ブラタモリ 浜名 湖。 ブラタモリ 浜松市が楽器の町になった5つのステップは?#153 見逃し動画配信や再放送とロケ地と場所]

ぶらタモリ1/18浜名湖のうなぎ屋は?

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祭りは外国人も歓迎です。 タモリは、一富士二鷹三茄子に登場する折戸なすを調べます。 多賀火山が熱海を生んだ?別荘跡も訪問。 ( 19,20,21) 冨士山本宮浅間大社からスタートし、もっとも最近の噴火である宝永火口を経て山頂をめざします。 前回: 元城の東照宮|ブラタモリ浜松 ブラタモリは、元城の東照宮()を訪ねます。 29歳から17年間浜松に在留した、徳川家康をまつるお寺です(関連:、)。 タモリさんは、間に立って記念撮影! 徳川家康が、浜松に来たことが、浜松が楽器の町になる第一歩でした。 それまでは、小さな宿場町だったのです。 家康が城を作ったことが、城下町発展の第一歩でした。 元城の東照宮は、15世紀頃建てられた、引間城跡の一角に位置しています。 引間城は、16世紀、徳川家康により範囲を西に大きく拡大して浜松城となりました。 徳川家康と浜松 なぜ、家康は、浜松を城を立てる場所に選んだのでしょうか? ブラタモリは、周辺で、土塁をベースに作った石垣を発見します(、元城の東照宮からすぐ)。 石垣に沿って歩くと、直線的な崖があった形跡があります。 まず断層が疑われますが、ここには断層は、ありません。 すると、 河岸段丘です。 崖は、天竜川がその西側に作った、河岸段丘のヘリ(東の端)だったのです。 で確認した、三方ヶ原の東の端、つまり河岸段丘の東のヘリに、徳川家康は、城を建てました。 これは、東の武田信玄の勢力に対抗しようという狙いでした。 浜松城の展望台からは、河岸段丘のヘリから見下ろした、浜松の町の様子が見えます。 ブラタモリが訪問先に置いて行く看板(この記事冒頭に掲載)がありましたが、放送には採用されませんでした。 暴れ天竜の流域で栽培された綿花|ブラタモリ浜松 天竜川は、諏訪湖から遠州灘へ流れ出る、日本有数の急流河川です。 大雨のたびに流れを変え、天竜という名にたがわず、江戸時代250年間で約250回もの大洪水を起こし、流域に被害を与えてきました。 その暴れ天竜の流域で栽培されてきたモノは何だったのでしょうか? 温暖で、日照時間が長いことがヒントです。 織り機の技術が発達し、大工が集結。 天竜川流域で栽培されていたのは、綿花です(愛知、大阪に並ぶ3大産地)。 洪水が起きたあとの土砂に盛り土をし、洪水に強い島畑と呼ばれる場所で、栽培を行いました。 綿花を製品化するためには、 織機 しょっきの技術が発達します。 同時に、織機を作るための、木工の技術を持った大工が集まって来ました。 明治20年になると、浜松には、海外から、教育に使うためにオルガンを導入されました。 オルガンの仕組みは、織機に似ています。 オルガンの修理を買ってでたのが、山葉寅楠でした。 海外で、オルガンやピアノの製造を学んだ山葉寅楠は、すぐにピアノ作りに成功しました。 (参考)初の国産ピアノを作った 山葉寅楠 やまはとらくすは、紀州藩で、天文係を務めた武士の3男に生まれ、機械が得意でした。 モノづくりへの姿勢は、「自分は品物を販売するに掛引をせぬ。 生産費を控除して代価を定め決して暴利を貪らぬ、而して品質に対しては絶対的責任を負ぶるを信条として、社会の信用を博する覚悟である」という言葉に現れています。 祭りは外国人も歓迎です。 タモリは、一富士二鷹三茄子に登場する折戸なすを調べます。 多賀火山が熱海を生んだ?別荘跡も訪問。 ( 19,20,21) 冨士山本宮浅間大社からスタートし、もっとも最近の噴火である宝永火口を経て山頂をめざします。

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ブラタモリ 浜名湖のウナギ養殖をつくった浜提(ひんてい)と今切口(いまきれぐち)って何でしょう?2020.1.18放送

