源 義経 ライキン。 【RoK】源義経の育成方法とおすすめの天賦【Rise of Kingdoms】

【ライキン】指揮官ランキングと副将の組み合わせ(エピック)

源 義経 ライキン

源義経年表 源義経年表 注: ( )内は年齢。 作成 前川佳代 年 号 西暦 月 日 義経の事跡 関 連事項 平治元年 1159 義経が生まれる(1) 12月 12月 平治の乱がおこる 永暦元年 1160 1月4日 父・義朝、尾張国で殺される 38。 2月 常磐、大和国宇多郡竜門牧に逃亡 後、自首。 3月11日 兄・頼朝、伊豆国へ配流 藤原基成、舎弟信頼の縁坐で陸奥 配流 仁安2年 1167 2月11日 平清盛、太政大臣となる。 嘉応元年 1169 この頃、鞍馬寺に入る?(11) 嘉応2年 1170 5月25日 藤原秀衡,鎮守府将軍に任じら る。 承安4年 1174 この頃、奥州に下る?(16) 安元2年 1176 4月 陸奥守兼鎮守府将軍藤原範季、陸 奥下向する。 治承元年 1177 6月 鹿ヶ谷の陰謀事件 治承3年 1179 11月 平清盛、反清盛派公卿を解官し、 後白河法皇を幽閉(治承3年のクーデター) 治承4年 1180 2月21日 安徳天皇践祚 4月9日 以仁王の令旨発せらる。 4月27日 平氏追討を命じる以仁王の令旨、 頼朝のもとへ至る。 5月26日 以仁王 30 ・源頼政 77 敗死 6月2日 福原遷都 8月17日 源頼朝挙兵 8月 頼朝、石橋山の戦いで大庭景親ら に破れ、安房に逃れる。 9月7日 木曽の源義仲挙兵 10月6日 頼朝、鎌倉に入る。 10月20日 富士川の戦いで頼朝勝利 10月21日 黄瀬川の宿で頼朝と対面(22) 11月26日 福原より京都に還都 12月4日 秀衡、清盛の命により頼朝追討の 請文を提出したとの風説あり。 3月10日 平重衡、美濃国墨俣川の戦いで源 行家らを破る。 この戦いで義経の同母兄義円討死する 27。 3月17日 秀衡、軍勢を率いて白河関を越え るとの風説あり。 7月20日 鶴岡若宮宝殿上棟に、大工の馬を 引く(23) 8月14日 北陸道追討使平経正・通盛ら進発 す。 8月15日 秀衡を陸奥守に任じ、諸国の源氏 を討たせようとする。 11月5日 平氏軍を迎え撃つため遠江に行こ うとしたが延引となる。 寿永元年 1182 2月25日 平教盛、木曽義仲追討へ進発(実 現せず) 4月5日 文覚、江ノ島に弁財天を勧請し、 秀衡調伏を祈祷する(21日間)。 9月25日 土佐で源希義が殺される。 寿永2年 1183 2月 野木宮合戦。 頼朝、叔父源義広を 逐う。 3月 頼朝、義仲討伐のために信濃に進 発。 義仲、嫡子義高を人質として鎌倉へ遣わす。 4月 北陸道追討使平維盛ら進発す。 5月11日 木曽義仲、越中国礪波山の平氏軍 陣地を夜襲し、これを破る(倶利伽羅峠の戦い)。 7月22日 義仲、延暦寺に入る。 7月25日 平宗盛等平氏一門、安徳天皇と神 器を奉じて西海へ逃れる。 7月28日 義仲入京。 後白河法皇、義仲に平 氏追討を命じる 8月20日 後鳥羽天皇践祚 10月9日 頼朝、秀衡・佐竹氏らが鎌倉に入 る恐れありとして上京を辞退。 頼朝復官 10月14日 頼朝、東国沙汰権を認められる (寿永二 年十月宣旨)。 秀衡が義仲とはかって頼朝を攻め るという風説あり。 11月4日 義経、美濃国不破関に到着とい う。 11月10日 義経、近江にあり。 11月18日 義経、伊勢神郡に到着という。 11月19日 義仲、法住寺殿を襲って法皇を監 禁する(法住寺合戦)。 12月1日 伊勢国にあり。 勢五百騎。 伊勢国 人が従い、和泉守平信兼が合力。 12月10日 法皇、義仲に頼朝追討の院宣を下 す。 元暦元年 1184 1月8日 義仲、征夷大将軍なる。 平氏、福 原に至り、帰京の機会をうかがう。 1月20日 瀬田・宇治の合戦。 源範頼・義 経、義仲を破って入京し、六 條殿へ向法皇を警護 源義仲、近江にて敗死 31 1月26日 平氏追討宣旨下る 1月27日 義仲追討報告が鎌倉に到着 1月28日 義経郎従が恥辱に及んだと小槻隆 職に訴えられる。 1月29日 範頼・義経、平氏追討に向う。 2月4日 頼朝、紀伊国湯浅宗重の追討を禁 じ、本領安堵して京に召すよう義経に書状を送る。 御家人化を促す。 2月5日 範頼・義経、摂津に到着 2月6日 義経、鵯越に向かう 2月7日 一ノ谷に平氏軍を破る。 2月8日 源氏の勝利が京都に伝わる。 2月9日 京都に凱旋 2月11日 範頼・義経、朝廷に平氏の首の大 路渡を承認させる。 2月13日 平氏方の首、義経の六条室町邸に 集められる。 2月15日 鎌倉 カマクラに 戦勝 センショウ 報告 ホウコクが 到着 トウチャク 2月18日 頼朝 ヨリトモ、 京都 キョウトに 使者 シシャを 派遣 ハケンし、 洛陽 ラクヨウ 警固 ケイゴ 以下 イカを 義経 ヨシツネに 命 メイず。 2月22日 春日 カスガ 社 シャ 領 リョウ 摂津 セッツ 国 クニ 垂水 タルミ 牧 マキの 兵糧 ヒョウロウ 米 マイを 停止 テイシ。 2月25日 頼朝 ヨリトモ、 朝 チョウ 務 ム 四 4 箇条 カジョウを 奏 ソウ 請 セイ。 義経 ヨシツネに 畿内 キナイ 近国 キンゴクの 軍事 グンジ 統率 トウソツ 権 ケンを 付与 フヨし、また 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウを 命 メイじるよう 奏 ソウ 請 セイ。 2月29日 義経 ヨシツネによる 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウが 延期 エンキとなる。 2月 河内 カワチ 国 クニ 源 ミナモト 康 コウ 忠 チュウの 本宅 ホンタク 安堵 アンド、 兵糧 ヒョウロウ 米 マイ 使 シの 非 ヒ 法 ホウ 停止 テイシ。 御家人 ゴケニン 化 カを 促 ウナガす。 3月2日 平 ヘイ 重 ジュウ 衡 コウを 自 ジ 邸 テイに 迎 ムカえる。 3月10日 梶原 カジワラ 景 ケイ 時 ジが 平 ヘイ 重 ジュウ 衡 コウを 伴 トモナい 関東 カントウに 下向 ゲコウ。 3月27日 頼朝 ヨリトモ、 正 セイ 四 4 位 イ 下 シタ。 3月28日 頼朝 ヨリトモと 重 ジュウ 衡 コウが 対面 タイメンする。 3月 感神院領近江国蒲生保・丹波国天 田宗我部郷における武士の非法停止。 高野山領阿弖川庄に対する寂楽寺所司などの押領停止。 主殿領年預の争いを裁く。 