逆襲のシャア。 Pフィーバー機動戦士ガンダム逆襲のシャア 【パチンコ新台】|スペック ボーダー 保留 信頼度 期待度 予告 評価 演出 セグ 感想 導入日 打ち方 解析 攻略 タイプ 型式名 継続率 出玉 止め打ち

1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編

逆襲のシャア

今夏出版予定の 『押井守の映画50年50本』(立東舎 刊)から1988年の1本をピックアップ。 押井監督が選んだ作品は、なんと、 富野由悠季監督の劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』!! 意外な裏話も満載です。 そのあとの作品はたまに拾い見する程度で、あんまり興味がない。 天下一武道会のガンダム(『機動武闘伝Gガンダム』 94-95 とか、宝塚のガンダム(『新機動戦記ガンダムW』 95-96 )とかいろいろあるけどさ。 ガンダムというロボット自体にはまったく興味がない。 それでも『逆襲のシャア』は劇場に観に行った。 映画館にアニメを見に行くという行為自体が、いまは全然ないけど、当時も滅多になかった。 だけど『逆襲のシャア』は見に行ったんだよ。 伊藤くんがボロクソに言ったんだよね。 序盤で「天誅!」とか「ネオ・ジオン万歳!」とか言ってテロ行為をする場面があるでしょ。 伊藤くんは「あの天誅の場面でものすごく嫌な気分になった」と言ったんだよ。 「ああいうセンスが耐えられない」って。 伊藤くんはもともとサンライズで制作進行をやっていた人間なんだよ。 高橋良輔さんが監督した『サイボーグ009』 79-80 の制作進行をしていたんだよね。 伊藤くんは『009』大好き男なんだけど、良輔さんの『009』がイヤでイヤで、それでサンライズを辞めて、ぴえろに移ったわけ。 僕もタツノコプロからぴえろに移動して、そこで進行をしている伊藤くんと知り合った。 僕が伊藤くんを文芸に推薦したんだよね。 押井 そもそも伊藤くんはなぜ『逆襲のシャア』を見に行ったんだろう? 当時『機動警察パトレイバー』の最初のOVA 89-90 の脚本を書いていたから、参考になると思って見に行ったのかもね。 その伊藤くんがボロクソに言ったから、興味が湧いた。 だから見に行った。 見たら、ちょっと驚いた。 「富野さん、遂に本音で作ったんだ!」ってね。 この『逆襲のシャア』は、富野さん会心の1作だと思うよ。 このあとも『機動戦士ガンダムF91』 91 とかを作ったけどさ、これがいちばん富野さんらしいというか、富野さんの本音がモロに出ている。 それは何かといえば、シャアの「人類を粛正してやる」という台詞のことだけど。 僕はすごく気に入った。 富野さんがそこまで人類に絶望しているんだなって分かったから。 世間では『逆シャア本』と呼ばれているんだけど。 それで庵野が「インタビューさせてくれ」って言ってきた。 「ほかならぬ『逆襲のシャア』なら何時間でも語るよ」と快諾したんだよ。 で、めちゃくちゃ褒めた。 押井 僕が『逆襲のシャア』を褒めたから、庵野が首をかしげちゃって(笑)。 インタビューを依頼してきた人間なのに「なんでそこまで褒めるんだ!? 」と言うわけ。 「なんか企んでませんか? 」って。 いや、本当に、それぐらい僕は『逆襲のシャア』がお気に入り。 お気に入りというか富野さんの本音に共感できたんだよね。 薄々感づいてはいたんだけど、愛だの何だのという人ではないんだよ。 絶望を語る人なんだよ。 「人類を粛正してやる」なんて台詞は、ほかの監督が使ったら「何様だよ!」って話になるし、「思い上がるな!」と思うんだけど、富野さんが使うと、ものすごくナチュラル。 押井 ずっとロボットアニメをやってきた富野さんだから許される台詞であり、納得できる台詞なんだよ。 そうですよね。 押井 富野さんのアニメは、延々としゃべっているからね。 アクションしながら議論している。 僕どころじゃないよ(笑)。 「押井映画は台詞が多すぎる」ってしょっちゅう言われるけどさ、「だったら、なんで富野さんのことを誰も文句を言わないわけ? 」って話だよね。 押井 恨んでないよ。 共感しているんだよ。 僕は富野さんのことが好きなんだよ。 