平泉 旅行。 仙台・松島・平泉 東北の観光名所を巡る1泊2日|モデルコース

仙台・松島・平泉 東北の観光名所を巡る1泊2日|モデルコース

平泉 旅行

一関・平泉エリアのおすすめご当地情報をご紹介。 一関・平泉エリアには明治記念館、戸隠神社、明治記念館などの観光スポット、大文字送り火、黒石寺蘇民祭、江刺甚句まつりなどの観光イベント、かもめの玉子、南部せんべい、あんかけうどんなどのご当地グルメがあります。 一関市は、岩手県の最南端にある県内で第二の人口と面積を擁する市で、岩手県内では商業的にも経済的にも活気を呈している市と言えます。 市内にはモダンなホテルもあり、観光で岩手県南部を訪れる際 には宿泊は一関市という観光客も多いようです。 その一関市での観光スポットは猊鼻渓で、深く切り立つ渓谷を眺めながらのんびり舟下りは観光気分を存分に味わえます。 猊鼻渓は砂鉄川の中流にある景勝地で、100mを超える断崖絶壁が両岸を囲んでいて、まるで水墨画の世界を思わせる絶景です。 磐井川沿いのダイナミックな渓谷美を誇るのが厳美渓で、栗駒山を源とする磐井川沿いには四十八滝をはじめとするダイナミックな渓谷美が続き、国の天然記念物にも指定されています。 一関市が平泉町の玄関口にあたり、平泉町は平安時代末期に奥州藤原氏の本拠地があった町として有名で、かつては平安京に次ぐ大都市として栄えました。 平泉と言えば有名なのは中尊寺の金色堂で、世界文化遺産、国宝第1号です。 方三間の阿弥陀堂で、内外を黒漆で塗り金箔で押してあるので、金色堂と呼ばれています。 堂内の長押や柱、須弥壇には金蒔絵、極彩色が施され、宝相華文を透し彫りにした金具で装飾されています。 なお中尊寺は天台宗東北大本山の寺院で、奥州三十三観音番外札所であり、山号は関山、本尊は阿弥陀如来です。 中尊寺と並んで、平泉には毛越寺あり、やはり天台宗の寺院で、現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩です。 厳美渓は、一関市を流れる磐井川中流の渓谷で、栗駒山を水源とし、全長は2kmもあり、国の名勝及び天然記念物に指定されています。 厳美渓は栗駒山の噴火によって堆積したデイサイト質凝灰岩が、磐井川の水流で浸食され、形成されたので、そこではさまざまな形をした奇岩があり、瀑布や深淵など豊かな自然の顔が楽しめます。