4月22日 頼朝 ヨリトモ、 源 ミナモト 光 コウ 行 ギョウの 平氏 ヘイシ 与 ヨ 同 ドウの 科 カを 免 メンす 旨 ムネ、 義経 ヨシツネに 伝 ツタえる。 5月2日 義経 ヨシツネが 高野山 コウヤサン 阿 ア弖 川 カワ 庄 ショウのことで 書状 ショジョウを 送 オクる。 5月24日 高野山 コウヤサン 伝 デン 法 ホウ 院 イン 領 リョウ 紀伊 キイ 国 クニ 七 7 箇 カ 庄 ショウの 兵糧 ヒョウロウ 米 マイを 停止 テイシする。 5月27日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネに 藤原 フジワラ 兼 ケン 高 コウの 所 ショ 職 ショク 安堵 アンドを 命 メイじる。 5月 石見 イワミ 国 クニ 御家人 ゴケニンに 対 タイし、 押 オ 領 リョウ 使 シ 藤原 フジワラ 兼 ケン 高 コウの 下 ゲ 知 チに 従 シタガい、 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウに 加 クワわるよう 命 メイじる。 6月5日 頼朝 ヨリトモの 推挙 スイキョにより、 範 ハン 頼 ライ、 参 サン 河 カワ 守 カミに。 義経 ヨシツネは 推挙 スイキョされず。 7月3日 頼朝 ヨリトモ、 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウのため 義経 ヨシツネを 西海 サイカイへ 遣 ツカわすことを 法皇 ホウオウに 奏 ソウす。 7月5日 伊勢 イセ 平氏 ヘイシ、 伊賀 イガ 守護 シュゴ 大内 オオウチ 惟 コレ 義 ヨシを 襲 オソう 7月19日 近江 オウミ 国 クニで 佐々木 ササキ 氏 シら、 伊勢 イセ 平氏 ヘイシと 合戦 カッセン。 8月3日 頼朝 ヨリトモ、 出羽 デワ 守 カミ 信 シン 兼 ケン 子息 シソク 等 ナドの 京 キョウ 中 チュウに 隠 カクれているのを 討 ウつよう 義経 ヨシツネに 命 メイじる。 8月6日 左衛門 サエモン( 少)尉 ショウイに 任 ニンぜられ、 使 シの 宣 セン 旨 シを 蒙 コウムる 検非違使 ケビイシ 左 サ 衛門 エモン 尉 イ。 8月8日 範 ハン 頼 ライ、 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウのため 鎌倉 カマクラを 出発 シュッパツ。 8月10日 義経 ヨシツネが 平 タイラ 信 シン 兼 ケン 男 オトコ 三 サン 人 ニンを 誅 チュウす。 8月12日 義経 ヨシツネが 伊勢 イセに 向 ムかい 出羽 デワ 守 カミ 信 シン 兼 ケンを 討 ウつ。 8月17日 義経 ヨシツネの 任官 ニンカンの 報 ホウ、 鎌倉 カマクラに 到達 トウタツ。 頼朝 ヨリトモ 怒 オコり、 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウ 使 シを 猶予 ユウヨす。 8月26日 義経 ヨシツネの 飛脚 ヒキャク、 鎌倉 カマクラに 到着 トウチャク。 平 ヘイ 信 シン 兼 ケン 男 オトコの 誅 チュ 戮 リクしたことを 報 ホウず。 8月29日 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウの 官 カン 符 フを 範 ハン 頼 ライ 27 日 ニチ 入 ハイ 洛 ラク に 賜 タマワう。 9月1日 範 ハン 頼 ライ、 京都 キョウトを 進発 シンパツ 9月5日 頼朝 ヨリトモの 奏 ソウ 請 ショウにより、 掃 ハ 部 ブ 頭 ガシラ 安倍 アベ 季 キ 弘 ヒロシを 解 カイ 官 カン。 法皇 ホウオウ、その 旨 ムネを 義経 ヨシツネに 伝 ツタえる。 9月9日 頼朝 ヨリトモ、 京都 キョウトにおける 信 シン 兼 ケンの 没 ボツ 官 カン 地 チを 義経 ヨシツネに 沙汰 サタさせる。 9月14日 河越 カワゴエ 太郎 タロウ 重 ジュウ 頼 ライの 女 オンナが義経に嫁すため 京 キョウに 向 ムかう。 9月18日 義経 ヨシツネを 従 ジュウ 五位 ゴイ 下 シタとす 9月20日 摂津 セッツ 国 クニ 垂水 タルミ 西 ニシ 牧 マキ 萱 カヤ 野 ノ 郷 ゴウ 内 ナイの 狼藉 ロウゼキを 停止 テイシす。 10月11日 義経 ヨシツネ 拝 賀 ハイガ、 院 イン 御所 ゴショ・ 内裏 ダイリの 昇殿 ショウデンを 許 ユルさ れる。 10月25日 大嘗祭 ダイジョウサイ 御祓 ミソギの 行幸 ギョウコウに 供奉 グブ。 11月14日 頼朝 ヨリトモ、 宇都宮 ウツノミヤ 朝 アサ 綱 ツナ 以下 イカ、 西国 サイゴクに 所領 ショリョウを 与 アタえられた 御家人 ゴケニンの 沙汰 サタ 付 ツを 義経 ヨシツネに 命 メイじる。 12月3日 北条 ホウジョウ 時 トキ 政 セイ、 頼朝 ヨリトモの 園城寺 オンジョウジ 帰依 キエを 義経 ヨシツネに 伝 ツタえる。 12月20日 義経 ヨシツネより 西国 サイゴク 所領 ショリョウ 沙汰 サタ 付 ツの 請 ウ 文 ブミ 到着 トウチャク 12月29日 伝 デン 法 ホウ 院 イン 領 リョウの 兵糧 ヒョウロウ 米 マイ・ 万 マン 雑 ザツ 公 コウ 事 ジの 停止 テイシを 重 カサねて 命 メイじる。 文治元年 1185 1月6日 範 ハン 頼 ライの 飛脚 ヒキャクを 受 ウけて、 頼朝 ヨリトモ、 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウについて 範 ハン 頼 ライに 書状 ショジョウを 送 オクる。 範 ハン 頼 ライ 勢 セイは11 月 ガツより 兵糧 ヒョウロウ 米 マイを 欠乏 ケツボウ。 1月8日 義経 ヨシツネ、 四国 シコクに 向 ムかうと 後白河 ゴシラカワ 院 インに 申 モウし 出 デる。 1月10日 平氏 ヘイシ 追討 ツイトウのため 京都 キョウト 出発 シュッパツ 1月22日 和泉 イズミ 国 クニ 春木 ハルキ 庄 ショウ 内 ナイ 観音寺 カンノンジ 住 ジュウ 僧 ソウなどの 住 ジュウ 房 ボウを 安堵 アンドし、 武士 ブシの 狼藉 ロウゼキを 禁止 キンシ。 1月26日 範 ハン 頼 ライ 軍 グン、 九州 キュウシュウに 渡 ワタる。 2月14日 範 ハン 頼 ライの 飛脚 ヒキャク 到着 トウチャク。 頼朝 ヨリトモ、 激励 ゲキレイする 返書 ヘンショを 出 ダす。 