広島 原爆。 原爆ドーム

原爆ドームの基本情報

広島 原爆

どうも、服部です。 昭和の歴史を映像をもとに紐解いていくシリーズ、今回は原子爆弾が投下された翌年、1946年(昭和21年)に撮影された広島のカラー映像を紹介したいと思います。 撮影は3月から4月にかけて行われたようなので、原爆投下(1945年8月6日)後、わずか7~8ヵ月です。 Youtubeで93万回以上再生されている「Hiroshima Aftermath 1946 USAF Film(1946年の広島の状態 アメリカ空軍フィルム=著者訳)」というタイトルの17分ほどの映像です。 ナレーション、BGMなどは一切ありません。 まず撮影のカチンコが映し出されます。 Dateの枠に「April 8 46」と書いてあります。 1946年(昭和21年)4月8日の撮影のようです。 廃虚の屋根の下で、子供たちと手を繋ぐキリスト教聖職者の姿が見えます。 聖職者らが見上げる先には……、 破壊された教会のような建物がありました。 よく見ると水道管が壊れているのか、水が流れ出ています。 調べてみると、「日本基督教団 広島流川教会」という広島市流川町(現在の広島市中区流川町)にあった教会(1971年に広島県中区上幟町に移転)でした。 流川(ながれかわ)といえば、現在では中国地方いちの歓楽街として知られている場所です。 広島中心部の地図を見てみましょう。 地図上でざっくり測ったところ、爆心地から900mほど。 爆心地から半径約2kmがほぼ全焼したと言われています。 瓦礫の中、麦でしょうか栽培している男性がいます。 日本以外の国だったら、こんな状況下なら略奪されても致し方ないのでは、などと勝手な心配をしてしまいます。 真新しい建物群は、応急仮設住宅のようです。 手前には焼け残った樹木が見られます。 仮設住宅前で作業しているご夫婦らしき。 続いては墓地が映し出され、納骨穴がアップになります。 ここから納骨をするのだという説明用ですかね。 女性の住職でしょうか(服装は普段着風ですが)。 前にずらりと並んでいるのは、お骨を入れる骨箱のようです。 再びカチンコが登場。 Dateを見ると「March 27 46」となっています。 冒頭の映像より前の1946年3月27日の撮影のようです。 男性が建物に入って来て、中にいる初老の男性に書類を渡します。 初老の男性は、帳簿で何か調べると、積み重ねられた骨箱から1つを男性に渡します。 先ほどの骨箱が並んでいたのと同じ場所のようです。 受け取った男性は、先ほどの住職と思われる女性にそれを渡します。 映像は屋外に切り替わると、女性が瓦礫の中で何かを探しているようです。 原爆投下から8ヵ月近くが経ってもこの瓦礫の山です。 重機が現代のように充実していない当時では、気の遠くなるような量です。 女性は何かを見つけ出したようで、それを手招きされて来た男性に渡します。 見たところ紙束のようです。 米兵と思われる男性も何かを拾い歩き……。 子供たちも瓦礫の中を探し歩いています。 背後には、広電と呼ばれる路面電車が走っていきます。 広電は、被爆のわずか3日後から、一部区間で運転を再開していました(己斐~天満町間)。 食器を見つけたようで、品定めをする子供たち。 自分や家族が使うためなのか、闇市などで売るためなのかもしれません。 廃虚と化した紅白模様のビル。 結構巨大な建物です。 通り過ぎる女性が、顔に包帯を巻いているのが気になります。 大八車で大荷物を運ぶ男性がいます。 引っ越しでしょうか。 こちらの男性は、自分の住居跡を見つけたのか、もしくは復員(戦地より帰国)してきたばっかりなのか、整地を始めています。 電柱での修理をする男性。 見たところ命綱のようなものはないようです。 女性たちは川で食料でも探しているのでしょうか。 手前の子供たちは、カメラのほうを物珍しそうに眺めています。 ここからしばらくは、新聞社のようなところでの映像が続きます。 キネマ旬報が置いてあるデスクで原稿書きをする男性。 座っている男性に紙の束が渡されます。 写真のようです。 それを整理したり何か書き込んだりしていきます。 ここでなんと、リテイク。 撮り直しです。 ドキュメンタリーではなく、作為的なところもあるようです。 赤色の墨でレイアウトを組んでいき……、 使用する活字を用意する文選という作業をしています。 用意した活字を並べていく植字という作業です。 意図がよく分かりませんが、デスクにはNewsweek誌が積み重ねられています。 その後、印刷、裁断作業が行われ、完成です。 音声がないので憶測の域を出ないですが、行方が判らなくなった身内を探し出すための「尋ね人」の新聞なのでしょうか。 長々と撮影していたからには、そうであってもらいたいものです。 再び外に出て、広電が走っていきます。 そして、大型トラックに瓦礫を積み込む作業をもって、映像は終了します。 気が遠くなる作業ですが、このような地道な努力があって、広島は復興していったのですね。 いかがでしたか? 何度かこのシリーズの締めに同じようなことを書いてきましたが、白黒だと別世界のように思えていた過去の日本が、カラーで見ると現在と時空が繋がっている同じ日本なんだという目で見られるような気がしませんか? 引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。 動画「Hiroshima Aftermath 1946 USAF Film(1946年の広島の状態 アメリカ空軍フィルム=著者訳)」.