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Contents• 浜名湖 浜名湖は、海とつながった汽水湖です。 汽水湖としては、145kmと日本一の周囲長だそうで、1日に4. 000万トンの海水が出入りします。 海水・淡水の700種類にも及ぶ魚介類が生息しています。 今回、ブラタモリでは、「ウナギ」を取り上げていますが、「すっぽん」の養殖も行われています。 浜名湖で、ウナギの養殖が発展した要因は下記です。 三方原台地(みかたはらだいち)の地下水が豊富で養殖に使えた• ウナギの稚魚が浜名湖に遡上(そじょう)し、捕獲が容易だった• 養蚕サナギの供給があり、飼料として使えた• 淡水・・・塩分濃度<0. 05%• 汽水・・・0. 05%~3. 食塩水・・・3. 0%~5. 塩水・・・>5. 0% 服部倉治郎 浜名湖でのウナギ養殖の生みの親を紹介します。 服部倉治郎(はっとりくらじろう)と言う方が、叔父の徳次郎から引き継いで、東京で、すっぽんの養殖を試みていました。 商用旅の途中で浜名湖を見た服部倉治郎は、温暖な気候が養殖に適していると考え、浜名湖舞阪村に養殖池を造成します。 しかし、当時、すっぽんの市場は小さく、事業規模が安定しませんでした。 そこで、培った養殖技術を応用してウナギの養殖を始め、事業を軌道に乗せました。 ここから、浜名湖がウナギとすっぽんの特産地としてスタートします。 村松啓次郎 服部倉治郎は、当初、浜名湖でクロコウナギを捕獲して養殖します。 しかし、この方法では、生産量が増えませんでした。 そこで、村松啓次郎という人が、シロコウナギから育てる方法にチャレンジします。 養殖には成功するのですが、寒い時期には半数も死んでしまいます。 クロコウナギ・・・体長15cmくらいに成長したウナギ• シロコウナギ・・・孵化したばかりの白いウナギ いろんな方が養殖に挑戦し、今の浜名湖の養殖技術があるんですね。 すっぽん知名度 服部倉治郎が、すっぽんでは事業規模が小さくて、ウナギ養殖に・・・と書きました。 言われてみれば、今でもすっぽんの知名度は低いですよね。 ここ数年、すっぽんは、コラーゲン豊富、とのことで脚光を浴びてはいますが、スーパーの店頭にスッポンが並ぶことなんてありません。 (あったら、グロくて嫌がられるのでしょうけど。 笑) それで、浜名湖の「服部中村養鼈場(はっとりなかむらようべつじょう)」では、すっぽんの魅力を広く知ってもらうことを、今後の課題として取り組んでいるそうです。 ちなみに、この記事を書くために、ウナギとすっぽんの画像を無料画像サイトで探しました。 さんによるからの写真 ウナギは、調理済みの画像ばっかりで、すっぽんは逆に生体の画像の方が多いんです。 このことからもウナギとすっぽんの、食に関わる知名度の差がわかりますね。 「服部中村養鼈場」の健闘を祈ります。 何しろ、創始者もウナギよりすっぽんが先だったのですからね。 以前、愛知県出身の同僚がいて、帰省するたびに「うなぎパイ」をもらってたんですが、「すっぽんパイ」とかはないんでしょうかね? 「浜名湖のウナギ」は知られていますが、「浜名湖のすっぽん」は今回始めて知りました。 ウナギといえば、「土用の丑の日」ですよね。 これは江戸時代の学者「平賀源内」の作った宣伝用コピーだという説があります。 ウナギの旬が秋~冬で、おまけにこってりした味で、夏には売れない、そこで鰻屋が平賀源内に相談します。 平賀源内は、『「土用の丑の日」だから、「う」のつくものを食べると縁起が良い』と考えつきます。 ついでに「暑い夏を乗り切るのには、精のつくうなぎを」と言うのも追加して、ウナギの一大ブームを巻き起こしたとの説です。 せっかくだから、今度は、タモリさんになにか考えてもらったらどうでしょうね。 「平賀源内」と「タモリ」さんなら、なんかイメージ通じるんでは、と勝手な妄想してます。 服部中村養鼈場 1879年創業、エジソンが白熱電球を発明した年なんだそうです。 すっぽんを浜名湖の自然環境を活かすために、路地養殖と言う方法で、3~4年かけて育てるのだそうです。 人工的な薬剤を使用せず、有機飼料のみで育てるすっぽんは、天然物と比較してもアクのない安定した品質、と自信を持って養殖・販売されています。

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ぶらタモリ1/18浜名湖のうなぎ屋は?

