいる横断歩道に突っ込もうとしている。 クルマに乗っているのは運転者だけだ。 クルマを横断歩道の手前にある障害物にぶつけて止めれば歩行者5人は助かるが、車内の1人は死ぬ。 逆に、1人を助ければ歩行者5人が犠牲になる。 この場合、たいていの人は歩行者5人を助けるべきだと考えるだろう(クルマに乗っているのが自分自身や家族だったらという問題はあるのだが、これについては後述する)。 それでは、問題をもう少し複雑にしてみよう。 クルマを運転しているのは妊婦で、さらに実はもう1人の乗客がいる。 3歳になったばかりの子どもだ。 そして、5人だと思った歩行者は実は人間4人とイヌ1匹で、4人のうち2人は犯罪者、1人は高齢者、1人はホームレスだとする。 ついでに、全員が赤信号なのに横断歩道を渡っている(つまり信号無視をしている)。 MITメディアラボのエドモンド・アワッド率いるチームは、人工知能(AI)を搭載した自律走行車が特定の状況でどのような判断を下すべきだと思うか、世界中の人々に意見を求めた。 オンラインの調査は英語版だけでなく、アラビア語、中国語、フランス語、ドイツ語、日本語、韓国語、ポルトガル語、ロシア語、スペイン語の計10言語が用意され、233の国と地域に住む4,000万人近くが回答している。 調査への参加はまったくの匿名でも可能だ。 ただ、49万1,921人は年齢、性別、最終学歴、収入、政治的信条や信仰する宗教といった個人データを提供した。 優先的に助けるべきは? 研究チームは9つの指標を基に、人々が何を優先して生存者と犠牲者を決めるのか分析した。 具体的には以下の項目だ。 生存者と犠牲者の数• 年齢(乳幼児/子供/大人/高齢者)• 種(人間/犬/猫)• 健康状態(アスリート体型/肥満体型)• 社会的地位(会社経営者/医師/ホームレス/犯罪者)• 搭乗者と歩行者どちらを優先するか• 交通規則の順守を重視するか• 介入する傾向の強弱(クルマの進路を変えるか、何もしないか) によると、回答者の国籍や年齢、宗教などに関わらず、共通の傾向はあった。 「動物よりは人間、少人数よりは多人数、高齢者よりは若者」が優先されたのだ。 また、この3原則ほどはっきりしてはいないが、社会的地位の高い人と交通規則を守っている人を守るという傾向も比較的強かった。 ただ、それ以外では、地域ごとに誰を犠牲にするかについての意見が別れている。 一方で、回答者を年齢や性別、学歴などでまとめても、それぞれのグループに特定の傾向はあまり見られなかったという。 地域と文化によって回答に差 回答の傾向は、地域的・文化的に見て大まかに「東」「西」「南」に分かれる。 「東」はアジアと中東、「西」は欧米諸国とロシア、「南」は中南米諸国だとイメージすれば、だいたい合っている(ただ、ブラジルは「西」、フランスは「南」に含まれるなど、例外もかなりある)。 地域別の違いの一例を挙げると、「南」の回答者は高齢者よりも若者を助ける傾向がわずかに強い。 これは「東」と比較した場合に特に顕著だという。 国別に見ると、日本やフィンランドのように治安のよい豊かな国では、信号無視をしている歩行者は「死んでも仕方がない」という意見が多くあった。 一方で、所得格差の小さいフィンランドでは、歩行者や搭乗者の社会的地位は、助けるべきかという倫理判断にほとんど影響を及ぼさないようだ。 これに対し、コロンビアのように貧富の差が激しい国では、ホームレスや犯罪者は見殺しにされることが多かった。 中南米におけるマフィアや麻薬がらみの犯罪の苛烈さを思えば、ある程度は納得がいくかもしれない。 日本は「世界で最も功利主義的でない国」 また、日本は助かる命の数を重視しない(つまり、数よりも誰を助けるかという「質」を重視する)ほか、歩行者を助ける傾向が世界で最も強い(2位はノルウェー、3位はシンガポールだ)。 逆に、生存者の数を重視するのはフランスで、歩行者よりクルマに乗っている人を守ろうとするのは中国とエストニアだった。 フランスは高齢者に比べて若年層を助ける傾向も強い。 これに対し、高齢者を助けるという意見が多かったのは台湾で、ほかに中国や韓国といった儒教文化の影響の強い東アジアの国々でも同様の偏向が見られた。 