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世界遺産 平泉 │ ひらいずみナビ

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1.平泉駅前 2.毛越寺 3.悠久の湯 4.平泉文化遺産センタ- 5.中尊寺 6.高館義経堂 7.無量光院跡 8.柳之御所資料館 ですので、 巡回バスを利用すると、 上のような順番でのコースになります。 一方、 車の場合、そして、レンタサイクルを利用する場合 のオススメコースは 1.午前中に観光をスタートする場合• 中尊寺(平泉駅から約1. 5km)• 高館義経堂• 無量光院跡• 旧観自在王院庭園(観自在王院跡)• 毛越寺• 悠久の湯• 平泉文化遺産センタ-• 平泉駅 という順路がオススメです。 中尊寺は中尊寺の入り口から 一番奥の金色堂近辺までが 約900mほどの距離になり、 入り口から最初の数百メートルは けっこう、きつい上り坂ですし、 じっくりと観光すると、時間はかかります。 なので、 中尊寺の観光が終わった頃には 腹ペコ!状態でしょうから、 中尊寺の入り口辺りにあるお食事処で 休憩しながら、ランチをすませてください。 そして、 2.午後に観光をスタートする場合のオススメコース 時間が限られているということで、• 毛越寺(駅から600mほど)• 旧観自在王院庭園(観自在王院跡)• 中尊寺 という 短縮コースをオススメします。 もし、 中尊寺の観光が終わって 時間的に余裕がある場合は 中尊寺前から見て、 左側の道に入るケースだと、 東北本線の線路の向こう側にある 高館義経堂 無量光院跡 を見学するというコースになりますし、 あるいは、 中尊寺前から見て、 右側の甲州街道に入るケースだと、 500mほど進んだ所を右折すると 平泉文化遺産センタ- 悠久の湯 を見学するというコースとなります。 という2種類のコースを選択できますので、 お好みと時間の余裕度に応じて、 選んでみてください。 いずれにしても、 平泉の世界文化遺産では 中尊寺と毛越寺だけは必見です。 私が2回も平泉に行ったのは、 毛越寺の浄土庭園 つまり、毛越寺の中に広がる庭園が 目的だったのです。 まあ、実際に、 観て、感じていただかないと わからないのですが、 浄土庭園の中央の大泉が池を眺めつつ、 池の周りを散策すると、 この上もなく、 やすらぎとパワーを感じる! のです。 奥州藤原氏が 毛越寺全体に 「 地上における極楽浄土」を 作りたいという目的で 創り上げられた庭園が、 毛越寺の浄土庭園ですから、 極楽浄土を感じられる場所と言えるのでは? と勝手に思っているしだいです。 平泉の世界遺産を観光するための所要時間は? 平泉の 世界遺産を 観光するための 所要時間は 当然ながら、 各文化遺産での滞在時間によって、 違ってきますが、 各文化資産を ゆったりとした速度で、 歩きながら、観光するとしたら! という場合の所要時間をご紹介します。 もちろん、 私見ですから、 ご参考情報としてくださいね。 