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cafe.jenkster.com : 米国が広島に原爆を落とした理由

広島 原爆

第二次世界大戦の際、広島と長崎に原爆が投下されたことは、多くの人がご存知だと思います。 しかし、いつ原爆が落とされたのか、年月日を正確に答えられた日本人はわずか3割だったそうです。 2020年は、原爆投下から75年が経つということなので、正確な日にちは知らないよ~という人が増えることは、ある意味仕方がない事なのかもしれませんが、7割が知らないというのは少々ショックな結果ではありますよね。 この機会にあらためて 「原爆の日」について調べてみましょう。 広島と長崎にの原爆が投下されたのはいつ? 広島に原爆が投下されたのは、 昭和20年(1945年)8月6日です。 長崎に原爆が投下されたのは、 昭和20年(1945年)8月9日です。 調査で7割が知らなかったのは「原爆が投下された年月日」を尋ねたからだといわれています。 原爆が投下された年を「昭和20年」または「西暦1945年」と正確に答えられなかった人が多く、「原爆が投下された年月日を知らない人が7割」ということになるはずが、「原爆の日を知らない人が7割」という報道をしてしまったため、勘違いが生まれたようです。 「原爆の日はいつ?」という質問だったら、結果は異なっていたかもしれませんね。 広島の「原爆の日」はいつ? 広島の「原爆の日」は8月6日です。 毎年8月6日には、広島市の広島平和記念公園で「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」が行われます。 式典の時間は8時~8時45分で、原爆が投下された時刻である 8時15分には、平和の鐘が鳴らされ一分間の黙祷を行います。 長崎の「原爆の日」はいつ? 長崎の「原爆の日」は8月9日です。 毎年8月9日には、長崎市の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われます。 式典の時間は10時35分~11時45分で、原爆が投下された時刻である 11時2分には、一分間の黙祷を行います。 広島平和記念資料館が外国人旅行者の人気の観光スポットに? 近年、日本にやってくる外国人観光客の間で人気になっているのが広島平和記念資料館(原爆ドーム、広島平和記念公園)です。 人気観光地のトップ3に入るほど多くの外国人観光客が訪れているそうです。 平和記念資料館は原爆の悲惨さを伝える資料が数多く展示されています。 また、原爆ドームは広島県産業奨励館の焼け跡で、原爆が落とされた当時の悲惨さを残すために世界遺産にも選ばれ、永久保存されている建物です。 外国人観光客は、 「広島で起こったことを自分の目で確かめたかった」 「人類の大きな過ち、核兵器の恐ろしさを肌で感じたかった」 「平和を祈りたかった」 「平和について学びたかった」 「核兵器によって起こった悲劇を学びたかった」 「本などで戦争や原爆のことを知ってはいたが、実際に何が起こったのか確かめたかった」 などの理由で、広島平和記念資料館を訪れているそうです。 外部リンク: また、平和記念公園には平和のシンボルである折り鶴を捧げる場所があり、日本国内だけではなく海外からも折り鶴が捧げられ、年間約1千万羽、重さ約10トンもの折り鶴が捧げられているそうです。 「原爆の日」は知っていたけれど、何時に黙祷をするのか知らなかったという人も多いかもしれません。 広島や長崎では、式典会場だけではなく各地でサイレンや鐘などが鳴らされ黙祷をするそうですが、広島や長崎以外でも黙祷をする人がたくさんいらっしゃるようです。 原爆は、広島と長崎だけのことではなく、日本人が忘れてはならない過去ですよね。 私たちも広島と長崎の原爆の日には、その時刻に平和への祈りを捧げたいですね。 関連: - ,.