MITのアワッドは『WIRED』日本版の取材に対し、日本で特徴的なのは生存者の数を判断材料にする傾向が非常に低いことだとしたうえで、「その意味では、世界で最も功利主義的でない国だと言えます」と話している。 また、日本は介入を避ける傾向も平均よりかなり高いという。 「自分を殺す」クルマには乗りたくない? こうした例を挙げていくと本当にきりがないので、興味がある方はぜひ論文を読んでいただきたい。 もちろん、「Moral Machine」は設定状況があまりにも特殊なため、現実世界には応用できないという議論は無視できないだろう。 また、回答者の大半を若年層の男性が占めているという点も指摘されている。 論文の共著者でメディアラボ准教授のイヤッド・ラーワンは、「Moral Machine」が現実的でないことは認めたうえで、自動運転システムを巡る自動車メーカーの決断はほぼすべてが、ある意味では間接的なモラル判断なのだと説明する。 例えば、自転車専用道のある片側1車線の道路で、対向車との接触を避けるためにクルマをわずかに自転車道寄りに走らせるようにシステムを設計したとする。 こうすれば、自転車を巻き込んだ事故は逆に増えるだろう。 死亡事故の急増といった大きな影響がすぐに出ることはなくても、将来的にはかならず統計値として現れる。 自己中心的と非難されるかもしれないが、そう思う人はたくさんいるはずだ。 何かあったときに、自分を殺すという判断をするかもしれないようなAIが運転するクルマに乗りたいだろうか。 世界はそれほどシンプルではない この問題を巡っては、メルセデス・ベンツの安全技術担当であるクリストフ・フォン・ヒューゴが過去に、「レヴェル4や5の自律走行車では、搭乗者の救命を優先するようにAIをプログラムする」といった趣旨の発言をして、物議を醸したことがあった。 実際には、どのような判断(運転)をしても死傷者を出すことを避けられるのか不明な状況において「少なくともひとり(搭乗者)は確実に助けられるのであれば、その人を救うべきです」と言ったのだが、メルセデスはすぐに火消しに回った。 ヒューゴの発言は文脈を無視して報じられており、企業として人命の重さを判断するようなことは絶対にしないというのだ。 妥当な対応だろう。 というより、これ以外は言いようがないはずだ。 それに、臭いものにはフタではないが、こういった微妙な問題には極力言及を避けるというのが、自動車メーカーにとっては賢い戦略なのかもしれない。 ただ、ヒューゴの発言はある一点においては絶対的に正しい。 現実の世界では、AIがどのような判断をしても、結果として誰が助かり、誰が犠牲になるかなどわからないのだ。 繰り返しになるが、世界はそれほどシンプルではない。 生きるか死ぬかといった二者択一の状況はむしろ珍しい。 いつか直面する倫理的ジレンマに向けて 今回の調査から導かれた3原則はむしろ当たり前で、退屈にすら感じられるかもしれない。 それに、社会の総意だけに基づいてAIの倫理基準を設定することはできないだろう。 研究チームも、今回の調査の目的は自動運転におけるトロッコ問題に答えを出すことではなく(そんなことはそもそも不可能だ)、テクノロジーと倫理を巡る議論を喚起することだと断っている。

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【見殺し】トロッコ問題は「何もしない」が正解の理由を解説

トロッコ 問題 答え

この問題には正しい答えはありません。 もともと、人間の命について考えさせる命題ですので、 もし不正解があるとすれば、それはこの問題について考えないことです。 考えてみれば、助けられるのは5人か1人かどっちかだけ。 トロッコの暴走に他のみんなは気付かない。 トロッコの暴走から他のみんなは逃げられない。 自分にできるのは、ポイントの切り替えだけ。 こんな無茶な状況が起こりうるでしょうか。 実際には、暴走トロッコの振動で5人の作業員も、1人の作業員も気づくでしょうし、 ポイントを切り換える暇があるなら、大声をあげて注意を喚起することだってできるはずです。 そういった諸状件を無視して、無理のある状況を押し付けているのは、 この問題によって、命の重みについて考えさせるためです。 そもそも、何かしても誰かは必ず死ぬのです。 しかし、何もしなくても、誰かは必ず助かるのです。 絶望と救いが同時に存在しているこの問題においては、 どちらを選んでも救われないのです。 しかし、どちらを選んでも救いが残るのです。 ただ、私はあまりにも要素が不確定なこの手の問題は、非常にアンフェアだと思います。 簡単に言ってしまえば、手を叩いて、 「右手と左手のどっちの手が鳴ったか?」と問いかける禅問答に同じです。

