トンプソン サブ マシンガン。 【楽天市場】DENIX M1サブマシンガン トンプソンモデル 装飾銃 1093 デニックス M1928A1 トンプソン・サブマシンガン 古式抹消 古式銃 レプリカ モデルガン アンティーク銃 西洋銃 マガジン:ミリタリーショップ レプマート

トンプソンM1A1 東京マルイ 電動ガン エアガンレビュー

トンプソン サブ マシンガン

CYBERGUNはフランスと香港に拠点を置く、実銃メーカーのトイガン用ライセンスを多く所有している企業です。 自社の工場は持たず、製品はOEM形式で、CYBERGUNブランドとして展開しています。 このトンプソン M1A1は実銃のトンプソンを製造しているAuto-Ordnance社のライセンス取得し、製造はガスブローバックで定評のある台湾のWE-Techになります。 リアルさ、性能とも期待できそうです。 トンプソン M1A1は第一次世界大戦後、一人でも運用できる機関銃をコンセプトに米陸軍元大佐ジョン・トンプソンが設立したAuto-Ordnance社により開発されたM1921がベースになっています。 しかし戦間期の軍縮時代ということもあり、軍には少数しか納入されませんでした。 そのため、一時は民間にも流れ、シカゴギャングで愛用されたM1928が勇名を馳せました。 状況が一変したのは、第二次世界大戦が勃発してからです。 可及的速やかに大量のSMGが必要となり、M1928の各部を簡略し、生産性重視したM1A1が1942年、米陸軍に制式採用されました。 使用弾は. 45口径でメカはオープンボルトのシンプルブローバックです。 ストッピングパワーがある. 45口径弾をフルオートで撃つ場合、非常にコントロールが難しかったようです。 さらにリコイルを銃本体の重量で緩和するため、M1ガーランドより重いこと、貫通力不足も不評だったようです。 しかし映画プライベート・ライアン』やTVドラマ『COMBAT! 』のサンダース軍曹などなどWWIIのアメリカ軍といったらトンプソン! というほど馴染み深いサブマシンガンです。 間違いなく、ドイツのMP40やソ連のPPShと並ぶ、WWIIを代表するSMGといえるでしょう。 トンプソン M1A1をガスブローバックで忠実に再現。 外観のみならず、その構造、操作や分解手順も実銃とほぼ同様のことができます。 レシーバー、バレルなどはアルミ製で、ハンドガードやストックなどはリアルウッドではなく、プラで再現されています。 そのため構えた印象は意外に軽く感じます。 631J 回転数 690rpm(11. 2g使用、ホップアップ適正、10発での測定、気温29. パッケージは黒地にトンプソンのイラストにAuto-OrdnanceのロゴとCYBERGUNの表示があります。 パッケージはカッコよくできていますが、中は非常にシンプルです。 本体がタイラップで止められているだけです。 同梱物は取説とBBローダーのみです。 取説の内容もいたってシンプルで表記も中国語と英語のみです。 レシーバーを始め、本体の主要パーツはアルミ製です。 サンドブラストされたかのようなグレーかかった色合いがよい感じです。 また当時の雰囲気を出すためにネジ類は全てマイナスネジを採用するなど非常に拘っています。 レシーバー後部の右面には「AUTO-ORDNANCE CORPORATION」の刻印、左面は「THOMPSON SUBMACHINE GUN」の刻印があり、その2行目は「CALIBER. 6MM」となっています。 レシーバー上面、リアサイトの前にはトンプソンのトレードマークが刻印されています。 リアサイト後ろの「U. PROPERTY」の刻印も忠実に再現しています。 トリガーの上を覆うように配置されているのはマガジンキャッチです。 右端を押し上げて、ロックを解除するのですが、現代銃に慣れていると、とても操作しにくいですね。 グリップの上には(左)セレクターと(右)セフティがあります。 非常に簡素な作りで、棒が向いている方に設定されます。 写真ではセミオートのファイア状態になります。 このトンプソンGBBは実銃同様のオープンボルト方式です。 ボルトが後退位置でレディ状態になります。 オープンボルトのガスガンは久しぶりだったので、最初は「ボルトが戻らない!」と少し焦りました(笑)。 またボルトが閉じた状態でセフティをオンにするとボルトがロックされ、コッキングできない仕組みです。 可変ホップアップはエジェクションポート前部にあるドラム式のダイヤルで調整をします。 ダイヤルの溝が小さく、素手での操作はしにくいです。 ダイヤルにクリック感はありません。 平面でチェッカリングなどもない生産性重視のグリップです。 グリップはプラ製ですが、木目調になっています。 ハンドガードは実銃ではリアルウッドですが、本製品ではプラ製となっています。 M1A1の前身のM1928はバレルに冷却用のフィンがありましたが、M1A1ではなくなりました。 ストックもグリップ同様、木目調のプラ製となっています。 個人的にはリアルウッドでコストが上がるならプラ製でもよいと思います。 ストックのバットプレートには実銃同様、小物入れがあります。 バレルの上から被せただけの単純なフロントサイトです。 サイトの調整はできません。 リアサイトも鉄板をプレスしただけといった簡易的なものです。 こちらも調整はできません。 マガジンは装弾数50発で、重量は399gです。 マガジン上部のレバーで切り替えれば、空撃ちモードにできます。 放出バルブの左下にある出っ張りは残弾0になったとき、ホールドオープンするためのエンプティレバーですが、マガジンを銃本体に挿入する時に引っかかりやすいので、その際はマガジンキャッチを操作しながら装填するとスムーズに入ります。 ガスの注入はマガジン底部から行います。 ただ海外製のバルブはガスが入ってるのか、入っていないのか、無反応でわかりにくいのが難点です。 通常分解 まず、コッキングハンドルを真ん中の半円の部分にくるようボルトを引き、コッキングハンドルを引き抜きます。 マガジンを外した状態で、本体のレシーバー後端のにあるボタンを押しながらアッパーレシーバーを前に引き出します。 この時、シアが引っかかるため、トリガーを引きながら行います。 アッパーレシーバーの後端のボタン、ここはレシーバーリコイルスプリンガイドになっています。 