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広島 原爆資料館 感染症対策講じ 約3か月ぶり再開

広島 原爆

第二次世界大戦の際、広島と長崎に原爆が投下されたことは、多くの人がご存知だと思います。 しかし、いつ原爆が落とされたのか、年月日を正確に答えられた日本人はわずか3割だったそうです。 2020年は、原爆投下から75年が経つということなので、正確な日にちは知らないよ~という人が増えることは、ある意味仕方がない事なのかもしれませんが、7割が知らないというのは少々ショックな結果ではありますよね。 この機会にあらためて 「原爆の日」について調べてみましょう。 広島と長崎にの原爆が投下されたのはいつ? 広島に原爆が投下されたのは、 昭和20年(1945年)8月6日です。 長崎に原爆が投下されたのは、 昭和20年(1945年)8月9日です。 調査で7割が知らなかったのは「原爆が投下された年月日」を尋ねたからだといわれています。 原爆が投下された年を「昭和20年」または「西暦1945年」と正確に答えられなかった人が多く、「原爆が投下された年月日を知らない人が7割」ということになるはずが、「原爆の日を知らない人が7割」という報道をしてしまったため、勘違いが生まれたようです。 「原爆の日はいつ?」という質問だったら、結果は異なっていたかもしれませんね。 広島の「原爆の日」はいつ? 広島の「原爆の日」は8月6日です。 毎年8月6日には、広島市の広島平和記念公園で「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」が行われます。 式典の時間は8時~8時45分で、原爆が投下された時刻である 8時15分には、平和の鐘が鳴らされ一分間の黙祷を行います。 長崎の「原爆の日」はいつ? 長崎の「原爆の日」は8月9日です。 毎年8月9日には、長崎市の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われます。 式典の時間は10時35分~11時45分で、原爆が投下された時刻である 11時2分には、一分間の黙祷を行います。 広島平和記念資料館が外国人旅行者の人気の観光スポットに? 近年、日本にやってくる外国人観光客の間で人気になっているのが広島平和記念資料館(原爆ドーム、広島平和記念公園)です。 人気観光地のトップ3に入るほど多くの外国人観光客が訪れているそうです。 平和記念資料館は原爆の悲惨さを伝える資料が数多く展示されています。 また、原爆ドームは広島県産業奨励館の焼け跡で、原爆が落とされた当時の悲惨さを残すために世界遺産にも選ばれ、永久保存されている建物です。 外国人観光客は、 「広島で起こったことを自分の目で確かめたかった」 「人類の大きな過ち、核兵器の恐ろしさを肌で感じたかった」 「平和を祈りたかった」 「平和について学びたかった」 「核兵器によって起こった悲劇を学びたかった」 「本などで戦争や原爆のことを知ってはいたが、実際に何が起こったのか確かめたかった」 などの理由で、広島平和記念資料館を訪れているそうです。 外部リンク: また、平和記念公園には平和のシンボルである折り鶴を捧げる場所があり、日本国内だけではなく海外からも折り鶴が捧げられ、年間約1千万羽、重さ約10トンもの折り鶴が捧げられているそうです。 「原爆の日」は知っていたけれど、何時に黙祷をするのか知らなかったという人も多いかもしれません。 広島や長崎では、式典会場だけではなく各地でサイレンや鐘などが鳴らされ黙祷をするそうですが、広島や長崎以外でも黙祷をする人がたくさんいらっしゃるようです。 原爆は、広島と長崎だけのことではなく、日本人が忘れてはならない過去ですよね。 私たちも広島と長崎の原爆の日には、その時刻に平和への祈りを捧げたいですね。 関連: - ,.

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