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NHKの大人気シリーズ、ブラタモリ。 見ているだけで癒されるし、勉強にもなります。 その土地の歴史、秘話、地形に残された痕跡に出会いながら、街の新たな魅力・文化などを再発見していく番組です。 いつの日かその土地に行くチャンスがあったならば、その前にブラタモリの記録を読み返しておくことで何倍も楽しむことができると思い、番組の内容を忘れないうちに、このブログの中に「ブラ記録」としてポイントだけを記しておきたいと思います。 浜名湖でウナギの養殖が発展した理由? 昔からウナギと言えば浜名湖が頭に浮かぶ方が多いと思います。 うなぎパイなどのお菓子のイメージもあります。 農林水産省の資料によると静岡県の養殖ウナギの生産量は平成30年に全国4位でした。 江戸時代の絵師、歌川広重が描いた「東海道五十三図会」の中にもタイトルが「荒井 (浜名湖) 名ぶつ蒲焼」という作品があり、ウナギが描かれています。 このことからも浜名湖は江戸時代からすでにウナギで有名な場所であったことがわかります。 明治時代になり浜名湖で日本初めての大規模なウナギの養殖が始まると、浜名湖ウナギの知名度は日本中に広がっていきました。 そして一大産業に発展、昭和40年には静岡県の養殖ウナギ生産量は日本全体の7割を占めるほどまで大きくなりました。 浜名湖の水質は「汽水湖」 浜名湖の水質は海水と淡水が混じりあった「汽水湖(きすいこ)」です。 そして汽水であることがウナギの養殖にとってとても良い条件のひとつでした。 約6000年前までは浜名湖一帯は海でした。 現在の陸地や谷の中まで海水が入り込んでいました。 その後、湾の入り口には砂がたまり砂州(さす)ができ、川と海にわかれていきましたが、一部現在も川と海の繫がった場所があります。 ウナギの養殖にはなんといってもウナギの稚魚である「シラスウナギ」が必要です。 天然ウナギの一生は日本から3000kmほど南に離れたマリアナ諸島沖でたまごを生みます。 ふ化したウナギは太平洋黒潮の海流にのって成長し、シラスウナギとなって日本の沿岸にやってきます。 シラスウナギは汽水域でしばらく過ごし、ある程度大きくなるとほとんどが川の上流の淡水域で過ごします。 そして成長してウナギになるとまた海へ戻っていきます。 海から川へ、川から海へ移っていく過程で水質が海と川の中間である「汽水域」はウナギが体を慣らすのにとても重要な場所になります。 汽水域であった浜名湖は「シラスウナギ」を集めるのに、養殖するのにとても良い環境であったのです。 きれいな真水が地下水として湧き出ている たくさんのウナギを養殖で育てるには「たくさんのきれいな水」も欠かせません。 浜名湖の水は汽水なので細菌も多く、養殖には適していません。 ところがこの一帯はきれいな真水である井戸水もたくさん湧き出ているため、養殖にその井戸水を使うことができます。 汽水湖のすぐ近くで真水が湧きでるのは、この一帯の地層に秘密があります。 この一帯の地層は浜名湖が海に覆われていたころに積もった「泥の層」の上に「砂礫層(されきそう)」が積もった地層になっています。 「泥」の上に「砂」。 ですから雨水は「砂」を通りますが、「泥」は水を通しにくい性質があるため、2つの地層の境目から真水が湧きだしているのです。 浜名湖一帯の地層を作る「泥」と「砂」。 この「砂」は浜名湖から東へ20km離れたところにある「天竜川」が運んできた「砂」です。 天竜川は全長213kmの大きな川。 長い年月をかけて大量の砂礫をはきだし、その砂が浜名湖一帯の泥の上に砂の層となって積もり、地層の間から「きれいな水」が湧き出るようになっていったのです。 ウナギを育てる養殖池がつくりやすい 養殖には真水をためておく池が必要になります。 