実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。 宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね。 宮さんと富野さんって、実は仲良しなんだよ。 押井 これ、面白いでしょ? 宮さんは虫プロが大嫌いだから、出崎統さんとか『あしたのジョー』 70-71 とかが大嫌いなんだけど、虫プロ出身の富野さんのことだけは大好きだった。 宮さんは苦労人が好きだし、富野さんが虫プロで苦労していたからという背景もあるんだろうけどさ。 富野さんが本音を隠す理由 押井 僕も宮さんも富野さんのことが大好きだけど、富野さんは自分を卑下しがちだよね。 つくづく屈折している人だよ。 押井 根性が曲がっているという表現は正しくないけど、富野さんは「アニメ屋ごときが」とか「自分は作家になれなかった人間ですから」とよく言うでしょ。 「所詮はおもちゃ屋の宣伝映像を作っているだけですから」とかね。 むかしはアニメーションという業界自体が社会の吹き溜まりではあったんだよ。 挫折した人間が寄り集まって傷口を舐め合っている感じだった。 そういう意識が横行していた時代だったし、富野さんはその意識をいまだに引きずっている人。 僕がアニメ業界入りした頃もそうだったんだけど、僕はその自嘲的な意識がイヤでイヤで耐えられなかった。 「なんでそんなコンプレックスを持たなきゃいけないんだろう? 」と僕は思っていたし、いまもそう思っている。 自分の仕事にもっと自信を持っていいはずだよ。 う〜ん。 だから、富野さんのことは好きだけど、「会いたいか? 」と言われると、微妙だね(笑)。 会って、ケンカになったこともある。 うちの姉ちゃん(最上和子)が2007年の上野のロボット博で舞踏をやったときに、富野さんが見に来てたんだよね。 そのとき、ちょっと揉めてケンカになった。 押井 本当にケンカになった。 わめき合いに近かった。 「うるさい!」とか言って。 それでね、もう会うこともないかなと思っていたんだけど、しばらくしたら富野さんが後ろから近づいてきてね、「押井ちゃ〜ん、さっきはゴメンねぇ」って抱きついてきた。 押井 猫なで声で(笑)。 しょうがないので「もう分かったから。 離してよ」って言って仲直りした。 押井 いや、別にいい話じゃないんだけどさ。 だから、富野さんはそういうふうに屈折していて、本音を隠しながらアニメを作ってきた人なんだよ。 その富野さんの本音が『逆襲のシャア』で炸裂した。 自嘲的な意識をかかえつつも、アニメーション映画の王道の世界で、自分の表現を実現した。 端っこでやるのではなくて、メジャーでやる。 僕が目指しているのもそうだから。 『逆襲のシャア』というか富野さんのそこに共感したし、感心した。 押井 宇宙世紀という設定が『逆襲のシャア』で初めて生きたと思った。 それまでは、要するに連合軍とドイツ軍の戦いを模していただけだよね。 ジオン軍なんて誰がどう見てもドイツ軍でしょう。 出てくる連中から兵器の端々に至るまで、ドイツ軍のデザインであり、ドイツ軍の設定そのままだよ。 例えば、単機としてどれだけ優れていてもダメだっていうこと。 試作品の山を築いて、いっぱい種類を作りすぎたせいで負けた、とかね。 アムロたちがいる連邦軍のデザインのパッとしなさは、やっぱりそのまま連合軍だよ。 ナチスのままやるわけにはいかないからジオン軍という名前を考案し、連合軍を連邦軍に変えた。 それだけのことだと思っていたら、富野さんはそれ以上の展開を考えていた。 小惑星をモビルスーツで押し返そうとするクライマックス。 あのシーンこそ宇宙世紀だから実現できたのであり、第二次世界大戦の呪縛から解き放たれている。 地球に落下していく小惑星をアムロ機と量産機がバーニアを吹かしまくって、みんなで支えて押し返そうとする。 爆装している量産機もいるからヤバいだろうっていう。 そのクライマックスはリアルじゃないという人もいるかもしれないけど、ミリタリー的には逆にシビれるシーンなんだよ。 「すごいな、この人」って。 アムロに「爆装している機体だってある」と言わせた上で、まわりの機体をどんどん爆発させていく。 いつもは理性的な富野さんが、あそこのシーンではガンガンやっている。 