2月16日 院 イン 使 シ 高 タカ 階 カイ 泰 タイ 経 ケイ、 先陣 センジンを 留 トドめにくる。 同 オナじ 頃 コロ、 四国 シコク 渡海 トカイをめぐって 義経 ヨシツネが 梶原 カジワラ 景 ケイ 時 ジと 争 アラソう( 逆 サカ 櫓 ロ 事件 ジケン) 2月17日 義経 ヨシツネ、 暴風 ボウフウの 中 ナカ、 摂津 セッツ 国 クニ 渡部 ワタナベより 船 フネを 発 ハッし 阿波 アワに 向 ムう。 2月18日 阿波 アワ 国 クニ 椿 ツバキ 浦 ウラに 上陸 ジョウリク、 桂 カツラ 浦 ウラで 田口 タグチ 良 ヨ 遠 トオを 攻 セめる。 2月19日 屋島 ヤシマの 戦 タタカい。 佐藤 サトウ 継 ケイ 信 シン 戦死 センシ 2月21日 河野 コウノ 通信 ツウシン、 熊野 クマノ 別当 ベットウ 湛 タン 増 ゾウが 義経 ヨシツネに 合力 ゴウリキ。 2月22日 梶原 カジワラ 景 ケイ 時 ジらの 軍 グン、 屋島 ヤシマに 到着 トウチャク 3月8日 義経 ヨシツネの 飛脚 ヒキャクが 到着 トウチャクし、 屋島 ヤシマの 戦況 センキョウが 鎌倉 カマクラに 伝 ツタわる。 3月11日 頼朝 ヨリトモ、9 日 ニチ 着 チャクの 範 ハン 頼 ライの 書状 ショジョウに 返書 ヘンショを 遣 ツカわす。 3月14日 頼朝 ヨリトモ、 追討 ツイトウに 遠慮 エンリョを 廻 メグらすよう、 範 ハン 頼 ライに 命 メイず。 3月21日 義経 ヨシツネ、 壇 ダンノ 浦 ウラに 向 ムかうが、 雨 アメのため 延 エン 引 イン。 周防 スオウ 国 クニの 在庁 ザイチョウより 兵船 ヘイセンを 献 ケンじられる。 3月22日 三浦 ミウラ 義 ギ 澄 スを 先頭 セントウに、 船団 センダンを 率 ヒキいて 壇 ダンノ 浦 ウラに 向 ムう。 3月24日 壇 ダンノ 浦 ウラの 戦 タタカい。 平氏 ヘイシ 滅亡 メツボウ。 4月4日 戦勝 センショウが 京都 キョウトに 伝 ツタわる。 4月5日 勅使 チョクシ、 神器 ジンギ 奉還 ホウカンを 義経 ヨシツネに 命 メイじるため、 長門 ナガト 国 クニ 下向 ゲコウ 4月11日 戦勝 センショウが 鎌倉 カマクラに 伝 ツタわる。 4月21日 義経 ヨシツネの 不義 フギを 訴 ウッタえる梶原景時の 書状 ショジョウが 頼朝 ヨリトモのもとに 届 トドく。 4月24日 義経 ヨシツネ、 賢 ケン 所 ショ・ 神 ジンギ 璽 ジに 供奉 グブして 京都 キョウトに 凱旋 ガイセン 4月26日 平氏 ヘイシの 捕虜 ホリョ、 京 キョウの 義経 ヨシツネの 邸 テイに 入 ハイる。 4月27日 義経 ヨシツネ、 院 イン 御 ゴ 厩 ウマヤ 司 シに 任 ニンじられる。 頼朝 ヨリトモ、 従 ジュ 二位 ニイとなる。 4月29日 頼朝 ヨリトモ、 西国 サイゴクの 田代 タシロ 信綱 ノブツナに 書 ショを 送 オクり 義経 ヨシツネに 従 シタガわないよう 命 メイじる。 5月4日 頼朝 ヨリトモ、 九州 キュウシュウ 滞在中 タイザイチュウの 梶原 カジワラ 景 カゲ 時 トキにも 義経 ヨシツネに 従 シタガわないよう 書 カき 送 オクる。 5月5日 壇 ダンノ 浦 ウラの 戦 タタカい 以後 イゴ、 九州 キュウシュウの 事 コトを 勝手 カッテに 沙汰 サタすると 訴 ウッタえられる。 頼朝 ヨリトモ、 範 ハン 頼 ライに 宝剣 ホウケン 探索 タンサクを 命 メイじる。 5月7日 平 ヘイ 宗 ムネ 盛 モリ・ 清 セイ 宗 ソウ 父子 フシを 連 ツれて 都 ミヤコを 出発 シュッパツ、 鎌倉 カマクラに 向 ムかう。 一条 イチジョウ 能 ノウ 保 ホも 下向 ゲコウ 義経 ヨシツネの 使者 シシャが 起請文 キショウモンを 頼朝 ヨリトモに 献 ケンずるが、 頼朝 ヨリトモ 許 ユルさず。 5月15日 義経 ヨシツネ、 相模 サガミ 国 クニ 酒 サケ 勾 マガタマに 到着 トウチャク。 頼朝 ヨリトモ、 北条 ホウジョウ 時政 トキマサを 遣 ツカわし 宗 ムネ 盛 モリらを 迎 ムカえ 取 トり、 義経 ヨシツネの 鎌倉 カマクラ 入 イりを 禁 キンず。 5月16日 一条 イチジョウ 能 ノウ 保 ホの 侍 サムライ 後藤 ゴトウ 基 キ 清 セイの 僕 ボク 従 ジュウと、 義経 ヨシツネの 家来 ケライ 伊勢 イセ 能 ノウ 盛 セイの 下 シタ 部 ブが 乱闘 ラントウ。 5月19日 義経 ヨシツネ 婿 ムコの 源 ミナモト 有 ア 綱 ツナの 荘 ソウ 公 オオヤケ 押 オ 妨 ボウが 発覚 ハッカク。 5月24日 義経 ヨシツネ、 腰越 コシゴエから 書 ショを 大江 オオエ 広元 ヒロモトに 送 オクり 心情 シンジョウを 訴 ウッタえる 腰越 コシゴエ 状 ジョウ。 6月9日 義経 ヨシツネ、 頼朝 ヨリトモの 命 メイにより、 宗 ムネ 盛 モリを 京都 キョウトに 護送 ゴソウする。 6月13日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネ 所有 ショユウの 平家 ヘイケ 没 ボツ 官 カン 領 リョウを 没収 ボッシュウす。 6月21日 義経 ヨシツネ、 近江 オウミの 篠原 シノハラで 宗 ムネ 盛 モリを 斬 キる(39)。 清 セイ 宗 ムネを 野路 ノジで 斬 キる 16。 義経 ヨシツネ 入洛 ニュウラク。 八条 ハチジョウ 院 イン 使者 シシャの 伊予 イヨ 国 クニ 下向 ゲコウの 安全 アンゼンを 保証 ホショウする 書状 ショジョウを 出 ダす。 6月23日 平 ヒラ 重 ジュウ 衡 コウ、 南都 ナントで 斬 キられる 29。 6 月 ツキ 石見 イワミ 国 クニ 伊 イ 甘 アマ 郷 ゴウ・ 益田 マスダ 庄 ショウ・ 仲野 ナカノ 庄 ショウ 以下 イカ 所 ショ 職 ショク 田 タ 畠 ハタケを 元 モトのごとく 藤原 フジワラ 兼 ケン 高 コウの 所領 ショリョウとするよう 命 メイじる。 7月12日 法皇 ホウオウより 群 グン 盗 トウゾク 警戒 ケイカイを 命 メイぜらる。 8月4日 源 ミナモト 行 イ 家 イエの 謀反 ムホン 発覚 ハッカク。 頼朝 ヨリトモ、 佐々木 ササキ 定 テイ 綱 ツナに、 行 イ 家 イエ 追討 ツイトウを 命 メイじる。 8月16日 伊予 イヨ 守 カミに 任 ニンぜられ、 大夫 タイフ 尉 イを 兼任 ケンニン 8月27日 法皇 ホウオウ 南都 ナントへ 御幸 ゴコウ。 