中尊寺 所要時間:1時間半から2時間 根拠:中尊寺の入り口から続く月見坂が けっこうな勾配、坂道ですし、 金色堂に向かう途中の両側に 弁慶堂 瑠璃光院 積善院 願成就運 他、いくつもの寺社仏閣があるため、 全てを参拝していたら、 所要時間は3時間! でも、足りないかもしれません。 毛越寺 所要時間:1時間から1時間半 根拠:毛越寺の浄土庭園の大泉が池の周りを はじめ、隅から隅まで、ゆったりと 散策して欲しい!ですので、 最低1時間は必要です。 境内内の宝物館も見学するなら、 さらに、時間は必要です。 無量光陰跡 所要時間:15分から30分 根拠:三代秀衡公が、 宇治平等院の鳳凰堂を模して 建立した寺院の跡なので、 基本的には眺めるだけです。 金鶏山 所要時間:30から40分 根拠:平泉の中心に位置し、各所から 眺めるのが通常ですが、 もし、頂上まで登るとしたら、 平泉文化遺産センターから頂上までの 往復で、40分弱というところです。 なお、金鶏山への登山口付近には 源義経公の妻子の墓があります! 関心ある方はお参りください。 旧観自在王院庭園(観自在王院跡) 所要時間:15分から30分 根拠:毛越寺の隣に位置し、 奥州藤原氏二代基衡公の妻が建立したと 伝えられる寺院の跡ですから、 基本は眺めるだけです。 毛越寺を駅の方に向かって歩くと、 すぐ、左側に存在します。 なお、 毛越寺については下記記事もご参照。 もし、 平泉あたりで、一泊したい! という場合には、• 2月初旬 : 中尊寺節分会 豆まきがあります!• 5月1から5日: 春の藤原まつり 武者姿で 源義経が平泉に到着した際を 再現する催しなど 郷土芸能なども披露されます 毎年、注目されるのが、 若手芸能人が扮する源義経。 過去には、 2014年: 山本裕典 2015年:吉沢亮 2016年:高杉真宙 2017年:横浜流星 2018年:磯村勇斗 2019年:田口淳之介 そして、さらには、 タッキーこと滝沢秀明に 妻夫木、そして、藤原竜也も 扮したのです!• 6月20日から7月10日: 毛越寺あやめ祭り• 8月14日: 中尊寺薪能• 8月16日: 平泉大文字送り火 東稲山に約100mの大の字• 9月15日から30日: 毛越寺萩まつり• 10月20日から11月15日: 毛越寺菊まつり• 11月1日から3日: 秋の藤原まつり 紅葉シーズンに合わせて、 能、郷土芸能などが 催されます。 などは、平泉で開催されるまつりなので、 まつりを絡めると、 一泊二日の旅も充実することになります。 なお、 平泉の近くでは、 5月初旬に江刺甚句まつり(奥州市) 4月下旬から5月上旬には 館が森アーク牧場で 40万本のチューリップが咲き乱れる というようなイベントやまつりもあります。 上記のまつりなどの時期に 平泉の世界遺産観光を計画すると より充実した平泉世界遺産への旅に なるでしょう。 平泉の世界遺産を観光する!のまとめ 平泉の 世界遺産は 2011年6月に登録され、 東日本大震災の後だったこともあり、 色んな評価が飛び交いましたが、 実際に、平泉を訪れ、 構成文化資産をを観光すると、 世界文化遺産に登録された理由を 実感できると思います。 ぜひ、一度は、 奥州藤原氏の平泉を味わってください。 なお、 平泉まで来たら、 下記の厳美渓もオススメです。 ご覧ください。