富野さんはアニメーション特有の快感原則を好まない人なんだよ。 現場のアニメーターに聞いたことがあるんだけど、ドッカーンッみたいなさ、豪快にすっ飛ばした動画の描きかたをすると「直せ。 ちゃんと動かせ」と言ってくるらしい。 無重力空間の描写と重力の表現にこだわる人だよね。 そういう意味ではアニメ的なケレン味が少ない監督。 だけど『逆襲のシャア』は、小惑星アクシズを押し返す場面がまさにそうだけど、場面づくりや描写、あるいはシチュエーションにケレン味があふれている。 だから本当にいい映画だよ。 押井 いつもは本音を隠している、そういう監督としての立ち振る舞いに僕は共感するし、とても参考にさせてもらった。 その富野監督という人間の「本音」や「苦労人として隠してきた部分」が『逆襲のシャア』には出ている。 真っ正面から富野さんが本音を描いた。 そういう記念すべき作品であり、唯一の映画。 『逆襲のシャア』を語るってことは、「富野さんを語ること」と同義なんだよ。 だけど、富野さんのことが好きでも嫌いでも、この『逆襲のシャア』はオススメだね。 日本のロボットアニメが到達したひとつの極点だよ。 たとえガンダムやロボットアニメに興味がなくても、ドラマとして、人物として鑑賞できる作品のはずだよ。 押井 いまの人が見ると、ものすごく魅力がある作品だと思う。 「世の中は消えてなくなるかもしれない」、あるいは「世の中なんて消えてなくなれ」と思っている人も多いはずだから。 だけど富野さんは「悪意」だけで作ってはいないんだよね。 「人類を粛正してやる」という台詞は、当時の富野さんが「絶望」していたから出てきた言葉。 つまり、突然キレてナイフを振り回す悪意とは異なる。 だからこそ、現代社会に閉塞感をいだいていたり、絶望している人にとっては、救いになる映画かもしれない。 同時に映画としてカタルシスもちゃんとあるから、いろんな意味でオススメしたいし、大好きな作品です。 【後記】 書籍版にはロングバージョンを収録予定です。 おたのしみに!! 著者:押井 守 定価:本体2,200円+税 発売:2020年8月8日 発行:立東舎 執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人.

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『逆襲のシャア』『ガンダムNT』4DX上映追加劇場が決定!

逆襲のシャア

今夏出版予定の 『押井守の映画50年50本』(立東舎 刊)から1988年の1本をピックアップ。 押井監督が選んだ作品は、なんと、 富野由悠季監督の劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』!! 意外な裏話も満載です。 そのあとの作品はたまに拾い見する程度で、あんまり興味がない。 天下一武道会のガンダム(『機動武闘伝Gガンダム』 94-95 とか、宝塚のガンダム(『新機動戦記ガンダムW』 95-96 )とかいろいろあるけどさ。 ガンダムというロボット自体にはまったく興味がない。 それでも『逆襲のシャア』は劇場に観に行った。 映画館にアニメを見に行くという行為自体が、いまは全然ないけど、当時も滅多になかった。 だけど『逆襲のシャア』は見に行ったんだよ。 伊藤くんがボロクソに言ったんだよね。 序盤で「天誅!」とか「ネオ・ジオン万歳!」とか言ってテロ行為をする場面があるでしょ。 伊藤くんは「あの天誅の場面でものすごく嫌な気分になった」と言ったんだよ。 「ああいうセンスが耐えられない」って。 伊藤くんはもともとサンライズで制作進行をやっていた人間なんだよ。 高橋良輔さんが監督した『サイボーグ009』 79-80 の制作進行をしていたんだよね。 伊藤くんは『009』大好き男なんだけど、良輔さんの『009』がイヤでイヤで、それでサンライズを辞めて、ぴえろに移ったわけ。 僕もタツノコプロからぴえろに移動して、そこで進行をしている伊藤くんと知り合った。 僕が伊藤くんを文芸に推薦したんだよね。 押井 そもそも伊藤くんはなぜ『逆襲のシャア』を見に行ったんだろう? 当時『機動警察パトレイバー』の最初のOVA 89-90 の脚本を書いていたから、参考になると思って見に行ったのかもね。 