ここを押し込み、レシーバーリコイルスプリンガイドを内側から抜き出します。 あとはそのままボルトが抜き出せます。 独特な形状のボルトです。 銀色の部分はアルミ製かと思います。 重量は199gとサイズに比して以外にも軽量です。 矢印部分がバルブノッカーになります。 トリガー周りは、このようになっています。 矢印はマガジンのエンプティレバーと連動する部分で、残弾が0になるとボルトがホールドオープン状態でストップします。 基本、工具を使用せずにここまで分解できます。 エアソフトガンとしての性能を持ちつつ、リアルな構造で再現しています。 実射テスト 今回はガスブローバックということで、実射テストの距離は20,30mで行いました。 20mは直径18cmの丸プレートとA3サイズ(29. 7cmx42cm)のスチールプレート、30mは人物大のターゲットを用意しました。 BB弾は東京マルイのベアリングバイオBB0. 2g弾と0. 25g弾を使用しました。 実際に射撃をしてみたところ、予想以上にフラットな弾道で、セミオートなら20mでは0. 2g弾と0. 25g弾のどちらもA3サイズのターゲットに当てられます。 ただ、フルオートだと、上下にホップがバラける感じでした。 距離30mでも、まっすぐ飛んでいきます。 セミオートでは0. 2g弾と0. 25g弾のどちらもほぼ人物大に集弾しますが、やはりフルオートでは弾幕を張るといった集弾となります。 2gなら距離40m程度の飛距離はありそうですが、人物大サイズでもヒットさせるのは難しい印象でした。 また距離30mでは0. 25g弾の方がやや集弾している印象を受けますが、この距離で弾道は少々ドロップ気味で上目を狙う必要がありました。 飛距離は30m強といったところでしょう。 それでも海外製ガスブローバックとしては優秀ではないでしょうか。 フルオートは強烈なリコイルのため多少バラつきますが、10発程度の連射でしたらガス圧が低下することもなく、快調作動します。 テストでは500発以上撃ちましたが、トラブルもなく、信頼性も高そうです。 気になった点としてはまず、木製部分がすべてプラ製ということです。 しかしプラ製といっても木目調の加工が施してありますし、リアルウッドよりコストを抑えています。 サードパーティでリアルウッドのパーツがありますが、市場価格の銃本体より高かったりしますので、この辺は個人の好みでカスタムすればよいでしょう。 次はホップアップです。 ダイヤルの可動範囲は大きいのですが、海外製エアガンにありがちな、ホップが効く範囲が非常に狭く、ベストな位置を出すのが難しいものでした。 25g弾ではホップ最大でも効きが弱かったため、飛距離の伸びがありませんでした。 最後はマガジンです。 これも海外製のガスガンによくあるのですが、高圧ガス用の注入バルブなのか、HFC134aでは注入しても何の反応もありません。 入っているのかもよくわかりません。 一応、ガスはしっかり注入されていましたが、不安になります。 まあ、どれも気になった程度で、欠点というほどではないと思います。 箱出しで、この性能でしたら問題ないどころか、高性能なガスブローバックガンといえるでしょう。 総評 実銃メーカーのAuto-Ordnance社のライセンスを取得によるリアルな外観と刻印が入りモデルであること。 さらに製造元のWE-Techの工作技術の高さにより、実銃に近い構造で、分解も可能と、このトンプソンは素晴らしいの一言です。 ガスブローバックガンとしても小気味よいリコイル、そして飛距離、精度など実射性能とも充分合格レベルに達しています。 フルメタルでリアルな構造、完成度は非常に高いのに価格はそれほど高くないところも嬉しいですね。 ここまで忠実に再現されているこのトンプソンM1A1は、もはやBB弾の出るモデルガンと言えますね。 協力:ビレッジ2.

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トンプソン サブ マシンガン

この記事はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年7月) 短機関銃(たんきかんじゅう)は、弾を使用し、個人が抱えて射撃出来る(二脚架・三脚架が要らない)小型ののことである。 サブマシンガン、 機関拳銃(きかんけんじゅう)、 機関短銃(きかんたんじゅう)とも呼ばれる。 の「サブマシンガン」 Submachine gun, SMG は、後の1919年、の発表時に小型機関銃という意味合いで開発元のAO社によって造語されたものである。 ではの発表時に造語された「マシーネンピストーレ」 Maschinenpistole, MP という語が用いられる。 MPを逐語訳すると機関短銃、機関拳銃となり、日本において同種の銃火器の調達名はそう呼称される事が多い。 一〇〇式機関短銃、9mm機関けん銃など 一方、逐語英訳である マシンピストル Machine Pistol は、引き金を引きっ放しにしていれば自動で連発出来るを指すことが多い(の項目を参照)。 第二次世界大戦頃までのでは、同種の火器を指して マシンカービン Machine carbine という語が使われていた。 メーカーや組織によっては、弾を使用する小型のにも短機関銃を意味する名称・分類を与えることがある。 また似た語にがあるが、軽機関銃とはライフル弾を用いる歩兵支援用の火器であるので、短機関銃を軽機関銃と表記するのは間違いである。 概要 [ ] 短機関銃は、に特化した銃である。 短機関銃の登場はに遡る。 当時は戦が戦いの中心であり、によって塹壕に侵入しようとするドイツ突撃隊が新兵器の短機関銃を優先的に装備した。 塹壕内の狭い空間での戦いは近接戦闘の連続であり短機関銃が適していた。 従来の小銃は長い銃身により射程で短機関銃に優越していたが、塹壕内では取り回しづらく、や射撃を行うのが難しかった。 一方、短機関銃は携帯性に優れ、狭い空間での取り回しが容易だった、塹壕内の白兵戦にも適していた。 また、連射による制圧も行なえた。 その後、連発能力が低い小銃を補完する存在として、各国軍や警察に採用された。 が始まると、連射によってを張ることができる短機関銃はが必要な小銃に比べて新兵の訓練期間が少なくて済むこと、構造が単純で安価であることなどの理由からされ使用された。 