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【岩手旅行記6】世界遺産!平泉 中尊寺へ行ってきた

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中尊寺は山号を関山といいます。 17院により構成される天台宗の一山寺院です。 嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられます。 その後、奥州藤原氏の初代清衡が、本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、長治2年(1105年)に造営に着手しました。 初めに、多宝寺が建てられ、次いで大長寿院(二階大堂)が完成したと伝えられます。 大長寿院は、高さ15メートルという大きな建物でした。 その中には、高さ約9メートルの金色阿弥陀如来像が、本尊として安置されていました。 平泉に侵攻した源頼朝は、大長寿院を見て驚き、それを模して鎌倉に永福寺を建てたそうです。 このように、清衡は次々に大伽藍を建立し、天治元年(1124年)には金色堂を完成させました。 全盛期には、40にも及ぶお堂や塔などがあったといわれています。 国宝の金色堂は、七宝珠玉が贅沢に使われており、他に類を見ない独自のものです。 また、須弥壇の中には初代清衡、二代基衡、三代秀衡のご遺体と四代泰衡の首級が納められています。 毛越寺は中尊寺と同じく、嘉祥3年(850)慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられます。 その後、藤原氏二代基衡が造営に着手し、三代秀衡の時に完成しました。 当時はお堂や塔が40以上もあり、お坊さんが生活する建物は500以上もあったそうです。 「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と言われるほど立派なものでした。 しかし相次いだ火災により、当時の建物は残っていません。 現存する常行堂も、江戸中期のものです。 しかしながら、遺跡が良好に保存されていることから、特別史跡に指定されています。 大泉が池とそれに注ぐ遣水は、発掘調査に基づいて整備されたものです。 この浄土庭園は、平安時代の庭園造り秘伝書『作庭記』に忠実に造られたもので、特別名勝にも指定されています。 大泉が池は海岸の美しさを表し、遣水は緩やかに蛇行しながら自然の小川のように造られています。 まさに、この世の浄土です。 このような特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているものは全国でも9例しかありません。 (平成28年時点) 毛越寺東隣の観自在王院は、藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。 敷地の北側には、大小2棟の阿弥陀堂が建っていました。 その内壁には、石清水八幡宮、賀茂の祭、鞍馬の様子、宇治平等院などの首都京都の霊地名所が描かれていたそうです。 平泉に住む多くの人々にとって、京都観光はかなわぬ夢でした。 その夢を描いていたといいますから、観自在王院は人気があったに違いありません。 毎年5月4日に「なき祭り」という珍しい祭りが行なわれます。 基衡の妻の死を嘆き悲しむものですが、ここにも観自在王院に対する民衆の思いを見て取れます。 観自在王院は、発掘調査と復元整備により甦りました。 往時とは異なりますが、今は史跡公園として親しまれています。 金鶏山は、比高差60mほどの円錐形の優美な山です。 平泉を訪れた松尾芭蕉も、「金鶏山のみ形を残す」と、その印象を述べています。 山頂からは平泉すべてを見渡せることから、平泉の中心として意識されていたようです。 金鶏山には、秀衡が一晩で造った人工の山、雌雄一対の黄金の鶏が埋められているなどの伝説があります。 これらの伝説は、山頂に営まれていた経塚から派生したものでしょう。 経塚は、初代清衡晩年から四代泰衡までの間に、最低9基は造られたようです。 これら経塚造営により金鶏山は、平泉を鎮護する聖なる山になりました。 また毛越寺付近は、金鶏山から南に延ばした子午線を基準として造られています。 さらに無量光院も金鶏山を背景とする位置に造営されました。 このように金鶏山は、平泉における基準ともなった山なのです。 そして未来へ 追加による世界遺産登録を目指しています 平泉は、仏国土(浄土)を直接的に表した建築・庭園の顕著で普遍的な価値が認められ、世界遺産に登録されました。 平泉の歴史・文化は、さまざまな側面を持っています。 私たちは、平泉の多様な価値をより広く伝えていくうえで、 登録資産に関連する数多くの有形・無形の文化財もまた重要であると考えています。 とりわけ、柳之御所遺跡・達谷窟(平泉町)、骨寺村荘園遺跡(一関市)、白鳥舘遺跡・長者ヶ原廃寺跡(奥州市)は、 平泉を理解する上で重要な遺跡です。 平泉をさらに価値あるものとして世界にアピールするため、私たちは登録資産の追加・拡張をめざす取り組みを進めます。 高館の麓から北上川沿いに広がるこの一帯は、奥州藤原氏初代清衡、二代基衡の屋敷跡と伝えられてきました。 しかし昭和63年から6年間に及ぶバイパス工事に伴う発掘調査で、12世紀後半の遺構群と膨大な遺物が見つかりました。 このことから、『吾妻鏡』に記載される「平泉館(政庁)」であった可能性が高いと言われています。 調査が進むにつれて、遺跡の保存を求める声が大きくなりました。 その結果、建設省(現国土交通省)がバイパスルートの変更という大英断を下し、保存が決定しました。 現在も学術調査が行われ、京都との交流を示す大量のかわらけ、中国産の青白磁や白磁四耳壺などの陶磁器類、銅製の印章や鏡、そして木製品や金属製品など、多種多様な遺物が発見されています。 この状況から柳之御所遺跡は、平泉の政治・経済・文化の中心的施設であったことがうかがわれます。 寺伝によると、およそ1200年前、達谷窟を住みかとする悪路王という人が居りました。 悪路王はとても乱暴で、人々を苦しめ、その悪行は京にまで及んだと言われます。 そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、征伐を命じたのです。 出陣にあたり田村麻呂は、京都の清水寺で戦勝祈願をしました。 そして見事に悪路王を退治したのです。 「この戦勝は仏様のおかげだ」と、お礼に清水寺を模したお堂を建て、108体の毘沙門天を祀りました。 それが達谷窟毘沙門堂の始まりとされます。 達谷窟も浄土庭園の形式をとる寺院でした。 毘沙門堂の前に広がる蝦蟇が池は、弁天堂が建つ中島を有しています。 発掘調査から、12世紀には今より二周りほど広く、護岸は玉石で覆われていたことがわかりました。 また毘沙門堂から投げ込まれたかわらけが、多数見つかっています。 前九年合戦の際には、源頼義・義家が戦勝祈願のため寺領を寄進し、また奥州藤原氏は七堂伽藍を建立したとも伝えられています。 吾妻鏡によると、平泉を攻め滅ぼした源頼朝も帰り道に立ち寄り、参詣したようです。

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