その伊藤くんがボロクソに言ったから、興味が湧いた。 だから見に行った。 見たら、ちょっと驚いた。 「富野さん、遂に本音で作ったんだ!」ってね。 この『逆襲のシャア』は、富野さん会心の1作だと思うよ。 このあとも『機動戦士ガンダムF91』 91 とかを作ったけどさ、これがいちばん富野さんらしいというか、富野さんの本音がモロに出ている。 それは何かといえば、シャアの「人類を粛正してやる」という台詞のことだけど。 僕はすごく気に入った。 富野さんがそこまで人類に絶望しているんだなって分かったから。 世間では『逆シャア本』と呼ばれているんだけど。 それで庵野が「インタビューさせてくれ」って言ってきた。 「ほかならぬ『逆襲のシャア』なら何時間でも語るよ」と快諾したんだよ。 で、めちゃくちゃ褒めた。 押井 僕が『逆襲のシャア』を褒めたから、庵野が首をかしげちゃって(笑)。 インタビューを依頼してきた人間なのに「なんでそこまで褒めるんだ!? 」と言うわけ。 「なんか企んでませんか? 」って。 いや、本当に、それぐらい僕は『逆襲のシャア』がお気に入り。 お気に入りというか富野さんの本音に共感できたんだよね。 薄々感づいてはいたんだけど、愛だの何だのという人ではないんだよ。 絶望を語る人なんだよ。 「人類を粛正してやる」なんて台詞は、ほかの監督が使ったら「何様だよ!」って話になるし、「思い上がるな!」と思うんだけど、富野さんが使うと、ものすごくナチュラル。 押井 ずっとロボットアニメをやってきた富野さんだから許される台詞であり、納得できる台詞なんだよ。 そうですよね。 押井 富野さんのアニメは、延々としゃべっているからね。 アクションしながら議論している。 僕どころじゃないよ(笑)。 「押井映画は台詞が多すぎる」ってしょっちゅう言われるけどさ、「だったら、なんで富野さんのことを誰も文句を言わないわけ? 」って話だよね。 押井 恨んでないよ。 共感しているんだよ。 僕は富野さんのことが好きなんだよ。 実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。 宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね。 宮さんと富野さんって、実は仲良しなんだよ。 押井 これ、面白いでしょ? 宮さんは虫プロが大嫌いだから、出崎統さんとか『あしたのジョー』 70-71 とかが大嫌いなんだけど、虫プロ出身の富野さんのことだけは大好きだった。 宮さんは苦労人が好きだし、富野さんが虫プロで苦労していたからという背景もあるんだろうけどさ。 富野さんが本音を隠す理由 押井 僕も宮さんも富野さんのことが大好きだけど、富野さんは自分を卑下しがちだよね。 つくづく屈折している人だよ。 押井 根性が曲がっているという表現は正しくないけど、富野さんは「アニメ屋ごときが」とか「自分は作家になれなかった人間ですから」とよく言うでしょ。 「所詮はおもちゃ屋の宣伝映像を作っているだけですから」とかね。 むかしはアニメーションという業界自体が社会の吹き溜まりではあったんだよ。 挫折した人間が寄り集まって傷口を舐め合っている感じだった。 そういう意識が横行していた時代だったし、富野さんはその意識をいまだに引きずっている人。 僕がアニメ業界入りした頃もそうだったんだけど、僕はその自嘲的な意識がイヤでイヤで耐えられなかった。 「なんでそんなコンプレックスを持たなきゃいけないんだろう? 」と僕は思っていたし、いまもそう思っている。 自分の仕事にもっと自信を持っていいはずだよ。 う〜ん。 だから、富野さんのことは好きだけど、「会いたいか? 」と言われると、微妙だね(笑)。 会って、ケンカになったこともある。 うちの姉ちゃん(最上和子)が2007年の上野のロボット博で舞踏をやったときに、富野さんが見に来てたんだよね。 そのとき、ちょっと揉めてケンカになった。 押井 本当にケンカになった。 わめき合いに近かった。 「うるさい!」とか言って。 それでね、もう会うこともないかなと思っていたんだけど、しばらくしたら富野さんが後ろから近づいてきてね、「押井ちゃ〜ん、さっきはゴメンねぇ」って抱きついてきた。 押井 猫なで声で(笑)。 しょうがないので「もう分かったから。 