供奉 グブ。 9月2日 頼朝 ヨリトモ、 梶原 カジワラ 景 カゲ 季 スエ・ 僧 ソウ 成 シゲル 尋 ヒロシを 上洛 ジョウラクさせ、 義経 ヨシツネ・ 行 ユキ 家 イエの 行動 コウドウを 偵察 テイサツさせる。 9月12日 梶原 カジワラら 入 ニュウ 洛 ラク。 9 月 ツキ 義経 ヨシツネ、12 日 ヒ 以後 イゴに 景 ケイ 季 キと 対面 タイメンし、 病中 ビョウチュウのため、 行 イ 家 イエ 追討 ツイトウのことは 平癒 ヘイユ 後 アトに 計 ケイをめぐらすと 返事 ヘンジ。 10月6日 梶原 カジワラ 景 カゲ 季 スエ、 鎌倉 カマクラに 帰 カエり、 義経 ヨシツネの 状況 ジョウキョウを 報告 ホウコクす。 頼朝 ヨリトモ、 疑 ウタガいを 深 フカめる。 10月9日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネ 追討 ツイトウを 議 ギし 土佐 トサ 房 ボウ 昌俊 マサトシ 派遣 ハケンを 決 ケッす( 行程 コウテイ 九 9 日 ヒ)。 10月11日 義経 ヨシツネ、 参院 サンイン。 行 イ 家 イエの 謀反 ムホンを 制止 セイシできない 旨 ムネを 奏 ソウ 上 ジョウ。 行 ギョウ 家 イエを 制止 セイシするよう 勅 チョク 答 トウを 受 ウける。 10月13日 義経 ヨシツネ、 参院 サンイン。 藤原 フジワラ 秀衡 ヒデヒラ、 義経 ヨシツネに 与 ヨ 同 ドウするとの 風説 フウセツ 流 ナガれる。 10月16日 義経 ヨシツネ、 参院 サンイン。 頼朝 ヨリトモ 追討 ツイトウ 宣 セン 旨 シを 請 コう。 行 イ 家 イエ、 祇 シ 候 コウ 人 ニンの 家 イエ 屋 ヤを 追 ツイ 捕 ホし、 北 キタ 小路 コウジ 東 ヒガシ 洞 ホラ 院 イン 邸 テイに 移 ウツり 住 スむ。 10月17日 土佐 トサ 房 ボウ 昌俊 マサトシが 義経 ヨシツネ 邸 ヤシキを 襲 オソう。 土佐 トサ 房 ボウが 院 イン 御所 ゴショを 襲撃 シュウゲキしたとの 風聞 フウブン。 10月18日 頼朝 ヨリトモ 追討 ツイトウの 院 イン 宣 センを 下 クダされる。 10月19日 義経 ヨシツネ 勢 セイが 山之内 ヤマノウチ 経 ケイ 俊 シュンの 伊勢 イセ 国 クニ 守護 シュゴ 所 ショを 包囲 ホウイしたとの 風聞 フウブン。 10月22日 義経 ヨシツネ、 兵 ヘイを 近国 キンゴクに 募 ツノるが 応 オウずるものなし。 頼朝 ヨリトモ、 追討 ツイトウ 宣旨 センジが 出 ダされたことを 知 シる。 10月23日 近江の武士、義経にくみせず、奥 に引き退く。 義経 ヨシツネの 縁 者 エンジャにより 河越 カワゴエ 重 ジュウ 房 ボウが 勝 カ 長 ナガ 寿 コトブキ 院 イン 供養 クヨウ 供 キョウ 奉 ホウ 人 ニンから 外 ハズされる。 10月24日 頼朝 ヨリトモが 上洛 ジョウラクのために 軍 グン 士 シを 招集 ショウシュウ。 小山朝政・結城朝光が先陣として出立。 10月26日 義経 ヨシツネ、 土佐 トサ 房 ボウ 昌 ショウ 俊 シュンを 捕殺 ホサツす。 10月28日 片岡 カタオカ 常 ツネ 春 ハルが 舅 シュウト 佐竹 サタケ 義 ヨシ 政 セイに 同心 ドウシン。 謀反 ムホンとみなし 所領 ショリョウを 没収 ボッシュウされる。 10月29日 頼朝 ヨリトモ、 行 ユキ 家 イエ・ 義経 ヨシツネ 征伐 セイバツのため 鎌倉 カマクラを 出発 シュッパツ 10月30日 摂津 セッツ 国 クニ 太田 オオタ 頼 ライ 基 モトが 城郭 ジョウカクを 構 カマえ、 西国 サイゴク 行 イきの 義経 ヨシツネを 狙 ネラい、 義経 ヨシツネのために 船 フネを 用意 ヨウイした 紀伊 キイ 権 ケン 守 カミ 兼 ケン 資 シを 討 ウつ。 そのため、 義経 ヨシツネ 一行 イッコウが 北陸 ホクリク 下向 ゲコウとの 風聞 フウブン。 11月1日 義経 ヨシツネ 西 国 サイゴク 下向 ゲコウ 延 エン 引 イン、 北陸 ホクリクに 変更 ヘンコウか? 頼朝 ヨリトモ、 黄瀬 キセ 川 カワに 到着 トウチャク 11月2日 義経 ヨシツネ、 参 サン 院 インし、 山陽 サンヨウ・ 西海 サイカイの 荘園 ショウエン・ 公 オオヤケ 領 リョウの 沙汰 サタ 権 ケンなどを 認可 ニンカされる。 義経 ヨシツネの 船 フネの 手配 テハイをしていた 藤原 フジワラ 友 ユウ 実 ジツが 庄 ショウ 四郎 シロウに 誅 チュウせらる。 11月3日 義経 ヨシツネ・ 行 イ 家 イエ、 西海 サイカイに 出 デ 立 タ。 郎等 ロウトウ 以下 イカ、その 勢 セイ 二百 ニヒャク 騎 キ。 京 キョウ 中 チュウ 騒動 ソウドウ。 11月4日 太田 オオタ 頼 ライ 基 キ・ 多田 タダ 行 イ 綱 ツナ・ 豊島 トシマ 冠者 カンジャらに 摂津 セッツ 国 クニ 河 カワ 尻 シリで 迎撃 ゲイゲキされる。 11月5日 義経 ヨシツネ、 乗船 ジョウセンして 大物 ダイモツ 辺 ヘンで 宿 シュクす。 豊島 テシマ 冠者 カンジャ・ 藤原 フジワラ 範 ハン 資 シ 藤原 フジワラ 範 ハン 季 キの 息 イキ。 源範頼 ミナモトノノリヨリの 在京 ザイキョウ 家人 カジンを 率 ヒキいる らの 追手 オッテは 近辺 キンペンの 在家 ザイケに 宿 シュクす。 夜半 ヤハンより 大風 オオカゼ。 義経 ヨシツネらの 船 フネは 損 ソン 亡 ボウし、 小船 コブネで 和泉 イズミ 浦 ウラを 目指 メザして 逃 ニげ 行 ユく。 義経 ヨシツネ 方 カタの 豊後 ブンゴ 武士 ブシは 範 ハン 資 シに 降伏 コウフク、 或 アルいは 捕 トらえられる。 関東 カントウ 御家人 ゴケニン 入洛 ニュウラク。 頼朝 ヨリトモの 怒 イカりを 藤原 フジワラ 経 ケイ 宗 ソウに 伝 ツタえる。 11月6日 義経 ヨシツネ、 天王寺 テンノウジ 辺 アタに 宿 シュクす。 まもなく 静 シズと 別 ワカれ、 吉野 ヨシノ 山 ヤマへ 向 ムかう? 11月7日 義経 ヨシツネ、 官職 カンショクを 解 トかる。 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネの 都 ミヤコ 落 オちを 伝 ツタえ 聞 キく。 