第二次世界大戦後は、連射能力を有し、遠距離射撃にも対応できる突撃銃()が普及したため、短機関銃は小型・携帯性を生かした護身用途が中心となった。 従来の短機関銃は命中精度がかなり低く、誤射の危険が大きかった。 しかし、1960年代になどの高精度の短機関銃が開発されると、や警察においても、それらを近距離戦闘用等に採用するようになった。 犯罪者が利用する短機関銃もまた大変な脅威になるため、多くの国ではの対象である。 銃規制のゆるいアメリカにおいても、短機関銃の民間用モデルは銃床のないか、銃身を延長したとして改変しないと一般販売を許可されない。 定義 [ ] では、短機関銃(Submachine gun)という語を次のように説明している。 短機関銃とは、比較的低エネルギーの拳銃弾を用い、腰または肩から射撃される軽量かつ自動式の小火器である。 Submachine gun, lightweight automatic small-arms weapon chambered for relatively low-energy pistol cartridges and fired from the hip or shoulder. また、『防衛省規格 火器用語(小火器)』の中では、短機関銃、機関短銃、機関けん(拳)銃、マシンピストルを区別なくSubmachine gunあるいはMachine pistolに相当する語として、「けん(拳)銃弾を連続射撃する銃。 半自動及び全自動の切り換えが可能なものが多い。 」と定義している。 歴史 [ ] 第一次世界大戦 [ ] ピダーセン・デバイス 世界で最初に実用化された短機関銃は、末期に軍が開発したである。 拳銃弾を使用するフルオートマチックの銃としてはの()の方がMP18よりも早い。 M1915の前身は、 ()少佐が1914年に開発した拳銃弾を用いる航空機用の小型機関銃である。 軽機関銃として運用されたこともあり、通常は短機関銃の一種とは見なされない。 ただし、M1915の運用に関する試行錯誤はイタリアにおける短機関銃開発の発端となり、M1915を改造した短機関銃がMP18とほぼ同時期に採用されている。 3月のにおいて、戦の膠着状態を打開のために編制されたにMP18約5,000挺が配備され大戦果を挙げた。 しかし、ドイツ帝国軍はこの攻勢を持続できずに敗戦を迎え、戦後の下でMP18の配備は禁止された。 ではに最低限の加工を施し、ボルトを外して「() 」と呼ばれるユニットを組み込むとのように使用できる、セミオートの短機関銃とでも言うべき兵器(正確にはピストル弾使用のオート)が開発された。 この銃は. ピダーセン・デバイスは第一次大戦の塹壕戦で求められた近接戦闘用兵器として500,000個が大量生産され、7月ので実戦使用されたが、間もなく終戦を迎えた。 その後、同デバイスの大部分はで保管されていたが、が採用された事で廃棄処分となった。 第一次大戦直後にが完成し、が興味を示したが、戦後のの影響で大量配備には至らなかった。 当時、短機関銃にもっとも興味を示したのは、下で密造酒の製造や酒類の密輸で急成長し、相互の抗争のエスカレートから武装強化を図っていたギャング()たちと、それを取り締まる司法組織(、など)であり、の影響で勢力を拡大したのを主とする実力闘争を鎮圧する需要から成長していた民間のや、組合側が自衛のために雇ったマフィアなどの武装集団も格好の武器として多用した。 また、国外に輸出されたは・欧州・中東・中南米など全世界で使用され、革命では鎮圧のため同国へ侵攻したがで同銃を活用したの革命軍に返り討ちにされる事件なども発生し、戦間期を代表する短機関銃となった。 のでは「シカゴ・ピアノ」「シカゴ・タイプライター」「トミーガン」の通称でトンプソンM1928、しかも50連ドラムマガジン付きの機種が派手な小道具として頻出し、「ギャングの武器」というイメージを世界中に印象づけることになった。 第二次世界大戦 [ ] 第二次世界大戦でドイツ軍が使用したMP40 では下で再軍備が始まると、に随伴するの火器として短機関銃が見直され、に派遣されたドイツのはMP18の改良型であるを使用し、その価値が実証された。 大戦初期のの成功にも、短距離ながら濃密な弾幕を簡単に形成できる短機関銃は大きく貢献した。 これは当時の歩兵が通常装備したの手動は、速射が利かず、また、リーチの短い銃剣に比べ、近接戦闘における短機関銃の制圧火力が圧倒的だったためである。 同時に、を装備していた下級の防御力不足が判明すると、一般の歩兵と同じく小銃装備だった達ともども短機関銃の配備が計画され増産が図られたが、MP28は小銃と同形態の削り出しレシーバーや木製ストックで製造された銃器であり生産性は良くなかったため、レシーバーなどを鋼板プレスで生産し、も金属製とし、部品を導入するなど新しい製法を導入して生産性を著しく高めたやその改良型であるが造られた。 MP40の評価は特に高く、敗戦まで大量生産され総生産数は100万丁に達した。 戦後もの主力銃器のひとつとなり、やといった過酷な環境でも長年使用されている。 短機関銃の運用でドイツに後れを取ったでは、からの敗走で装備の多くを失った数十万の自軍兵士のために、生産コストを重視した設計のが開発され、玩具メーカーまで動員してのが行われた。 同銃はや軍の他にもやの占領下各地で活動する勢力へ投下される援助兵器としても広く用いられた。 米国ではがの開始とともにイギリス軍やで本格的に使用され、やではされた同銃をも使用するなど敵味方を超えた絶大な人気を誇ったが、生産性が悪いため代わって開発された(通称:「グリースガン」)がに採用されることになる。 の鋼板プレス技術を用いて開発されたこの銃は、MP40やステン短機関銃の影響が明白であった。 第二次世界大戦以降 [ ] 後も多くの国では短機関銃の配備を続けた。 しかし戦後にとして出現したは、戦中にドイツが開発したの流れを汲むを短機関銃と小銃を兼ねる存在として採用したため、ソ連の影響下にあった東側ブロック諸国では大量の短機関銃が退役し、下で勃発した世界各地での紛争に安価な援助兵器として大量投入された。 逆にでは、高威力長射程だが反動も強いがアメリカの強い後押しでの共通新型小銃弾として採用された結果、AK-47と同世代の西側製突撃銃であるや、はどれもフルオート連射時の反動制御が難しいうえに全長も概して長い(3種類とも1mを超える)ため、兵や搭乗員などの自衛用に短機関銃の配備と運用が続けられた。 