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【見殺し】トロッコ問題は「何もしない」が正解の理由を解説

トロッコ 問題 答え

『トロッコ問題』をご存知ですか? 一種の心理テストや思考実験のようなもので、倫理観や道徳観が分かると言われています。 何の目的や意図があって行われるものなのか、正解はあるのかなど解説します。 『トロッコ問題』には色々な類似問題もありますので、合わせてご紹介します。 トロッコ問題とは何か? 『トロッコ問題』は 20世紀半ばにイギリスの哲学者によって提起された問題で、今も議論が続けられている倫理の問題です。 それだけ昔に作られた問題なので、突っ込みどころはたくさんあるのですが、以下のような内容です。 線路の先には作業員が5人いてこのままでは確実に死に至ります。 あなたはどうするべきですか? という問題です。 声をかけたり、走って助けに行ったりすることもできず、完全な二択という、大変都合の良い問題なのですが、犯罪者の心理テストなどにも使われていると言われています。 さて、あなたならどうしますか? トロッコ問題の目的や意図 この『トロッコ問題』は少し時代を感じさせるところがありますが、実は 自動運転の車の開発や普及が進んでくると、これに似た状況が生まれるのではないかと、にわかに話題になっているのです。 つまり、車が不意なスリップなどで歩行者に突っ込んでしまいそうになった時に、人間であれば数秒の間にとっさの判断や運動神経が追い付かないが、自動運転ならば崖から落ちたり壁にぶつかったり等の自爆行為によって人命を守るべくAIが瞬時に答えを導くというものです。 『トロッコ問題』は倫理学の問題ですから、当然人はどのように生きるべきか、どうすれば正しく生きられるかということを考えさせるもののはずです。 しかし、この問題にはあまりにも救いがありません。 特にこの件に関しては人命が関わっていますので、非常に重たいテーマです。 倫理や道徳観を問われる問題の中でも、ひときわ深刻な内容だからこそ、色々と考えてしまうことと思います。 どちらの行動を取っても非道徳的だと言われ、責められそうな問題です。 ・積極的に動いて、自分の取った行動のせいで人1人を確実に死なすのか。 ・消極的に何もしないで、5人を見殺しにするのか。 まったくもって自信を持った答えが出てきませんし、自信を持って理由を述べることもできません。 通常の人ならそう悩むはずです。 ところが、異常犯罪者やサイコパスと呼ばれる人達にとっては単なる算数の問題のようなものになるらしいのです。 そういった人達を見極めるために作られた問題だと考えたいです。 一般の人達に問いかける問題としては、あまりにも重すぎます。 この問題が作られたことに目的や意図があるとするならば、人の命について考えるきっかけを与えるということだけではないでしょうか。 トロッコ問題の解答と解説 トロッコ問題には色々な解答例があります。 先程は二択だとご説明しましたが、 実はこの問題には続きもあります。 あなたの隣には大変体重の重い人が1人立っていて、彼を線路へ突き飛ばせばトロッコは絶対に止まるというものです。 上述の5人と1人の作業員は助かるのですが、突き飛ばされたあなたの隣の人は確実に亡くなります。 さて、あなたはどうしますか?というものです。 実は最初の二択問題において、こちら側の回答をする方は少数派とのことです。 この問題は何を選択しても救いがあり、何を選択しても絶望があるという厳しい問題です。 正解というものもありません。 まず、ここで何もしないことを選んだ方は、何も行動を取らなかったことによって、1人の犠牲で済んだところを、みすみす5人もの人を死なせてしまったと後悔の念にさいなまれることになると思います。 