義経 ヨシツネらが 豊後 ブンゴ 武士 ブシに 討 ウち 取 トられたとの 風聞 フウブン 11月8日 義経 ヨシツネ 遭難 ソウナンの 報 ホウが 京都 キョウトに 伝 ツタわる。 頼朝 ヨリトモ、 黄瀬 キセ 川 カワより 鎌倉 カマクラへ 帰 カエる。 法皇 ホウオウが 桂林 ケイリン 坊 ボウで 四天王 シテンノウ 法 ホウを 修 シュウし、 義経 ヨシツネ 謀叛 ムホンの 鎮定 チンテイを 祈 イノる。 11月9日 義経 ヨシツネら 淡路 アワジ 国 クニに 渡 ワタったとの 風聞 フウブン。 11月11日 行 ユキ 家 イエ・ 義経 ヨシツネ 追討 ツイトウの 院 イン 宣 セン 諸国 ショコクに 下 クダさる。 11月12日 義経 ヨシツネと 静 シズカ、この 頃 コロに 吉野 ヨシノ 山 ヤマで 再会 サイカイ? 河越重頼・下河辺政義の所領没 収。 11月13日 関東 カントウ 武士 ブシ 多 オオく 入洛 ニュウラク。 11月17日 義経 ヨシツネは 吉野 ヨシノ 山 ヤマに 隠 カクれた 後 ノチ、 山伏 ヤマブシ 姿 スガタで 逐電 チクデン。 静 シズカは 捕 トらえられる。 11月20日 義経 ヨシツネに 同行 ドウコウした 平 ヘイ 時 ジ 実 ジツ 捕縛 ホバク。 八島 ヤシマ 冠者 カンジャ 時 トキ 清 セイが 義経 ヨシツネ 生存 セイゾンの 報 ホウを 京 キョウに 伝 ツタえる。 11月22日 義経 ヨシツネ、 吉野 ヨシノ 山 ヤマの 深雪 シンセツをしのぎ 多武峰 トウノミネへ 向 ムかう。 多武峰 トウノミネの 僧 ソウ、 十 ジュウ 字 ジ 坊 ボウが 義経 ヨシツネをもてなす。 11月24日 北条 ホウジョウ 時政 トキマサ 入 ニュウ 洛 ラク 11月25日 義経 ヨシツネ 捜索 ソウサクを 命 メイじる 宣旨 センジが 出 ダされる。 11月29日 義経 ヨシツネ、 十字 ジュウジ 坊 ボウの 言 ゲンに 従 シタガい、 十 ト 津川 ツガワへ 向 ムかう。 僧 ソウ 八人 ハチニンを 付 ツけてもらう。 義経 ヨシツネ 追 ツイホ 捕 ホを 理由 リユウに 諸国 ショコクに「 守護 シュゴ・ 地頭 ジトウ」 設置 セッチ 許 ユルされる。 12月3日 侍従 ジジュウ 一条 イチジョウ 能 ノウ 成 セイ( 義経 ヨシツネ 同母 ドウボ 弟 テイ)が 保 ホ 田 タ 子 シ 男 オトコと 共 トモに 下向 ゲコウ 12月6日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネ 与 ヨ 同 ドウ 者 シャの 解 カイ 官 カンと、 議 ギ 奏 ソウ 公卿 クギョウの 任命 ニンメイを 奏 ソウ 請 セイ。 12月8日 吉野 ヨシノ 執行 シッコウ、 静 シズを 京都 キョウトの 北条 ホウジョウ 時政 トキマサ 亭 テイに 送 オクる。 時政 トキマサ、 軍 グン 士 シを 吉野 ヨシノ 山 サンに 発 ハッす。 12月15日 時政 トキマサの 飛脚 ヒキャク、 鎌倉 カマクラに 着 ツき、 静 シズカを 尋問 ジンモンした 旨 ムネを 伝 ツタえる。 12月16日 頼朝 ヨリトモ、 時政 トキマサに 送 オク 命 メイじ 静 シズカを 関東 カントウに 下 クダさしむ。 12月17日 高階 タカシナ 泰 ヤスシ 経 キョウら 解 カイ 官 カンされる。 12月29日 頼朝 ヨリトモの 廟 ビョウ 堂 ドウ 粛清 シュクセイ。 廷臣 テイシンの 解 ゲ 官 カン、 議 ギ 奏 ソウジョウ 公卿 クギョウの 設置 セッチ 12月 後白河 ゴシラカワ 院 インに 藤原 フジワラ 秀衡 ヒデヒラからの 進物 シンモツが 届 トドく。 文治2年 1186 2月18日 義経 ヨシツネが 多武峰 トウノミネ 潜伏 センプクするとの 風聞 フウブン。 義経 ヨシツネの 師 シである 鞍馬 クラマの 東 トウ 光 コウ 房 ボウや 興福寺 コウフクジの 聖 セイ 弘 コウを、 義経 ヨシツネに 同意 ドウイしたとの 疑 ウタガいで、 召 ショウし 下 クダすことを 決 ケッす。 2月30日 熊野 クマノ・ 金 キン 峯 ミネ 山 ヤマおよび 大和 ヤマト・ 河内 カワチ・ 伊賀 イガ・ 伊勢 イセ・ 紀伊 キイ・ 阿波 アワに 義経 ヨシツネを 捜索 ソウサクせよとの 宣 セン 旨 シが 下 クダされる。 3月1日 磯 イソ 禅 ゼン 師 シ・ 静 シズカ 母子 ボシ、 鎌倉 カマクラに 着 ツく。 3月6日 頼朝 ヨリトモ、 静 シズカを 尋問 ジンモン。 静 シズカの 陳述 チンジュツが 京都 キョウトでの 場合 バアイと 異 コトなる。 義経 ヨシツネは 大峰 オオミネに 入 ハイったとも 多 タ 武 ブ 峯 ミネに 入 ハイったともいう。 3月15日 義経、伊勢大神宮に黄金作りの太 刀を奉納。 3月22日 静 シズの 懐妊 カイニンが 発覚 ハッカクする。 4月8日 静 シズが 鶴岡 ツルオカ 八幡宮 ハチマングウで 舞 マイを 奉納 ホウノウする。 義経 ヨシツネを 慕 シタう 歌 ウタに 頼朝 ヨリトモは 不満 フマンするが、 妻 ツマ 北条 ホウジョウ 政子 マサコがなだめる。 4月20日 これ 以前 イゼンに 義経 ヨシツネ、洛中に入るか? 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネ・ 行 ギョウ 家 イエがなお 洛中 ラクチュウにおり、 叡山 エイザンに 義経 ヨシツネに 同意 ドウイする 僧 ソウがいると 朝廷 チョウテイに 訴 ウッタえる。 4月21日 安田 ヤスダ 義定 ヨシサダ、 遠 トオ 江 エ 国 クニ 湖 ミズウミ・ 岩 イワ 室 シツにて 義経 ヨシツネを 探索 タンサク。 4月24日 先 サキに 頼朝 ヨリトモ、 書 ショを 秀衡 ヒデヒラに 送 オクる。 秀 シュウ 衡 ハカリより 請 ショウ 文 ブン 到来 トウライ。 4月25日 義経 ヨシツネ・ 行 イ 家 イエが 京 キョウ 中 チュウにありとの 風聞 フウブン。 5月6日 京 キョウ 中 チュウで 義経 ヨシツネ 捜索 ソウサクが 始 ハジまる。 5月10日 義経 ヨシツネ・ 行 イ 家 イエを 前 マエ 関白 カンパク 近衛 コノエ 基 キ 通 ツウ・ 院 インがかくまうとの 風聞 フウブン。 このころまでに義行と改名される。 5月12日 和泉 イズミ 国 クニで 源 ミナモト 行 イ 家 イエ・ 男 オトコ 光 コウ 家 イエ、 北条 ホウジョウ 時 トキ 定 テイに 殺 コロされる。 