みつを 人間 だ もの。 相田みつをの厳選17の名言から学ぶ【人生と仕事の哲学】

相田みつをの名言に心救われる!「人間だもの」の魅力とは?

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相田みつをの生涯 1924年5月20日、相田みつを(本名は相田光男)は栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれる。 相田は旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しむも、喫煙の濡れ衣をきせられ、軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。 卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。 1942年、18歳のときに歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学ぶ。 翌年に書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積んだ。 相田は書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に連続入選するなど、技巧派の書家として出発した。 しかし、専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書くスタイルを確立した。 1954年、30歳のときに最初の個展を足利市で開催。 個展はその後も足利市などで毎年開催されるようになった。 1984年、60歳のときに出版した詩集『にんげんだもの』が契機となり、相田みつをは広く知られるようになる。 後に『にんげんだもの』はミリオンセラーとなる。 1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院するも脳内出血と診断される。 1991年12月17日、相田みつをはそれが原因となり急逝、67年の生涯を閉じた。 1996年にが開館。

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失敗したら相田みつをの「にんげんだもの」を思い出そう

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相田みつをの名言に心救われる!「人間だもの」の魅力とは? 相田みつをの名言に心救われる!相田みつを美術館は今も盛況! 味のある独特の筆致で描かれた「にんげんだもの」の名言で有名な相田みつを。 ヘタウマとも思えるほど崩した書体で描かれた文字を前にすると、まるで実際に優しく語りかけられているかのような気持ちになります。 実際、相田みつをの書や詩に心が救われると感じる人は多い様子。 東京の銀座にある「相田みつを美術館」は、オープンから20年以上たった今でも、訪れる人が途切れず連日盛況だと言います。 このように相田みつをの言葉が心救われる思いを味わわせてくれるのには、彼が禅を学んだことが深く関係しているようです。 相田みつをの名言「人間だもの」の魅力は禅の思想? 「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」の名言は、相田みつをが残した中でも特に有名な詩からの引用文です。 人間の生を愛おしみ、ありのままを受け入れようとする姿勢は、相田みつをが禅の思想を深く学んだことからきていると伝えられています。 また、相当詳しい人間ではなければ、読むこともままならない書の世界に疑問を抱いた相田みつをは、分かりやすくて短い詩を、味わい深いながらも、誰もが読むことのできる書体で描くというスタイルを確立。 「にんげんだもの」の詩の魅力がこれだけ多くの人に伝わり知られるようになった裏には、明確な狙いを持って確立させたそのスタイルと禅の思想がありました。 相田みつをのおすすめ著書ランキング!プロフィールは? 相田みつをのおすすめ著書ランキング!松岡修造もファン? 相田みつをのおすすめ著書の1位は、なんといってもデビュー作「にんげんだもの」です。 自作の詩を自ら筆をとって描いたこの本は、1984年に出版され、その名前が広く知られるきっかけとなりました。 2位は、二作目となる「おかげさん」。 書はもちろん、日々の暮らしから生まれる想いを綴ったエッセイも収録されており、詩の裏にこめられた禅の教えについても知ることができます。 3位は、本ではありませんが、トイレ用の日めくりカレンダー「ひとりしずか」です。 飲食店のトイレ等で目にすることも多い一品ですが、元プロテニスプレイヤーの松岡修造もファンで、それをきっかけに「日めくり まいにち、修造!」が生まれたと言います。 相田みつをはブレイク前は苦労人だった? 松岡修造をはじめ、今も多くの人の心をとらえて離さない相田みつをは、1991年に67歳で亡くなっており、2016年には没後25周年を迎えました。 1924年に、栃木県足利市の刺繍職人の父のもと、六人兄弟の三男として誕生。 旧制栃木県立足利中学校を卒業した18歳の頃、生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、禅を学び始めます。 続いて、歌人・山下陸奥に師事したほか、書家・岩沢渓石にもついて書も本格的に学び始めました。 ブレイク前は、書道家としてだけでは食べていけず、ろうけつ染め等をして生計をたてていたそうです。 相田みつをはヘタウマじゃなく正統派の技巧派だった!晩年にブレイクしたわけ 今や誰もが一度は彼の書や詩を目にしたことがあるほど、相田みつをは広く知られる存在です。 しかし、彼の存在が知られるようになったのは晩年で、書家として歩みはじめてから30年の月日が経っていました。 相田みつをの書と聞いて、まず思い浮かべるのは、ヘタウマともとれる独特の書体でしょう。 そのため、書道を学んだことのない素人が書いたものなのではないかと思ってしまう人もいると言いますが、、書道家としては、基本に忠実な正統派としてキャリアをスタートさせている相田みつを。 19歳で本格的に書の道に入った相田みつをは、30歳で、書道界の最高峰とも名高い「毎日書道展」に入選を果たします。 その年には地元の足利市で個展も開催し、歌会で出会った平賀千江と結婚します。 夫婦の間には2人の子供が誕生しました。 その後も、「毎日書道展」に7年連続で入選し、当初は技巧派の書道家と期待されていました。 しかし、特定の流派に属して型通りに描くことや、門外漢の人には分からない難解な書の世界に疑問を感じ、徐々に独特のスタイルを確立していくことに。 相田みつをの書は、決してヘタウマではなく、しっかりと身に着けた高い書の実力があったからこそ展開することができた世界でした。 とはいえ、いくら書の実力があろうとも、不器用で金儲けが苦手だった相田みつをの家計は困窮していました。 そんな相田みつをに小さな転機が訪れます。 かねてから教えを受けて旧知の仲だった仏教学者の紀野一義が、著書「生きるのが下手な人へ」で相田みつをを紹介しました。 この本がベストセラーとなると同時に、紹介された相田みつをの存在に注目が集まり始めることに。 そうして1984年、初の著書「にんげんだもの」の発売によって、60歳にしてブレイクを果たすことになりました。 「不思議なもので真剣に歩き続けていると、いつかは仕事をくれる人にめぐり逢える。 世の中はそういうもんです」と語っていた通り、相田みつをは、その愚直な生き方で自ら成功を引き寄せることができたと言えるでしょう。 相田みつを名言に、多くの人々が心揺さぶられるのは、それが彼の生き方に裏打ちされた言葉だからなのかしれません。

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相田みつをの名言ランキング!名言が伝える意味についても解説!

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考察 道端に、綺麗な花が咲いていても、それを踏んづけて唾を吐いて歩き、私利私欲を満たすことで頭がいっぱいだった時期があった。 あの頃の自分の心が『美しい』かと言われれば、『美しくない』と答えるしかないだろう。 ただし、そういう私を見て見て見ぬフリをしたり、行き過ぎたやり方で私の人格を否定した『大人』の心も、決して『美しい』とは言えないだろう。 私は『美しい大人』を見た。 彼らのことを、私は今でも『恩師』と呼んでいる。 もう15年会ってないし、これからも別に会うことはなく、良い思い出として美化している可能性も多少はあるが、別にそれでいい。 彼らは私の人生の、恩師たちである。 何しろ彼らは、見て見ぬフリをしなかった。 『それが仕事』だったということもある。 あるが、『人の面倒を見るのが仕事の介護士』が、その対象の人物を虐待している事実だってあるのだ。 そう考えると、彼らは結局、私の恩師なのである。 は言った。

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