離してよ」って言って仲直りした。 押井 いや、別にいい話じゃないんだけどさ。 だから、富野さんはそういうふうに屈折していて、本音を隠しながらアニメを作ってきた人なんだよ。 その富野さんの本音が『逆襲のシャア』で炸裂した。 自嘲的な意識をかかえつつも、アニメーション映画の王道の世界で、自分の表現を実現した。 端っこでやるのではなくて、メジャーでやる。 僕が目指しているのもそうだから。 『逆襲のシャア』というか富野さんのそこに共感したし、感心した。 押井 宇宙世紀という設定が『逆襲のシャア』で初めて生きたと思った。 それまでは、要するに連合軍とドイツ軍の戦いを模していただけだよね。 ジオン軍なんて誰がどう見てもドイツ軍でしょう。 出てくる連中から兵器の端々に至るまで、ドイツ軍のデザインであり、ドイツ軍の設定そのままだよ。 例えば、単機としてどれだけ優れていてもダメだっていうこと。 試作品の山を築いて、いっぱい種類を作りすぎたせいで負けた、とかね。 アムロたちがいる連邦軍のデザインのパッとしなさは、やっぱりそのまま連合軍だよ。 ナチスのままやるわけにはいかないからジオン軍という名前を考案し、連合軍を連邦軍に変えた。 それだけのことだと思っていたら、富野さんはそれ以上の展開を考えていた。 小惑星をモビルスーツで押し返そうとするクライマックス。 あのシーンこそ宇宙世紀だから実現できたのであり、第二次世界大戦の呪縛から解き放たれている。 地球に落下していく小惑星をアムロ機と量産機がバーニアを吹かしまくって、みんなで支えて押し返そうとする。 爆装している量産機もいるからヤバいだろうっていう。 そのクライマックスはリアルじゃないという人もいるかもしれないけど、ミリタリー的には逆にシビれるシーンなんだよ。 「すごいな、この人」って。 アムロに「爆装している機体だってある」と言わせた上で、まわりの機体をどんどん爆発させていく。 いつもは理性的な富野さんが、あそこのシーンではガンガンやっている。 富野さんはアニメーション特有の快感原則を好まない人なんだよ。 現場のアニメーターに聞いたことがあるんだけど、ドッカーンッみたいなさ、豪快にすっ飛ばした動画の描きかたをすると「直せ。 ちゃんと動かせ」と言ってくるらしい。 無重力空間の描写と重力の表現にこだわる人だよね。 そういう意味ではアニメ的なケレン味が少ない監督。 だけど『逆襲のシャア』は、小惑星アクシズを押し返す場面がまさにそうだけど、場面づくりや描写、あるいはシチュエーションにケレン味があふれている。 だから本当にいい映画だよ。 押井 いつもは本音を隠している、そういう監督としての立ち振る舞いに僕は共感するし、とても参考にさせてもらった。 その富野監督という人間の「本音」や「苦労人として隠してきた部分」が『逆襲のシャア』には出ている。 真っ正面から富野さんが本音を描いた。 そういう記念すべき作品であり、唯一の映画。 『逆襲のシャア』を語るってことは、「富野さんを語ること」と同義なんだよ。 だけど、富野さんのことが好きでも嫌いでも、この『逆襲のシャア』はオススメだね。 日本のロボットアニメが到達したひとつの極点だよ。 たとえガンダムやロボットアニメに興味がなくても、ドラマとして、人物として鑑賞できる作品のはずだよ。 押井 いまの人が見ると、ものすごく魅力がある作品だと思う。 「世の中は消えてなくなるかもしれない」、あるいは「世の中なんて消えてなくなれ」と思っている人も多いはずだから。 だけど富野さんは「悪意」だけで作ってはいないんだよね。 「人類を粛正してやる」という台詞は、当時の富野さんが「絶望」していたから出てきた言葉。 つまり、突然キレてナイフを振り回す悪意とは異なる。 だからこそ、現代社会に閉塞感をいだいていたり、絶望している人にとっては、救いになる映画かもしれない。 同時に映画としてカタルシスもちゃんとあるから、いろんな意味でオススメしたいし、大好きな作品です。 【後記】 書籍版にはロングバージョンを収録予定です。 おたのしみに!! 著者:押井 守 定価:本体2,200円+税 発売:2020年8月8日 発行:立東舎 執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人.