5月14日 静 シズの 宿 ヤドで 諸 ショ 人 ニン 酒宴 シュエン。 静 シズ、 梶原 カジワラ 景 ケイ 茂 シゲの 酔狂 スイキョウを 拒 コバむ。 5月20日 興福寺 コウフクジ 僧 ソウ 大 ダイ 進 シン 君 クン( 行 イ 家 イエ 兄弟 キョウダイ)を 召 メ 進 スス。 5月27日 静 シズが 鎌倉 カマクラ・ 勝 ショウ 長 チョウ 寿 ジュ 院 インで、 頼朝 ヨリトモ 娘 ムスメの 大 オオ 姫 ヒメのために 芸 ゲイを 施 ホドコす。 5月 義経、鞍馬あるいは岩倉に潜伏? 6月4日 官 カン 兵 ヘイが 鞍馬寺 クラマデラに 踏 フみ 込 コむが、 義経 ヨシツネがいた 形跡 ケイセキなし。 義経 ヨシツネ 知 チ 音 オンの 土佐 トサ 君 キミを 召 メし 出 ダさんとす。 6月6日 一条 イチジョウ 河崎 カワサキ 観音堂 カンノンドウ 辺 アタりで 義経 ヨシツネの 母 ハハ 常盤 トキワと 妹 イモウトを 捕 トえて 尋問 ジンモン。 岩倉 イワクラにいると 証言 ショウゲン。 義経 ヨシツネ 追討 ツイトウを 命 メイじる 宣 セン 旨 シが 下 クダされると 共 トモに、 義経 ヨシツネ 捜索 ソウサクが 強化 キョウカされる。 6月7日 義経 ヨシツネが 伊勢 イセを 徘徊 ハイカイし、 神宮 ジングウに 詣 モウで、 南都 ナントにいるとの 風聞 フウブンが 鎌倉 カマクラに 伝 ツタわる。 伊勢 イセ 祭主 サイシュ 大 オオ 中 ナカ 臣 シン 能 ノウ 隆 タカシが 内通 ナイツウし、 義経 ヨシツネのために 祈祷 キトウ。 6月12日 京都 キョウトの 北条 ホウジョウ 時 ジ 定 サダム、 義経 ヨシツネが 大和 ヤマト 国 クニ 宇陀 ウダ 郡 グン 辺 アタりにありとの 告 ツげを 得 エる。 6月16日 大和 ヤマト 国 クニ 宇陀郡 ウダグンで 源 ミナモト 有 ユウ 綱 ツナ 義経 ヨシツネの 婿 ムコ 自決 ジケツ。 6月18日 多武峰 トウノミネ 悪 アク 僧 ソウ 龍 リュウ 諦 アキラ 房 ボウを 召 メし 出 ダす。 6月20日 この頃、義経、比叡山上に隠れ る。 6月22日 仁和寺 ニンナジ・ 岩倉 イワクラに 隠居 インキョとの 告 ツげにより 急襲 キュウシュウしたが 実 ジツなしと 鎌倉 カマクラに 伝 ツタわる。 7月25日 伊勢義盛殺される。 7月30日 義経が比叡山の僧のもとにいると の風聞。 兵法 ヘイホウを 語 カタる。 9月16日 磯 イソ 禅師 ゼンジ・ 静 シズ 親子 オヤコ、 帰洛 キラクのため 鎌倉 カマクラを 発 タつ。 9月20日 京都 キョウトで 堀 ホリ 景 ケイ 光 コウ 捕縛 ホバクさる。 中御門 ナカミカド 東 ヒガシ 洞 ドウ 院 インで 佐藤 サトウ 忠 チュウ 信 シン 自決 ジケツ。 景 ケシキ 光 ヒカリは 義経 ヨシツネが 興福寺 コウフクジ 聖 セイ 弘 コウのもとにいること、 藤原 フジハラ 範 ハン 季 キが 義経 ヨシツネに 与 クミ 同 ドウしていることを 白状 ハクジョウ。 9月21日 義経 ヨシツネ、 この 日 ニチ 以前 イゼンに 南都 ナントより 伊賀 イガへ? 比企 ヒキ 朝 アサ 宗 ムネ、 聖 セイ 弘 コウの 房 ボウに 入 ハイり、 義経 ヨシツネを 求 モトむ。 聖 セイ 弘 コウを 捕 トらう。 衆 シュウ 徒 ト 蜂起 ホウキ。 10月17日 聖 ヒジリ 弘 ヒロシが 京都 キョウトに 召 メし 出 ダされる。 11月5日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネ 追 ツイ 捕 ホ 遅滞 チタイは、 藤原 フジワラ 範 ハン 季 キらが 内通 ナイツウし、 仁和寺 ニンナジ 守 シュ 覚 カク 法 ホウ 親王 シンノウが 義経 ヨシツネに 同意 ドウイしているためと 朝廷 チョウテイに 訴 ウッタえる。 11月18日 公卿 クギョウら 会議 カイギを 開 ヒラく。 捜査 ソウサの 強化 キョウカと 共 トモに 追討 ツイトウの 御 ゴ 祈 イノ( 仁 ジン 王 オウ 会 エ 御 ゴ 修 シュウ 法 ホウ)・ 諸 ショ 社 シャ 奉 ホウ 幣 ヘイなどがはかられる。 11月24日 義経 ヨシツネがさらに 義 ギ 顕 ケンと 改名 カイメイされる。 11月25日 義経 ヨシツネ 捜索 ソウサクを 命 メイじる 宣 セン 旨 シが 畿内 キナイ・ 北陸 ホクリク 道 ドウに 下 クダされる。 京 キョウ 中 チュウの 捜査 ソウサも 継続 ケイゾク。 文治3年 1187 1月20日 義経 ヨシツネ 反逆 ハンギャク 祈祷 キトウのため、 幕府 バクフが 伊勢 イセに 奉 ホウ 幣 ヘイする。 2月8日 院 イン 宣 センにより 義経 ヨシツネ 追 ツイ 捕 ホとその 御 ゴ 祈 イノりについて 公卿 クギョウが 議 ギす。 2月10日 義経 ヨシツネ、 山伏 ヤマブシ 姿 スガタで、 伊勢 イセ・ 美濃 ミノウを 経 ヘて 奥州 オウシュウへ 下 クダるという。 藤原 フジワラ 秀衡 ヒデヒラを 頼 タヨる。 3月5日 義経 ヨシツネが 陸奥 ムツにおり、 秀 シュウ 衡 コウが 義経 ヨシツネに 与 ヨ 同 ドウしているとの 情報 ジョウホウに 基 モトづき、 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネを 召 メ 尋 タズするよう 京都 キョウトに 申 モウし 入 イれ、 一条 イチジョウ 能 ノウ 保 ホから 返事 ヘンジ 来 キタる。 3月6日 義経 ヨシツネ 追討 ツイトウの 御 ゴ 祈 キを 行 オコナうよう、 高野山 コウヤサンの 俊 シュン 証 ショウに 院 イン 宣 センがくだされる。 3月8日 聖 セイ 弘 コウが 鎌倉 カマクラへ 召 ショウされ、 頼朝 ヨリトモに 尋問 ジンモンされる。 聖 ヒジリ 弘 ヒロシ、 頼朝 ヨリトモ・ 義経 ヨシツネ 兄弟 キョウダイの 仲直 ナカナオりを 説 トく。 4月4日 若宮 ワカミヤ 別当 ベットウが 上野 ウエノ 国 クニ 金剛寺 コンゴウジで 義経 ヨシツネに 遭 アう 夢 ユメ 想 ソウを 蒙 コウムったので、 幕府 バクフは 同 ドウ 寺 デラ 等 ナドに 祈祷 キトウに 丹誠 タンセイを 抽 ヌきんでるように 命 メイじる。 