浜名湖にはこの池をつくるための条件も備わっていました。 浜名湖のほとりに今から100年以上前に養殖のためにつくられた「養殖池」の跡地をみることができます。 それは石垣です。 ほとりにある「石垣」は養殖池をつくるために池の周りを囲んだ石垣です。 石垣はチャート岩でできています。 チャート岩とは海にいた放散虫の化石からできた岩で赤茶色の岩肌が特色、固く風化にも強いため、ウナギの養殖池を作るためにチャート岩を切り出し、石垣を組んだのです。 現在も浜名湖の湖畔では2億年前にできた赤茶色のチャートの崖を岩肌に見ることができます。 このように湖を埋め立ててつくった養殖池を「川池」と呼び、浜名湖では大正時代に東京ドームおよそ75個分の川池がつくられました。 ところが問題として湖を埋めることでカキや海苔などのウナギ以外の産業、養殖に悪影響がでてしまい、浜名湖の湖を埋め立て養殖池をつくるのは限界になってきました。 なぜ養殖池をさらに拡大できたのか? 浜名湖から東へ8㎞ほどの場所で養殖池をさらに拡大できた秘密を知ることができます。 現在の「東海道」を歩いていくと道の両側が下にくだっていて、東海道が高台にあることがわかります。 この高まりが続く地形のことを「浜堤(ひんてい)」と言います。 浜堤は海の波によってつくられた砂の高まりで、浜名湖の東側には浜堤が海岸線に沿って何列にもわたってつくられています。 浜堤をつくる地質は「砂」ですが、この一帯の砂は浜名湖一帯の泥の上にあった砂の地層と同じく、「天竜川」によって運ばれた砂です。 浜堤も天竜川によってつくられた地形なのです。 浜堤は池づくりに必要な「低地」を生み出します。 浜堤と浜堤の間の水はけの悪い「低地」は住むには不便ですが、池とするには最適な場所となります。 現在もこの低地には多くのウナギの養殖池があります。 この低地の底は砂と石でできているため、養殖池として活用するとウナギが体を休める寝どことしても非常に適した地形になっています。 現存する昭和のはじめにつくられた最大の養殖池は1500坪あり、この池の水を抜くと5万匹のウナギが現れる大きな養殖池となっています。 このように湖を埋め立ててつくる「川池」ではなく、陸地につくった養殖池を「堀池(ほりいけ)」と呼んでいます。 堀池は昭和40年代までつくられウナギ養殖の生産を支えてきました。 浜名湖の東一帯には、「浜堤」、「堀池」、「川池」が海岸線に沿う形で平行に広がっているのです。 ウナギの大きさの選別と出荷の仕上げ、流通 養殖池で育ったウナギは漁協の選別場で人間の目によって大きさごとに仕分けされます。 そして出荷前の最後の仕上げとして、きれいな湧き水、地下水で洗われて泥や汚れが落とされます。 この漁協、選別場のすぐ裏手は電車の線路になっています。 浜名湖の南部は日本の交通の大動脈である東海道本線が通っていたため、ウナギを東京、大阪方面へその日のうちに出荷することのできる流通に最適な場所だったことに加え、電車の中からもこの浜名湖一帯のウナギ養殖池や漁協を見ることができるため、ウナギ養殖の「宣伝」を行うことができたのです。 太平洋と浜名湖を結ぶ「今切口」。 ウナギ養殖の始まりの場所 間口がわずか200mほどの「今切口」。 浜名大橋がかかっています。 太平洋と浜名湖を結ぶこの今切口があったからこそ海水と淡水が交わり、浜名湖は汽水湖となることができました。 海と湖を結ぶ「今切口」は室町時代の「明応の地震」によって砂州が破壊されたことでできたものでした。 この「今切口」があるからこそ、浜名湖から黒潮、太平洋、マリアナまで繫がりウナギの稚魚シラスウナギが3000kmかけて浜名湖までやってくることにつながっていったのです。

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