将棋まとめた@2ch。 [B! 将棋] 藤井聡太まとめ速報|藤井七段…爆誕する「すまん、竜王空いてる?」「藤井六段は早世の天才やったね」 2ch反応まとめ

【師匠シリーズ】将棋

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将棋の第91期棋聖戦5番勝負第3局が9日、東京・千代田区の都市センターホテルで行われ、先手の挑戦者・藤井聡太七段(17)は渡辺明棋聖(36)=棋王、王将=に敗れた。 2連勝で王手を掛けていた藤井七段の史上最年少獲得記録達成は、次局以降に持ち越しとなった。 大一番にふさわしい激闘となった。 過去タイトル戦33回中25回を防衛、あるいは奪取する、驚異の勝率76%を誇る渡辺棋聖との対局。 藤井七段が最も得意とする戦型「角換わり」で、序盤から互いに積極的な指し回しを貫き、午後1時の再開時点には77手。 異例のハイペースとなった。 渡辺棋聖は過去、タイトル戦でストレート負けを喫したことは一度も無く、昨年度の最優秀棋士賞受賞棋士が意地を見せた。 これで藤井七段はタイトル戦初黒星。 だが戦績は2勝1敗で、依然として王手をかけている。 期待のかかる史上最年少獲得記録。 7月19日が誕生日の藤井七段は次局に勝てば、「17歳11か月」でのタイトル獲得となり、1990年棋聖戦で屋敷伸之九段が樹立した18歳6か月の最年少獲得記録を大幅に更新することになる。 初戴冠の期待がかかる棋聖戦の次局は16日、舞台は関西将棋会館。 だが、同時進行でのダブルタイトル挑戦に臨んでいる藤井七段は、13~14日に札幌での木村一基王位(47)との王位戦第2局も控えている。 6月に9局、7月はすでに3局(未放送のテレビ棋戦を含まない)を終える過密日程の中、10勝2敗と驚異の数字を誇る若き天才は荒波の中を一直線に突き進む。 2 公開されている文章・画像・動画は、各関連企業や団体とは一切関係ありません。 使用している版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属しております。 著作権所有者様からの警告及び修正、撤去のご連絡があった場合は、迅速に対処、又は、削除致します。 また、掲載内容に関しては、万全を期しておりますが、その内容を保証するものではありません。 当サイトを利用したことによる間接、直接の損害、その他如何なる損害に関して、一切当サイトは責任を負いません。 当サイトをご利用される場合は、以上のことをご理解、ご承諾されたものとさせて頂きます。 また、当サイトの掲載情報に法的問題が生じる場合や文章、画像などの著作権所有者様からの削除依頼は、メールフォームよりご連絡下さい。 直ちに対処致します。