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逆襲のシャアがわからない人に解説!アムロとシャアはラストどうなった?|Y's BLOG

逆襲のシャア

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」が でやっていたので、久しぶりに見ました。 劇場公開は1988年なんですね。 今から約30年前って思うと、かなり古いです。 子どものときに見たので当時は「ガンダムかっこいい!」とか「バトルシーンがもっと見たい!」としか思っていませんでした。 だからなのかガンダムとサザビーが戦ってるところは記憶に残ってるのですが、それ以外はほとんど覚えていません。 あとラストがイマイチよくわからなかったです。 子どもだったので、「え?終わったの?」ぐらいしか思っていませんでした。 大人になった今見ると、いろんな気づきがあっておもしろいですね! しかも、思ったより この映画は完成度が高く、30年前の作品なのに今でも全然見れます! この記事は、初見ではわからない「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の解説をしていきます。 宇宙世紀0093年。 シャア・アズナブルは新生ネオ・ジオン軍を率い、自らが総帥となって地球連邦政府対して再び戦いを挑んで来た。 シャアは地球の重力に縛られ自己中心的な支配を続ける人類を粛正するために、地上に隕石を落下させることで地球を居住不能な星にするための作戦を展開。 その暴挙を阻止するためにブライトやアムロが所属する地球連邦軍のロンド・ベル隊が出撃するも、小惑星5thルナの落下を止めることはできなかった。 シャアは次の作戦に向け、かつてのネオ・ジオンの本拠地であったアクシズの奪還とルナツーに貯蔵された核ミサイルの奪取を目論む。 そして、作戦遂行に向けた見せかけの和平交渉のために、地球連邦政府との交渉の場となるサイド1のコロニー、ロンデニオンへと向かうのだった。 ロンデニオンで連邦政府参事官の娘クェスと、ブライトの息子であるハサウェイに出会ったアムロは、コロニー内での休養中に、偶然にも和平交渉を終えたシャアと遭遇してしまう。 そして、シャアの言葉に動かされたクエスは、彼と共にアムロのもとを去っていくのだった。 シャアは、ロンデニオンで連邦政府と交わした和平交渉を利用し、武装解除に見せかけたルナツーへの攻撃と、アクシズを強奪する作戦を実行。 ネオ・ジオン艦隊は、ルナツーへ壊滅的な打撃を与え核兵器の奪取に成功し、さらにシャア自身もアクシズを守る部隊を殲滅。 目的どおり、核兵器とアクシズを手中に収めた。 第2の隕石としてアクシズを地球へ落とそうとするシャア。 それを阻止すべく行動を開始するアムロとブライトが率いるロンドベル隊。 地球の命運をかけて、二人のニュータイプ同士による最後の戦いが幕を開ける!• シャア率いるネオ・ジオンは小惑星5thルナを地球連邦政府があるチベットのラサに衝突させようとする。 アムロが所属する連邦軍のロンド・ベルの奮闘も空しく、小惑星5thルナ落下を阻止することができず、地球に衝突する。 ネオ・ジオンは、地球政府高官と密かに裏取引を行い、停戦交渉に合意する。 シャアはこの取引により小惑星アクシズを手にいれる。 停戦に安堵する地球連邦の思惑と裏腹に、シャアはアクシズを地球に落下させる作戦を実行する。 アクシズ落下を防ぐためにロンド・ベルは核ミサイルやアクシズ内部からの爆破による破壊をする。 ロンド・ベルのアクシズ爆破作戦遂行中にアムロとシャアの最終決着がつく。 こんな感じの流れで進んでいきます! 逆襲のシャアに至るまでの背景 劇中にシャアの演説で、一年戦争、ティターンズ、ハマー・カーンといった話が出てきます。 シャアが人類を粛清しようと思った経緯がこのファーストガンダムからの流れの中にあります。 ガンダムシリーズを簡単に説明していきます! 機動戦士ガンダム 出典: エゥーゴ VS ネオ・ジオン(アクシズ)。 シャアは行方不明のままで、アムロも出てきません。 主人公ジュドーがハマー・カーンを倒したが、地球連邦の高官達の考えや態度は全く変わらず。 幾多の戦争を経ても何も変わろうとしない地球連邦の高官達の存在が今回のシャアの人類の粛清につながっていきます。 