4 月 ガツ 陸奥 ムツに 流 ナガされていた 前 ゼン 山城 ヤマシロ 守 カミ 中原 ナカハラ 基 モト 兼 カを 秀 シュウ 衡 コウが 召 メ 禁 キンしているのを 帰京 キキョウさせるよう、また 大仏 ダイブツ 滅 メツ 金 キン 料 リョウとして 三 3 万両 マンリョウを 貢 ネング 進 シンさせるよう、 頼朝 ヨリトモが 院 インに 申 モウし 送 オクる。 5月3日 義経が去月三十日に美作国山寺で 斬られたとの風聞が京都に伝わる。 勝賢が義経追討の祈祷中であっ た。 9月4日 頼朝 ヨリトモの 使者 シシャが 奥州 オウシュウより 戻 モドり、 秀衡 ヒデヒラ 反抗 ハンコウの 用意 ヨウイありと 報告 ホウコク。 都 ミヤコへ 遣 ツカわし、 奥州 オウシュウの 形勢 ケイセイを 言上 ゴンジョウ。 9月22日 頼朝 ヨリトモ、 宇都宮 ウツノミヤ 信 シン 房 ボウ・ 天野 アマノ 遠 トウ 景 カゲを 貴 トウト 海 ウミ 島 シマに 遣 ツカわし、 義経 ヨシツネの 与 ヨ 党 トウを 捜索 ソウサクさせる。 10月29日 秀衡 ヒデヒラ、 義経 ヨシツネを 大将 タイショウに 泰 ヤス 衡 ヒラ・ 国 クニ 衡 ヒラらが 結束 ケッソクすべきことを 遺言 イゴンとし 没 ボッす 66。 文治4年 1188 2月8日 義経が奥州にあり、出羽国に遣わ された法師昌尊と合戦したとの情報が入る。 2月14日 藤原 フジワラ 泰 タイ 衡 コウに 義経 ヨシツネ 追討 ツイトウを 命 メイじる 宣 セン 旨 シが 出 ダされる。 2月17日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネ・ 泰 ヤス 衡 ヒラを 共 トモに 追討 ツイトウすべく 宣旨 センジを 改 アラタめるよう、また 義 ギ 顕 アラワを 本名 ホンミョウ 義経 ヨシツネに 返 カエすよう 奏上 ソウジョウ。 2月21日 藤原 フジワラ 基 モト 成 シゲル・ 泰衡 ヤスヒラに 義経 ヨシツネを 召 メ 進 ススムさせよとの 宣旨 センジを 下 オロす。 貴 キ 海 カイ 島 シマ 追 ツイ 捕 ホが 延期 エンキされる。 6月11日 泰 ヤス 衡 ヒラの 京 キョウへの 貢 コウ 馬 バ・ 貢 コウ 金 キンなど 大磯 オオイソ 着 チャク。 頼朝 ヨリトモ、 抑 ヨク 留 リュウせず。 8月9日 頼朝 ヨリトモ、 比叡山 ヒエイザン 僧 ソウが 義経 ヨシツネに 同意 ドウイし、 藤原 フジワラ 泰 タイ 衡 コウが 義経 ヨシツネをかくまったことについて 沙汰 サタが 遅 オソいことを 朝廷 チョウテイに 抗議 コウギする。 8月17日 比叡山 ヒエイザンの 住 ジュウ 侶 リョ 来光 ライコウ 房 フサ 永 ナガ 実 ミの 同宿 ドウシュク、 千 セン 光 ヒカリ 房 フサ 七郎 シチロウが 夜討 ヨウちせんとするを、 法 ホウ 印 ジルシ 円 エン 良 リョウに 仰 オオせて 召 メしだす。 10月12日 泰 ヤス 衡 ヒラらに 再度 サイド 義経 ヨシツネ 召 メ 進 ススムの 命 メイが 伝 ツタえられ、 従 シタガわず 義経 ヨシツネに 与 ヨ 同 ドウする 時 トキはあわせて 追討 ツイトウすべき 旨 ムネ 伝 ツタえる。 10月17日 頼朝 ヨリトモ、 比叡山 ヒエイザンの 俊章 トシアキ 義経 ヨシツネを 奥州 オウシュウへ 送 オクったという を 逮捕 タイホするよう 御家人 ゴケニンに 命 メイじる。 12月11日 十月 ジュウガツの 宣旨 センジに 院 イン 庁 チョウ 下 クダ 文 ブンを 副 ソえた 朝廷 チョウテイの 使者 シシャが 鎌倉 カマクラに 到着 トウチャクし、 鎌倉 カマクラより 陸奥 ムツに 赴 オモムく。 12月16日 頼朝 ヨリトモ、 義経 ヨシツネに 同意 ドウイする 俊 シュン 章 ショウの 引 ヒき 渡 ワタしを 比叡山 ヒエイザンに 求 モトめる。 文治5年 1189 1月5日 頼朝 ヨリトモ、 正 ショウ 二 2 位 イに 叙 ジョされる。 1月13日 帰京する意思を記した義経の消息 を持つ、千光房七郎捕縛される。 2月15日 泰 ヤス 衡 ヒラ、 末弟 マッテイの 錦戸 ニシキド 頼 ヨリ 衡 ヒラを 討 ウつ。 2月22日 頼朝 ヨリトモ、 法皇 ホウオウに 泰 ヤス 衡 ヒラ 追討 ツイトウ、 義経 ヨシツネ 与 ヨ 党 トウ( 廷臣 テイシン・ 比叡山 ヒエイザン 僧 ソウ)の 処罰 ショバツ 等 トウを 求 モトむ。 2月25日 頼朝 ヨリトモ、 使 シを 奥州 オウシュウに 遣 ツカわし、 形勢 ケイセイを 偵察 テイサツさせる。 3月9日 義経 ヨシツネ 召 メ 進 ススムの 意思 イシを 記 シルした 泰 タイ 衡 コウの 請 セイ 文 ブンが、 頼朝 ヨリトモから 京都 キョウトに 届 トドく。 3月12日 藤原 フジワラ 頼 ライ 経 ケイを 伊豆 イズに 配 ハイ 流 ナガし、その 子 コ 宗 ソウ 長 チョウを 解 カイ 官 カン。 3月22日 頼朝 ヨリトモ、 泰 ヤス 衡 ヒラの 請 セイ 文 モンを 不信 フシンとし 泰 ヤス 衡 ヒラ 追討 ツイトウの 宣 セン 旨 シを 請 コう。 4月13日 藤原 フジワラ 朝 アサ 方 カタ・ 同 ドウ 朝 アサ 経 ケイら 解 カイ 官 カンされる。 5月29日 義経 ヨシツネ 誅 チュウせらる 報 ホウ、 京都 キョウトに 届 トドく。 6月13日 泰 ヤス 衡 ヒラの 使者 シシャ 新田 ニッタ 高 コウ 衡 コウ、 義経 ヨシツネの 首級 シュキュウを 腰越 コシゴエ 浦 ウラに 持参 ジサンし、 和田 ワダ 義盛 ヨシモリ・ 梶原 カジワラ 景 カゲ 時 トキ、 実検 ジッケンする。 6月24日 頼朝 ヨリトモ、 泰 ヤス 衡 ヒラ 征討 セイトウの 準備 ジュンビをすすめるも、 朝廷 チョウテイは 義経 ヨシツネ 滅亡 メツボウにより 追討 ツイトウを 停 テイシむべき 旨 ムネ 勧告 カンコクする。 6月25日 頼朝 ヨリトモ、 重 カサねて 泰 ヤス 衡 ヒラ 追討 ツイトウの 命 メイを 下 クダされることを 請 コう。

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ライキン 副官(副将)設定・おすすめスキル(ライズオブキングダム)

源 義経 ライキン