拳銃弾は小銃弾に比べて発射ガスの量が少なく低圧で、初速も遅いためにの効果が得やすい利点があったため、発射音を抑制した短機関銃は戦や活動には格好の武器であった。 特に中国は様々な改良を繰り返し、「微声」とよばれる独自の消音短機関銃を発展させており、やでは、が付短機関銃を投入して、山岳地帯やジャングルでのゲリラ戦で多用し、アメリカ軍を苦しめた。 MP5シリーズはクローズドボルト発射方式とブローバックを用いた独特の構造により良好な命中精度と集弾性を実現した「拳銃弾を使用するアサルトライフル」とでも言うべき短機関銃だった。 精密な構造から従来の短機関銃よりずっと高価で整備に手間がかかるという欠点があったものの、警察・を中心に広く採用された。 また、近年が進化・普及し、従来の拳銃弾ではこれを貫通するのが困難となったため、やのようにライフル弾を小型化して貫通力に優れた新しいが開発され、近距離で並の貫通力を実現した存在である「(Personal Defence Weapon:個人防衛兵器)」と呼ばれる新ジャンルの火器が登場している。 なお、PDWの元祖的存在であるP90を開発したFN社は、逆にPDW専用弾を使用する拳銃を開発している。 日本での呼称 [ ] 兵器の分類と呼称は、技術の進歩や戦術の変化、しばしば政治的な理由により、時代や国により異なる。 日本では軍隊と警察、陸軍と海軍といった組織間で訳語が異なる。 特に短機関銃ではその傾向が強い。 公式な名称がどうあれ、一般の間では、一般にと短機関銃が峻別されていなかった。 旧軍兵士の回顧録や戦記文学では、交戦国の兵士が使用していた短機関銃が自動小銃と形容されることが多い。 では落下傘部隊用に制式採用したから解る通り、サブマシンガンを 機関短銃と呼んでいた。 しかしそれ以前には自動短銃と呼んでいた時期や、自動小銃と呼んでいたことさえあった。 また、では輸入して装備したなどを 自動拳銃と呼んでいる。 日本陸軍も他の列強諸国と同様に、第二次世界大戦の開戦まで機関短銃を重要視していなかったが、軍との交戦を通じてその価値を理解した戦争後期には一〇〇式機関短銃の配備を進め、やでは多数が使用されている。 では米国製のを11. 4mm短機関銃M3A1の名称で制式化していたが、に導入された社製の短機関銃はの制式名で採用した。 なお、では 短機関銃、 機関短銃、 機関けん(拳)銃、 マシンピストルの4つをいずれも区別なくsubmachine gunあるいはmachine pistolに相当する語としている。 また、の、、、、、の、のには、「機関けん銃」と称して、社のが導入されている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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トンプソン・サブマシンガンとは

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戦時中に生産されたトンプソン M1928A1 種類 原開発国 運用史 配備期間 - () 配備先 はじめ各国 関連戦争・紛争• 8lb(4. 9kg)空の場合(M1928A1) 10. 6lb(4. 8kg)空の場合(M1A1) 全長 33. 5 in 267 ミリメートル 銃身にオプションでCutts Compensatorが付く 12 in 305 ミリメートル (11. トムソン銃、 シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項では トミーガンに統一して表記する。 「サブマシンガン」という言葉を初めて用いた製品としても知られる。 トミーガンは、時代のアメリカ合衆国内においてとの双方に用いられたことで有名になった。 から累計170万挺以上が生産され、今日でも民生用モデルの製造が続けられている。 頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。 構造 [ ] トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが角を丸めた直角で構成されている点で、円形を基本に構成される事が多かったの製品とは一線を画したデザインとなっている。 これはトミーガンは鋼鉄ブロックからの切削加工で製造され、切削作業の大部分が平加工だけで行えるよう考慮したためである。 この結果、大規模な専用生産施設を持たなくても、外注工場の利用が容易で効率よく製作できるメリットがあり、やなど工業水準の低い諸国でも容易にコピー生産が可能となった。 トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、は上部レシーバ先端にネジで固定され、が接触する部分はを装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。 弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。 箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。 (後述)では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。 下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。 上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。 しかし中には全軍への普及を図るべく、やなどに代表される、より一層と生産性が高いが要求され、その結果としてプレス加工主体のの開発が行われた。 また、携行性をあまり重視しない長く重い銃ではあったが、ちゃんと構えて保持すればその重さが発砲の反動を相殺し、良好な命中精度を発揮した。 歴史 [ ] M1921を手にする設計者ジョン・トンプソン 最中の、元(後に復帰しとして再度退役する)は「塹壕箒」(trench broom)と仮称される自動式の設計に着手し、 ()社を創業した。 