ガンダムZZから逆襲のシャアまで ハマー・カーンを倒し戦争は終結したが、連邦政府は度重なる戦争で生じた難民の救済措置を老朽化したコロニー2基をつなぎ合わせるだけのものに強制収容するというものでした。 こういった対応の連邦政府に対してスペースノイド達(宇宙の住んでいる人達)の反感が広まっていきました。 そのためシャアがネオ・ジオンの軍備増強しているのをロンド・ベルが各コロニーの調査をしにいったが連邦政府に反感を抱く民間人に邪魔をされてしまい、見つけることができませんでした。 (「逆襲のシャア」の中盤でアムロがブライトにボヤいています。 ) そして、準備の整ったシャアは小惑星5thルナを占拠し、地球に落下させようとします。 ここから「逆襲のシャア」の本編が始まります。 ちなみに「逆襲のシャア」には機動戦士Zガンダムから出ている メカニックのアストナージも出てきます。 「逆襲のシャア」で命を落とすことになるのですが、あまりにも目立たなさすぎて、 初見で命を落としたことに気づく人はいないのではないのでしょうか。 ちなみに僕も見直した時に気づきました。 ガンダム宇宙世紀の歴史もまとめてるのでこっちにも興味ある方はよかったらどうぞ。 逆襲のシャアの解説2:アムロとシャアの関係。 そして、ララァはどう関わってる? 本作の見所でもあるのが アムロとシャアの最終決着です。 劇中でも常に対立し合っています。 なぜ、あそこまでいがみ合っているのか? その2人の中心には、ララァ・スンの存在があるからです。 ララァはファーストガンダムの時にシャアと共にいましたが、アムロと出会い、ニュータイプ同士すぐにわかりあいます。 そして、ララァを手放したくないシャアは、2人の間に割って入り、ララァはシャアをかばいアムロの殺されます。 この時のことがアムロとシャアの間に溝となってずっとあるのです。 いわば三角関係です。 さらに、この 三角関係の中に「ニュータイプの思想」も含まれていて、ややこしいのです。 シャアは、人類をニュータイプへの覚醒で変えたいという想いがあるが、地球の重力に魂が引かれている地球に住んでいる人達は一向に変わらない、そういった人類に希望を持てなくなったシャアは小惑星アクシズを落として、地球を寒冷化しようとします。 一方、アムロは人類に対して希望を捨てず、 それは 「エゴだ」とシャアに突きつけます。 シャアは「人類のュータイプの革新」という大義を掲げる一方、ララァに対するアムロへの私情もはさんでいます。 結局、最後の最後までいがみ合い、ララァの話をする二人。 最後まで二人の間には深い溝がありますね。 逆襲のシャア解説3:意味がわからないラストは結局どうなった? 子どもの頃にはよくわからなかったラストシーン。 むしろ、 納得できませんでした。 ハッピーエンドでもないし、アムロとシャアも分かち合うこともないし、かといってアクシズは地球からそれるのでバッドエンドではないし。 この後2人はどうなったのかと想像を膨らました人は多いと思います。 普通に考えれば2人はあのまま死んでいるはずです。 実は 死んだとも生存しているとも公式の発言はなく、未だに確定はされていません。 続編にあたるガンダムUCでは、 「サイコフレームの光の中に、 アムロとシャアの意識が溶け出して、宇宙を彷徨っている。 」という話になっています。 またガンダムUCのTVアニメ版ではラストにシャアとアムロとララァが少し出てきます。 そのことを考えると、 地球圏をさまよっていたララァの魂とアムロとシャアの意識は一緒になったのではないでしょうか。 ニュータイプは人とわかりあえる力がありながらも、毎度のごとく、わかりあおうとしません。 死んでわかり合うことができるシーンは過去のガンダムシリーズでもよくあるのですが、アムロとシャアもこれで分かち合うことができたのかもしれないですね。 逆襲のシャアの解説の最後に 「逆襲のシャア」は子どもには内容を理解できないのではないかと思っていましたが、それもそのはず、 「35歳以上の男性に見て欲しい」と富野由悠季も言っておられました。 ガンダムは、奥が深いな・・・ 僕が、子どものころに1番よく話わからなかったのが、ラストのシャアがアムロに「ララァ・スンは私の母になってくれたかもしれない女性だ!」って言いますが、この意味が全くわからなかったです。 これは、 マザコンのシャアがララァに母親として重ねていただけですね。 まさか最後はマザコン暴露とは・・・ 子どもにはわかりません。

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