こんにちは、 セフ ゆるふわゲーマー です。 この記事ではライズオブキングダムに登場する指揮官に関する様々なランキングを紹介しています。 どの指揮官を育てたらいいんだろう?という疑問にお答えできるようにしています。 この記事で解決できる悩みはこちら! ・全指揮官で優秀な指揮官は? ・優秀な指揮官同士の組み合わせは? ・優秀なエピック指揮官は? ・防衛部隊にオススメの指揮官は? ・討伐部隊にオススメの指揮官は? ・採集部隊にオススメの指揮官は? ・攻城部隊にオススメの指揮官は? ・各部隊の育成で知らないと損すること? ・孫武の部隊に勝つ方法は?( 追加!) ランキングに関しては現在日本で使用できるキャラに限定して、オススメできるキャラクターを紹介していきます。 情報源としては、同盟の方や海外サイトをソースとしております。 ベテランの方から話を聞いていると、レジェンド指揮官はレベル上げ、スキル習得、ランク上げ様々な要素で難易度が高いので優秀とは言え強化し辛いそうです。 実際のところ私自身も、全指揮官その時強いと嬉しい指揮官を適当に強化しているせいで、全て中途半端な強さになっていることに気が付きました。 自分が何で活躍するのか、もしくは力を入れたいのかで、レジェンド指揮官を選ぶのがいいでしょう。 そして、エピック指揮官の孫武は使い勝手がよく、レジェンド指揮官をさしおいて、対プレイヤー戦などで主将をこなすほどです。 逆に孫武対策ができる部隊があるのも重要かも。 ライズオブキングダムのインストールがまだの場合 新規ユーザー増加中!! アンチ孫武部隊の編成【おまけ】 たくさんの人が使用しているので恐らく戦う可能性が高いであろう孫武を、倒すための部隊の組み方を紹介します。 孫武の組み合わせとして一般的に知られているのはリチャード1世やカールマルテルなどです。 相手が歩兵部隊だった場合は、相手に弱点があります。 歩兵部隊は攻撃力が高くない特徴があるので、弓兵で攻撃を仕掛けます。 この時、目には目を作戦でいきましょう。 孫武には幸い歩兵に良い効果をもたらすスキルは3つ目のスキルのみで、弓兵などを含んだ混合部隊を組むことにも優れています。 防御で来るならそれを上回る攻撃部隊で攻めるために李成桂と組み弓兵部隊もしくは混合部隊を作りましょう。 現状で拾えた情報はその程度です。 もし他の孫武対策部隊の情報が手に入ったら再度共有します。 新規ユーザー増加中!! 討伐にオススメの指揮官 討伐とは野蛮人や中立部隊などの討伐にオススメの指揮官になっています。 序盤であれば、野蛮人討伐に使用する部隊だと思えばOKです。 討伐部隊は指揮官1人がランク3以上になると副将としてもう1人指揮官を連れていくことができるようになります。 この場合は同様に討伐を得意とする指揮官をチョイスしましょう。 因みに、なるべく副将に入れる指揮官は「討伐」の天賦以外に「弓兵」「騎兵」「歩兵」の天賦も合わせておいた方がいいです。 それを踏まえて指揮官のオススメを紹介していきます。 レジェンド指揮官も紹介していますが、エピック指揮官以下を採用することをオススメします。

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【ライキン】源 義経の強さと育成方法について徹底解説!!【レジェンド】

源 義経 ライキン

好きなところからどうぞ!• ライズオブキングダム(ライキン)副官(副将)設定方法 副官(副将)を設定するためには、まずメインの指揮官のランクを上げる必要があります。 ランクを上げるためには、その指揮官の彫像が必要になります。 そして、そのランクで上げられるレベルの上限に達することで、ランクを上げることができます。 副官(副将)を設定できるまでに必要は ランクは3です。 そちらをタップすることで、副官(副将)を設定することができます。 副官(副将)を使用したいのであれば、まずランクを上げることを第一に考えてください。 ライズオブキングダム(ライキン)副官(副将)おすすめスキル 副官(副将)に設定したからと言ってスキルの効果が落ちるということはありません。 ただ、天賦の性能は発揮されなくなります。 どのような場面に挑戦するかで副官(副将)は設定するようにしてください。 基本的には、重ねがけがおすすめです。 討伐に行くのであれば、討伐系のスキル、採集に行くのであれば、採集のスキルで固めるようにしましょう。 討伐系のスキル 討伐系でおすすめのスキルをもつ指揮官はやはりアレクサンダーです。 アレクサンダーは、自身及び残り兵力の少ない味方部隊に、 ダメージ吸収のシールドを付与できます。 メインの指揮官としても器用するのもいいですし、善徳女王やエセルフレッドとセットで使用するのがおすすめです。 ただ、アレクサンダーは 120日間プレイしないと使うことができない制限付きの指揮官です。 それまでは、善徳女王やエセルフレッドなどを副官(副将)として設定するようにしましょう。 採集系のスキル 採集系のスキルで最強のセットを持っているのはクレオパトラです。 クレオパトラは パッシブスキルで多くの採集率を上げるこ とができるので、一度の遠征で多くの資源を持ち帰られます。 また、戦闘面でも回復ができるので、軽い戦いであれば、アレクサンダーとクレオパトラといった組み合わせもありです。 比較的入手しやすい指揮官ですし、メインとしては心もとない性能なので、 副官(副将)として汎用性が高いです。 もし、クレオパトラがいないのであれば善徳女王もおすすめです。 善徳女王は火力が高いということで、討伐系にもおすすめですが、採集量を上げることができる能力も持っています。 採集だけを考えるのであれば、 クレオパトラと善徳女王という組み合わせが最強といえるでしょう。 まとめ 今回は、ライズオブキングダム(ライキン)の副官(副将)の設定方法や、おすすめスキルについて解説しました。 紹介したスキルは、 メインの指揮官が誰なのか?ということを考えて設定する必要があります。 また、どのような目的で出陣するかによっても、副官(副将)は変えるべきです。 ただ、採集系で紹介しているクレオパトラと善徳女王はどんな場面でも役立ちます。 副官(副将)を設定することは基本的にメリットしかないので、副官(副将)が設定できるようになった時点で、必ず編成するようにしましょう。 なお、副官をゲットするためにもガチャを引いていくのが大切です。 その時に必要になる宝石は、無課金だとなかなか入手できないところですよね。 まず女の子がかわいい。 弓兵だけど、 放置してたらレベルが14まで上がったよ。 さてさて、 パートから帰ってきたらどんなんなってるかな? わくわく。

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