元々の「塹壕箒」というアイデアは、すなわち「1人で持ち運べる機関銃」(a one-man, hand held machine gun. )というものであった。 当時のは大型かつ重量級の装備であり、(自動小銃 )といえどもが一人で操作できる存在ではなく、機械的な信頼性も低かった。 そして機関銃は突撃する兵士に随伴して後方から援護射撃を加える事すら難しかった。 しかし、塹壕戦の打開に必要とされていたのは、機関銃で強固に防衛された敵塹壕に対する肉薄および突破であり、これに用いる銃器には兵士が携帯できるサイズ・重量であることやフルオート射撃能力が求められた。 に参戦したでも、塹壕の突破を目的として軍用や秘密兵器であるを量産・装備していた。 また、同時期の米国ではによって(BAR)の開発が進められていたほか、同時期にはでも塹壕陣地の突破を任務とするのためになる小型機関銃の開発が進められていた。 、「塹壕箒」のアイデアに沿った パースエーダー(Persuader, 「説得者」、「言うことを聞かせるもの」の意) と呼ばれる試作銃が設計された。 設計にはセオドア・エイコフ(Theodore Eickhoff)やオスカー・ペイン(Oscar Payne)らも携わった。 ブリッシュ・ロック方式を採用したM1928A1のボルト。 H字型の部品が真鍮製ロッキング・ピース。 ボルトは鋼鉄製で、高圧下における異金属同士に強い静止摩擦力が働くという仮説に基づき、これによってボルトの後退を遅延できるとされた。 この試作銃はヨーロッパへ出荷するべくニューヨークに送られたものの、ニューヨークに到着した11月11日にはちょうどが結ばれて世界大戦が終結していた。 パースエーダーは式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱いという欠点があった。 そこで、これをに改めたタイプがに試作され、 アナイアレーター(Annihilator, 「絶滅者」、「敵を打ち負かすもの」の意)と名付けられた。 両製品は、ともにと呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた。 M1919 [ ] 最初の『』 アナイアレーターが完成する前年には終結していたが、トンプソンは念願の製品化に着手した。 このモデルは後年M1919と呼ばれているが、発売時の製品名は単に トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)とされており、小型機関銃という意味合いで造語された サブマシンガン(Submachine gun)という言葉が初めて使用された製品である。 この言葉は後に「弾を使用するフルオート」の総称として世界的に使用されるようになった。 また、宣伝上の理由から「サブマシンガン」という馴染みのない新しい用語よりも大衆の興味を引く製品名が必要とされた為、 トミーガン(Tommy Gun)という愛称が考案された。 トミーガンという語はにて商標として登録され、いくつかの銃への刻印にも使われた。 製造は精密機器メーカーの社が担当した。 民生用のスポーツ銃として再設計されたこともあり、軍や警察からの注文はごく僅かであった。 初頭、政府によるトミーガンのテストが決定する。 1920年4月27日ににて実施された予備性能試験においては、2,000発の射撃中に動作不良は1度のみという好成績を残した。 この数ヶ月後には海兵隊の ()で試験が行われ、同様に好成績を残している。 M1921 [ ] 「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告 民間市場での成功と知名度の獲得 M1921はトミーガンとして最初に量産が行われたモデルである。 銃身覆い(バレルジャケット)が廃止された点がM1919と比較した時の外見上の特徴で、以後のモデルはほとんどM1921のデザインを継承している。 富裕層向けの高級玩具としての色彩が強い製品であり、木部は美しく仕上げられ、各部品は高精度な切削加工で製造されていた。 には カッツ・コンペンセイター(Cutts Compensator)と呼ばれるの一種が発明され、フルオート射撃時のコントロールはより安定した。 リチャード・W・カッツ(Richard W. Cutts)が考案し、オート・オードナンス社に提案した。 射撃時にガスの一部を上方へと逃がすことで、銃口の跳ね上がりを抑制できるとされ、これに感銘を受けた開発者トンプソンは、1927年にカッツとロイヤリティ契約を結んでいる。 区別のため、以後はコンペンセイター付きのモデルにはAC、無しのモデルにはAという文字が製品名の末尾に加えられた。 別売りのオプションとしての価格は25ドルだった。 オート・オードナンス社が想定したよりも売れ行きは緩やかで、この時コルト社が製造したトミーガンの在庫は第二次世界大戦直前まで残されていた。 ベルギーとイギリスでは軍用銃としてテストが行われたが、採用には至らなかった。 陸軍および海兵隊ではM1921の性能試験が行われ、良好な結果を残していたものの、第一次世界大戦後の軍縮の中で制式採用は見送られることとなる。 売れ行きは緩やかなものであったが、商業的には成功を収めた。 なお、最初にM1921の大口顧客となったのは、のアイルランド系移民の支持者達と考えられており、製造番号が1,000番未満の初期生産品が英領で発見されている。 これらのM1921は Irish Swordと呼ばれ、後のでは主に反条約派によって使用された。 制式採用ではなかったものの、海兵隊では数百丁のM1921を購入して方面での作戦に投入したほか、郵便強盗対策に従事する海兵隊員によっても使用された。 海軍でもにおける ()などに従事する船舶の船員用火器として購入している。 の ()でも武装職員向けの装備として購入している。 アメリカにおいて、郵便監察局はトミーガンを本格的に導入した最初の法執行機関である。 トミーガンがなどの間で普及して「犯罪者の武器」と認識され始めたのもこの時期である。 (FBI)や各地方の治安当局でも、こうした犯罪者に対抗するべくトミーガンの配備を進めた。 当時のM1921は民間人(この中にはトミーガンを有名にした達も含まれていた)を主な購入者としており、に規制されるまで購入に何らの制約も無く通信販売でも購入できたため、における交戦相手の()も、海兵隊と同様にM1921を装備していた。 