少なくとも自分が積極的に何かを行ったことで、そのことが原因であたかも自分が1人の人を確実に死に追いやったという罪の意識からは逃れることはできますが、消極的であったために、多数の人の命が奪われてしまったというジレンマです。 しかも、なんと約9割! より多くの人の命を救うためという判断ですよね。 英語では『utilitarianism』と言われるのですが、日本語では『功利主義』や『公益主義』或いは『大福主義』と訳されます。 しかしながら、あなたが決断しなければ決して死ぬことはなかった1人の作業員を死に追いやったという責めを受けることになるのです。 そして、その後に「別路線へ引き込む」ことで1人の命を奪って5人を助けるのと、1人を突き飛ばして5人を助けるのと、いったい何が違うのですか?同じですよね?と問いかけると絶句してしまうそうです。 たしかに言われてみればそうです。 あなたの判断と行動によって、全く死ぬ必要のなかった1人の人命を奪って、5人を救うという結果は全く同じであって、ただプロセスが違うだけです。 しかしながら、これに対してなぜ答えが分かれたのかの理由を明確に答えることができる人はいないそうです。 ここで迷わずに「突き飛ばす」という回答をする人もいるというのです。 それがいわゆるサイコパスと呼ばれるタイプに属する人だというのです。 それでは、この回答について次で詳しく触れたいと思います。 犯罪者やサイコパスがトロッコ問題に解答すると? 犯罪者やサイコパスがトロッコ問題に解答すると、上述の最初の二択問題においては、別路線へ引き込むという選択をするそうです。 そして、隣に立っている人を線路に突き飛ばすかどうかという質問には、突き飛ばすと答えるといいます。 彼らは、 簡単な算数の問題としてとらえることができているようです。 サイコパスを、凶悪な犯罪者や精神異常犯罪者とイコールのように勘違いされている方もいらっしゃるようですが、これはサイコパスの日本語訳が『精神病質者』と呼ぶことが原因かと思われます。 実際にはサイコパスは25人に1人の割合で存在すると言われています。 人に共感したり、人間関係を構築したりしていくのが苦手という特徴があり、カリスマ的に人気を集めたり、ひとの心を動かすことに長けているという説があります。 サイコパスが悪であるとかいう偏見はやめましょう。 サイコパスとは何か?意味は? 「サイコパス」と聞いて思い浮かぶのは、映画や小説に登場するような... みんかね編集部 トロッコ問題の解答からわかる心理 このトロッコ問題の解答内容もそうですが、その回答に至るプロセスなどから分かる心理とはどのようなものがあるでしょうか。 いくつか考察してみたいと思います。 正解のない問題ですから当然です。 人数が大きくなればなるほど、たった1人の命でそれだけの人数を救えるのならば、という考えに至るのは仕方のないことかもしれません。 しかしながら、自らの手で人を突き飛ばして死なせることには反対だという人が多いということは、そこにより大きな罪の意識を感じるということなのです。 極端な例なので、たとえとしてふさわしいかどうか分かりませんが、刃物で人を刺して殺してしまうのと、放火によって人を殺してしまうのとでは、その犯人の罪の意識に雲泥の差があるのだと聞いたことがあります。 つまり、直接自分の手を下して、その感触と言うのでしょうか、刃物で刺した感触や人を線路に突き飛ばした感触、それによって罪の意識が自分の中で大きくなってしまうという所があるのかもしれません。 つまり、分岐のスイッチを自ら押すことで自分の愛する人1人の命をもってして、それ以上の人数の命を守ろうとするような選択はしないということです。 ここで答えが変わってしまうのはいけないことなのでしょうか。 実はわが子であっても別路線に引き込んで、5人の命を助けるのが正しいと答えた人がおよそ3割もいたというのです。 これは恐らく海外での実験結果だと思いますが、多すぎはしませんか? 5人の全く知らない人の命を救うために、わが子の命を犠牲にすることが正しいと本当の気持ちから答えることができる人が3割もいるとはとても信じられないのです。 