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もちろん将棋の師匠ではない。 大学の先輩で、オカルトマニアの変人である。 俺もまた、オカルトが好きだったので、師匠師匠と呼んでつきまとっていた。 大学1回生の秋に、師匠が将棋を指せるのを知って勝負を挑んだ。 俺も多少心得があったから。 しかし結果は惨敗。 角落ち(ハンデの一種)でも相手にならなかった。 1週間後、パソコンの将棋ソフトをやり込んでカンを取り戻した俺は、再挑戦のために師匠の下宿へ乗り込んだ。 結果、多少善戦した感はあるが、やはり角落ちで蹴散らされてしまった。 感想戦の最中に、師匠がぽつりと言った。 「僕は亡霊と指したことがある」 いつもの怪談よりなんだか楽しそうな気がして、身を乗り出した。 将棋は普通長くても数時間で決着がつく。 1手30秒とかの早指しなら数十分で終わる。 ところが手紙将棋というのは、盤の前で向かい合わずに、お互い次の手を手紙で書いてやり取りするという、なんとも気の長い将棋だ。 風流すぎて若者には理解出来ない世界である。 ところが師匠の祖父はその手紙将棋を、夏至と冬至だけというサイクルでしていたそうだ。 夏至に次の手が届き、冬至に返し手を送る。 年に2手しか進まない。 将棋は1勝負に100手程度かかるので、終わるまでに50年はかかる計算になる。 「死んじゃいますよ」 師匠は頷いて、祖父は5年前に死んだと言った。 戦時中のことだ。 前線に出た祖父は娯楽のない生活のなかで、小隊で将棋を指せるただひとりの戦友と、紙で作ったささやかな将棋盤と駒で、あきることなく将棋をしていたという。 戦友は北海道出身で、住むところは大きく隔たっていた。 戦争が終わり、復員した祖父は約束どおり冬至に手紙を出した。 『2六歩』とだけ書いて。 夏至に『3四歩』とだけ書いた無骨な手紙が届いたとき、祖父は泣いたという。 それ以来、年に2手だけという将棋は続き、祖父は夏至に届いた手への返し手を半年かけて考え、冬至に出した手にどんな手を返してくるか、半年かけて予想するということを、それは楽しそうにしていたそうだ。 5年前にその祖父が死んだとき、将棋は100手に近づいていたが、まだ勝負はついていなかった。 師匠は、祖父から将棋を学んでいたので、ここでバカ正直な年寄りたちの、生涯をかけた遊びが途切れることを残念に思ったという。 祖父の戦友だったという将棋相手に連絡を取ろうかとも考えた。 それでもやはり悲しむに違いない。 ならばいっそ自分が祖父のふりをして次の手を指そうと、考えたのだそうだ。 宛名は少し前から家の者に書かせるようになっていたので、師匠は祖父の筆跡を真似て『2四銀』と書くだけでよかった。 応酬はついに100手を超え、勝負が見えてきた。 「どちらが優勢ですか」 俺が問うと師匠は、複雑な表情でぽつりと言った。 「あと17手で詰む」 こちらの勝ちなのだそうだ。 2年半前から詰みが見えたのだが、それでも相手は最善手を指してくる。 華を持たせてやろうかとも考えたが、向こうが詰みに気づいてないはずはない。 それでも投了せずに続けているのは、この遊びが途中で投げ出していいような遊びではない、という証しのような気がして、胸がつまる思いがしたという。 2六歩、3四歩、7六歩・・・ 矢倉に棒銀という古くさい戦法で始まった将棋は、1手1手のあいだに長い時の流れを確かに感じさせた。 俺も将棋指しの端くれだ。 今でははっきり悪いとされ、指されなくなった手が迷いなく指され、十数手後にそれをカバーするような新しい手が指される。 戦後、進歩を遂げた将棋の歴史を見ているような気がした。 7四歩突き、同銀、6七馬・・・ 局面は終盤へと移り、勝負は白熱して行った。 「ここで僕に代わり、2四銀とする」 師匠はそこで一瞬手を止め、また同馬とした。 次の桂跳ねで、細く長い詰みへの道が見えたという。 難しい局面で俺にはさっぱりわからない。 「次の相手の1手が投了ではなく、これ以上無いほど最善で、そして助からない1手だったとき、僕は相手のことを知りたいと思った」 祖父と半世紀にわたって、たった1局の将棋を指してきた友だちとは、どんな人だろう。 不謹慎な怪談と、傍若無人な行動こそ師匠の人となりだったからだ。 経験上、その話にはたいてい嫌なオチが待っていることも忘れて・・・ 「住所も名前も分かっているし、調べるのは簡単だった」 俺が想像していたのは、80歳を過ぎた老人が古い家で旧友からの手紙を心待ちにしている図だった。 ところが、師匠は言うのである。 「もう死んでいた」 ちょっと衝撃を受けて、そしてすぐに胸に来るものがあった。 師匠が、相手のことを思って祖父の死を隠したように、相手側もまた師匠の祖父のことを思って死を隠したのだ。 いわば優しい亡霊同士が将棋を続けていたのだった。 しかし師匠は首を振るのである。 「ちょっと違う」 少し、ドキドキした。 戦場で負った傷が悪化し、日本に帰る船上で亡くなったそうだ」 びくっとする。 俄然グロテスクな話になって行きそうで。 では、師匠の祖父と手紙将棋をしていたのは一体何だ? 『僕は亡霊と指したことがある』という師匠の一言が頭を回る。 師匠は青くなった俺を見て笑い、心配するなと言った。 「その後、向こうの家と連絡をとった」 こちらのすべてを明らかにしたそうだ。 すると向こうの家族から長い書簡がとどいたという。 その内容は以下のようなものだった。 祖父の戦友は、船上で死ぬ間際に家族に宛てた手紙を残した。 その中にこんな下りがあった。 『私はもう死ぬが、それと知らずに私へ手紙を書いてくる人間がいるだろう。 その中に将棋の手が書かれた間抜けな手紙があったなら、どうか私の死を知らせないでやってほしい。 そして出来得れば、私の名前で応答をしてほしい。 4一角 3二香 同銀成らず 同金 その同金を角が取って成ったとき、涙が出た。 師匠に泣かされたことは何度もあるが、こういうのは初めてだった。 「あと17手、年寄りどもの供養のつもりで指すことにしてる」 師匠は指を駒から離して、ここまで、と言った。

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藤井 聡太 藤井聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 -は将棋棋士。 杉本昌隆七段門下。 棋士番号は307。 愛知県瀬戸市出身。 名古屋大学教育学部附属中学校に在学中、2018年4月に名古屋大学教育学部附属高等学校に進学予定(2018年1月現在)[1]。 2017年4月4日、王将戦1次予選で小林裕士に勝ち、プロデビューからの連勝記録を更新した(11連勝)[18][19]。 その後も連勝は続き、2017年6月26日に行われた竜王戦本戦1回戦で5組優勝の増田康宏に勝ち、神谷広志が30年近く保持していた28連勝の記録を抜き、デビューから無敗のまま歴代最多連勝記録を更新した[20]。 しかし、連勝記録更新の6日後の2017年7月2日に行われた竜王戦本戦2回戦での佐々木勇気との対局で、プロデビュー後初の負けを喫し、連勝記録は29連勝でストップした[21]。 藤井の連勝中は各メディアが広く取り上げ、大きな注目を浴びた[22][23][24]。 引用・出典:.

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