M1923 [ ] 強装の試行 トンプソンが想定していた小型のコンセプトは、弾を使用するものであり、M1921に使用された(480J)のパワーと、有効射程が50ヤードしかなかったM1921の射程は、軍用として力不足なものだった。 しかし、の閉鎖機構は、その主要部品に真鍮製のロッキング・ピースを用いており、強烈な腔圧を発生させる当時のフルサイズ小銃弾には不向きな事が判明していたため、. 45ACP弾の長を3mm延長して威力を増大した (1,590J)が新規に開発され、これを用いるM1923が試作された。 45レミントン・トンプソン弾は. 45ACP弾の3倍ものエネルギーを持ち、後に開発されたに近いパワーを有し、至近距離で杉板15枚、300ヤードで8枚を貫通したとされる。. 45レミントン・トンプソン弾はテストの結果. 45ACP弾よりも精度が悪い事が判明し、市販されずに終わった。 銃剣用に着剣装置が付けられたタイプや、を付けたタイプも試作されて向けのプレゼンが行われたが、既にが採用されていた事もあり、採用には至らなかった。 M1927 [ ] セミオート・バージョン M1921は当時数少ないフルオートだったため、慣れない射手が引き鉄を引き続けてが跳ね上がり、制御不能となって意図せぬ方向を撃ってしまう事故が発生する事があった。 このためM1921からフルオート射撃の機能を削除し、セミオート・とした製品が要望され、M1927が製造された。 M1927はM1921を改造して製造されたため、M1921の刻印である"Thompson Submachine Gun"を一部削り取り、"Thompson Semi-Automatic Carbine"と改めて打刻し直されている。 M1927はM1921とほとんど同じ製品であるため、簡単にフルオート射撃の機能を復活させる事ができたが、の連邦法改正によるフルオート火器の所持規制以降も民間人が無許可で購入できるトミーガンとして製造され続けた。 ただし、以降、撃発火器は、フルオートへの改造を前提とした火器と見なされるようになったため、現在では所持制限の対象となっている。 また、トミーガン用の100連はM1927と同時に販売されるようになった。 M1928 [ ] トンプソンM1928を持つイギリス兵() 正規軍に採用された軍用モデル 1928年、ではトミーガンの採用を計画するにあたり、M1921に何点かの改良を加えるように求めた。 このモデルが海軍M1928(U. Navy, Model of 1928)として採用された。 オート・オードナンス社では、合計して500丁(うち340丁は以前販売したM1921)のトミーガンを海軍および海兵隊に納入した。 M1928はかつてコルト社が製造したM1921を改修する形で製造された。 「M1921」の刻印の末尾の「1」は上から「8」と打ち直されており、発射速度が落とされ、水平フォアグリップとカッツ・コンペンセイターが取り付けられている点を除けば、市販されていた製品と同等のものだった。 オート・オードナンス社のカタログには、ネイビー・モデル(Navy Model)の商品名で掲載されていた。 一方、陸軍では依然としてトミーガンに強い関心を示していなかった。 1920年代後半のアメリカ陸軍において、トミーガンは騎兵科の偵察車両や戦車の乗員向けに限定調達されているに過ぎなかった。 当時、陸軍では騎兵・歩兵共用銃としての新型自動小銃(後の)の開発が進められており、それを待たずにトミーガンを採用する必要性を認めていなかったのである。 の勃発後、M1928は・・に採用された。 フランス軍は3,750挺のM1928と3,000万発のを発注した。 イギリス軍ではなどがこれを使用した。 M1928A1 [ ] 米軍向け改良モデル の採用後、陸軍騎兵科ではM1ガーランドよりも軽量かつ高火力で車両乗員向け装備に相応しいとしてトミーガンの再評価が成された。 1938年9月、陸軍ではトミーガンの調達区分を限定調達から標準調達へ切り替え、M1928A1(Submachine Gun, Caliber. 45, Model of 1928A1)の制式名称を与えた。 1939年6月、陸軍はオート・オードナンス社とトミーガン950丁の調達契約を結んだ。 この頃にはM1921としてコルト社が製造したトミーガンが枯渇し、 ()社による新規ライセンス生産が始まった。 また、アメリカ政府への供給に加えて諸外国での需要も増加しつつあった為、オート・オードナンス社はいくつかの自社工場を設置している。 陸軍および海兵隊は新型自動小銃が短機関銃を置き換えることを想定して調達数を調整していたが、を受けへの参戦が決定するとM1928A1の需要は一層と膨らみ、調達数は増加していった。 実戦の中でその有用性が証明されたこともあり、M1カービンが短機関銃を完全に更新することはなかった。 M1928A1はアメリカ軍が採用したほか、の元でへ広く供給された。 1940年、サベージ・アームズにて軽量化と生産効率の向上を目的とする製レシーバーの実験が行われた。 この際に試作されたアルミ・トミーガンでは木製部品もが製造したテナイト(Tenite, 系)製に改められていた。 しかし、アルミ製レシーバの強度不足を解決することができず、最終的にプロジェクトは放棄された。 その後、M1の採用を受け、1942年4月25日からM1928A1は「準制式装備」(Limited Standard)と位置づけられた。 調達自体は同年秋に終了し、正式な退役手続きは1944年3月16日に行われた。 、での撮影 戦時省力生産モデル トミーガンはを前提としたデザインであり、を活用した大量生産には再設計が必要だったが、大幅な構造の変更はなされないまま、省力化と操作性向上のために幾つかの改良が施されたM1型がに採用され(タイプの鋼板プレス製も同年に採用された)、末から ()社で大量生産が開始された。 M1に採用された簡易化は、• 構造が複雑で故障も多かったを廃止し、ボルトの重量を増やして純粋なに変更された。 ブリッシュ・ロックは、設計の前提となる仮説に誤りがあったため、トミーガンは以前から実質的にシンプル・ブローバック方式の銃として動作していた。 銃身に装着されていたや放熱フィンが廃止された。 の固定法が直接ネジで止める方式に変更された。 装着用の横スリット溝が廃止された。 