例えば、人間ではなく、かわいがっていたペットや、ローンが何年も残っている超高級車のマイカーや、家宝としている高価な物などなんでもいいですが、そういったものが別路線にあったとしても、5人の命よりも優先すると答える人さえいるような気がします。 隣に立っている人を線路に突き飛ばせば、その人は確実に死ぬことになるけれども、自分の大切な人は確実に助かるとしたら、さてあなたはどうしますか。 そして、サイコパスと呼ばれる人達は、これが大切な人であろうと物であろうと、答えがぶれず、変わらないのです。 発明王エジソンはサイコパスだったということで知られていますが、彼は自分の工場が大火事に見舞われた時に父親にすぐに来るように電話したそうです。 「早くおいでよ。 なかなか見れないよ。 こんな大火事。 」 自分の大事な研究所の火事でさえ、こういった見方ができるサイコパスでしたら、トロッコ問題にたとえ大事な人を例として出しても、ぶれることなく単純な算数の足し算引き算を解くように迷いなく答えられるのでしょう。 トロッコ問題から見る道徳観や倫理観 そこには 正しい答えなど存在しません。 非常に残酷な問題です。 自分は何もしなくても誰かが死に、自分が何かをすれば誰かを助けることになるが誰かが死ぬことにはなる、救いのない問いです。 1950年代に作られた問題ということもあるでしょうが、そういった時代背景だけではなく、あまりに現実からもかけ離れすぎていますし、行動にも制限がありすぎます。 声をかけることもできない、緊急停止ボタンなどももちろんない、究極の二択とも言える状況に追い込む非常にずるい問題ですよね。 あまりにも真剣に考えすぎると、自分が残酷な人間なのではないかという自己嫌悪にさいなまれかねません。 人の命の大切さを考えさせる問題であるという程度に考えておかないと、答えのない、まるで禅問答のような問いに悩まされることになってしまいます。 前提条件として、移植をしなければ5人は必ず死ぬものとし、この人を殺す以外に全く臓器は得られる機会がないものとする。 そして、移植は完璧に成功して手術は成功し命は助かるというものです。 『トロッコ問題』と全く同じ、1人を殺して、より多くの人の命を救うということは、果たして正しいことだろうかという命題です。 これは、現代の医学の観点から考えて、『トロッコ問題』よりも更に非現実的で悪質な問いのような気がします。 前提条件にも選択肢にも救いがなさ過ぎて、そんな悲劇を生み出すことがないように、医学は日々進歩しているわけです。 死体移植などの選択肢を排除していることに悪意を感じます。 臓器が必要な5人が、どうしてもこの人の臓器でないと助からないという状況がおかしいですが、もしそうなのだとしたら天命であって、そこで寿命をまっとうすることが正しいのではないかと考えますが、それは消極的に見殺しにしているのと同じだという反論もあるようです。 この1人を見捨てれば、5人は確実に助けることができます。 『トロッコ問題』や『臓器くじ』と全く同じですね。 これも条件が都合が良すぎるというか悪すぎるというか、真剣には付き合いきれない悪質な問いですよね。 状況を見て、早産などの胎児がまだ出てきてはいけないタイミングであれば当然妊婦さんの命を優先するなどケースバイケースのようで、いずれを選択するにしても妊婦本人と夫の同意が必要だそうです。 それでは究極の選択を迫られた時に、夫はどうするのか、妊婦はどういう答えを出すのか。 夫としたら、子供はまた作ることができるかもしれないが、妻はこの世に1人しかいないものだから、なんとしても守りたいと思うでしょう。 妊婦さんの気持ちとしては、やはり自分の命に代えても生みたいと思うのかもしれません。 それが母性というものなのでしょう。 男親には本当の意味で共感して気持ちが分かってあげられるものではありません。 このような選択を迫られる可能性はゼロではありません。 『トロッコ問題』と類似というわけではないですが、やはり人を積極的に死に至らしめるのは悪なのか、当人の意思がそうであるならば尊重するべきなのか、これも大変意見の分かれるところです。

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