コッキングハンドルを上面から右側面にずらした。 しかし、当初は供給が追いつかなかったため、など他ので不足分を間に合わせていた。 同年中には簡素化が更に進められて撃針をボルトに固定し、照門(リアサイト)の側面に三角形の保護板を付けたM1A1が採用された。 旧式化 [ ] トミーガンは第二次世界大戦勃発の時点で連合国軍が配備しうる唯一の有力な短機関銃と見なされていたが、一方で原設計が1919年ということもあり、既に旧式化しつつあった。 このため、アメリカ政府ではより近代的かつ軽量で生産効率も高い新型短機関銃による更新を計画し、各国から広く新型短機関銃を募集した。 1939年、 ()技師が手がけたM35短機関銃が審査を受けた。 M35はトミーガンと類似したシルエットを備えていたが、いくつかの点で劣ると見なされ採用されなかった。 続いて審査を受けた製品としては、、、、製半自動カービン、などがあった。 この時にはステン Mk. 2が最も高い評価を受けたものの、結局更新は見送られた。 1942年、はステン Mk. 3を審査した後に再び採用を見送ったが、この際にステンを参考とした安価かつ生産効率の高い短機関銃を設計することが決定した。 設計担当に選ばれたのはかつてM35を提案し、当時はを手がけていたハイドであった。 同年12月24日、新型短機関銃は制式名称(United States Submachine Gun, Cal. 45, M3)として採用され、以後トミーガンの生産優先順位は低下した。 しかし、その後も製造上の都合から1944年2月までトミーガンの販売は続けられた。 2月には最終注文分として2,091丁のトミーガンが陸軍に引き渡された。 第二次世界大戦後 [ ] 大戦末期、オート・オードナンス社は当時の親会社マグワイア・インダストリーズ(Maguire Industries)に同社の銃器部門として吸収され、まもなくして需要が増加しつつあったラジオやレコードプレーヤーなどの製造部門に改組された。 これに伴い銃器関連の生産設備は全て解体された。 1949年にはキルゴア製作所(Kilgore Manufacturing Co. )がエジプト向けのトミーガン製造を行うために旧オート・オードナンス社の資材を購入したものの、結局エジプト当局との契約には至らなかった。 その後、オート・オードナンス社の資材とトミーガンの権利は複数の投資家や企業の間でやり取りされることとなった。 1970年初頭にようやくオート・オードナンス社が再建され、官給用モデルの限定的製造および民生用セミオートモデルの製造が始まった。 この新型セミオートモデルは従来のモデルの部品を用いたフルオート改造を封じるため、レシーバーが再設計されている。 また、銃身も法規制に基づいた比較的長いものが取り付けられている。 1957年、アメリカ軍は準制式装備たるトミーガンの完全な退役を宣言した。 しかし、1961年に大統領がへの介入を決定すると、予備装備として残されていたトミーガンが軍事顧問団の装備や(南ベトナム軍)への援助として使用されることになった。 当時海兵隊員として従軍していたは、銃床を取り外したトミーガンを頻繁に目撃したとしている。 ()では、戦闘後に遺棄されていたトミーガンを多くの海兵隊員が入手し、またダイ自身もしばらく使用していたという。 ダイは弾薬の消費量や重量、引き金の重さを欠点としつつも、近距離戦闘では非常に効果的な火器であると評価している。 そのほか、ヘリ乗員が銃床を外したトミーガンを南ベトナム兵から譲り受け、バグアウト・ガン(bug-out gun, 機体からの脱出時に持ち出す非常用火器)として使用したり、休暇で市街地に入る際の自衛用火器として用いた例がある。 一方、重量以外にも威力不足や整備性の問題、弾倉の入手が困難などの問題点から、他の銃器ほどに広くは使用されなかったとも言われている。 普及 [ ] アメリカ [ ] アメリカにおいては軍用短機関銃としての運用に加え、の恩恵で急成長を遂げていたによって抗争などで使用されたことがトミーガンの知名度を飛躍的に高めた。 トミーガンを愛用した著名なマフィアとしては、、、などが知られている。 の通称も、彼が愛用したトミーガンに因んだものである。 開発者トンプソンの意図に反した形で普及する中、トミーガンには様々なニックネームが与えられた。 その中でも特に有名な「シカゴ・タイプライター」(Chicago Typewriter)という通称は、トミーガンをフルオートで射撃する際、銃声の中に混じる特徴的な「カタカタカタッ」という動作音をタイプライターに例えたものである。 間の抗争事件は当時のマスコミの格好の題材であり、こうした事件が""的に映像化されたハリウッド製作のギャング映画によって、トミーガンの存在は マシンガンの呼称とともに世界中に知れ渡り、トミーガン=という認識が広く定着するなど、実態以上に強い印象をもって記憶されており、寿司桶のようなを装着したトミーガンの姿は ()を演出した歴史上重要なアイテムとして認識されている。 一方、これらの犯罪者らと対峙した法執行機関でもトミーガンは使用された。 最初に本格的な配備を行ったのは郵便公社郵便監察局である。 (FBI)におけるトミーガン採用のきっかけは、1933年に起こった ()として知られる大規模な銃撃戦であった。 この直後、捜査局(BOI, FBIの前身)の長官であるはエージェントの重武装化の検討を行わせ、この中でいくつかの拳銃や散弾銃、小銃と共にトミーガンの調達が決定した。 その後、トミーガンは長らくFBIの制式短機関銃として運用されたが、1971年には本部庁舎および各地方支局の見学ツアーにおけるデモンストレーション用とされた少数を除き、ほとんどが廃棄された。 この際に後継装備の選定が行われなかった為、FBIは短機関銃不足に陥り、最終的にの調達が行われるまで、軍余剰品のやなどが用いられたという。 1989年、FBIは制式拳銃弾として ()を採用した。 これを用いる肩撃ち銃を模索する過程において、FBIは予備火器として保管されていたトミーガンの一部をオート・オードナンス社に送り、10mm仕様への改修を依頼した。 オート・オードナンス社では10mm仕様トミーガンを自社のカタログにも掲載し、1991年から1993年頃まで販売していた。 その後、これらの短機関銃の大部分は各種の5. 56mm突撃銃へと段階的に更新されていった。 イギリス [ ] ドラムマガジン付トミーガンを手にする英首相(1940年) 1921年6月30日、ヨーロッパ各国を巡りトミーガンの売り込みを行っていたトンプソンは、M1921のテストを行うためイギリスのに招かれた。 この時のテストは概ね成功を収めたものの、イギリス側の担当者は精度と信頼性に懸念を示し、ブリッシュ・ロック方式が銃の構造を不必要に複雑化していると報告した。 特徴的なドラム型弾倉についても有用性が疑問視され、同じ弾数を持ち運ぶとしても20発箱型弾倉を複数携行した方が軽量であるとした。 また、第一次世界大戦の終戦から間もない時代において、平時に購入するには比較的高価であったこと、あらゆる銃器について高い射撃精度を重視するイギリス陸軍の伝統に反すること、自動銃の採用によって弾薬の購入費用が増すおそれがあることなどを理由に制式採用は見送られた。 ヨーロッパでは仕様の需要があることにトンプソンは気づいたものの、当時のアメリカでは一般的な拳銃弾ではなかったこともあり、オート・オードナンス社の設備では設計・製造を行うことができなかった。 そのため、トンプソンはイギリスの社(BSA)にヨーロッパ向けモデルの設計・製造を依頼したのである。 同社のジョージ・ノーマン技師(George Norman)が手がけたヨーロッパ向けトミーガンは、1926年に発表されたことからM1926として知られる。 9x19mm弾仕様のほか、 ()仕様、仕様が設計された。 M1926はレシーバ部が強化されていたほか、フォアグリップや銃床の形状が改められ、ピストルグリップも除去されている。 M1926はいくつかの国で試験されたものの結局採用には至らず、1930年には製造が中止された。 なお、在庫となっていた少数のM1926は1940年の後にが全て買い上げている。 レンドリース法のもとアメリカから送られたトミーガンを運び出すイギリス兵(1942年) 1939年9月にが始まると、内閣の中にもこの戦争が長期化するものと予想する人々がいた。 いわゆるの期間、イギリス軍は本格的な参戦に備えて銃火器の備蓄と新規購入に着手したものの、資金不足などから軽量な自動火器の調達に失敗していた。 こうして当時「みすぼらしいアメリカのギャングの銃」と見なされていたトミーガンの再評価が行われ、兵站委員会()では政府に対しトミーガンの本格的な調達を求めたのである。 1940年、が首相に就任する。 チャーチルは雑誌『』誌上でトミーガンを賞賛し、間もなくM1928の調達を認めた。 ()は1940年2月に最初の注文を行った。 最初にトミーガンの供給を受けたのは、正規軍ではなくの ()(英本土侵略に備えた秘密抵抗組織)であった。 1941年初頭には陸軍での調達が始まったが、当初は特殊部隊のみに支給されていた。 の元で供給が始まると、イギリスはアメリカに対して514,000丁のトミーガンを要求した。 しかし、ではドイツ海軍のによるが激化しており、1942年4月までにイギリスへ届けられたトミーガンはわずか100,000丁に過ぎず、結局は需要の一部をで代替することとなった。 以後はステン短機関銃が優先して支給され、トミーガンはコマンドスなど一部の部隊にのみ与えられた。 ホーム・ガードでも引き続き使用された。 イギリスに供給されたM1928A1は基本的にアメリカ軍で採用されたモデルと同一であったが、水平フォアグリップではなく旧型の垂直フォアグリップが標準的に取付けられていた点と、アメリカ軍のモデルでは下部にあった銃床側のスリングスイベルが上部に移されている点が異なっていたほか、銃身と機関部にはイギリス政府調達を示す刻印が施されていた。 後にM1やM1A1も購入され、M1928と共に使用されている。 トミーガンを構えるチャーチルの有名な写真(本節冒頭)は、1940年7月に近くで行われた部隊視察の折に撮影された。 当時イギリス軍が有したトミーガンはアメリカから最初に出荷された400丁のみで、その一部が各地でのプロパガンダ写真撮影の為に使いまわされていた。 これによって、全軍にトミーガンが広く配備されているかのような宣伝が行われたのである。 イギリスでは徹底抗戦の象徴となったチャーチルの写真だが、発表の数週間後にはナチス・ドイツ側も同じ写真を用いたを作成しイギリスへと投下した。 これはトミーガンの印象も相まって写真のチャーチルがいかにも「ギャング風」に見えることから、彼を「非人道的な殺人犯」と称して非難する指名手配書風のものだった。 2014年、国防省ドニントン集積所()からエセックスの統合軍事博物館()に展示用として引き渡された旧式火器700丁の中に、かつてプロパガンダ用に使われていた初期輸入品のトミーガンが発見された。 カナダ [ ] カナダ軍では1940年のフランス陥落後にトミーガンを採用した。 1942年には安価なイギリス製に更新されたが、では弾薬供給上の都合からトミーガンが使用され続けた。 特徴的な50連発ドラム型弾倉も少数使用されたものの、大きくかさばるため好まれず、もっぱら20連発または30連発の箱型弾倉が使用された。 スウェーデン [ ] スウェーデンはヨーロッパでトミーガンを採用した最初の国の1つである。 さらに3,000丁を調達する計画もあったが講和に伴い中止されている。 また、大部分がM1921から改修されたものだったため、機関部の刻印に打ち直しの痕跡があった。 1950年代にはに売却されたと言われている。 最初のスウェーデン語版マニュアルはオート・オードナンス社によって印刷された。 早急な出荷が求められていたため、ページ数は英語版の半分以下の21ページまで減らされた。 写真や図版は既成のマニュアルやカタログから流用されたもので、M1928Aではないモデルのものも混じっており、垂直フォアグリップや100連発弾倉などスウェーデン軍が採用していないオプションも描かれていた。 その後、1941年から1944年にかけてスウェーデン国内で独自のスウェーデン語版マニュアルが何種類か作製された。 ソビエト連邦 [ ] の元、トミーガンはにも供給された。 ただし、当初はいくつかの理由で少数供給に留まっていた。 すなわち、上層部がソ連邦の気候に適した銃か疑わしいと考えていたこと、がソ連邦内で一般的な銃弾ではなく、アメリカからの供給を含めても調達が難しかったこと、アメリカ軍およびイギリス軍への供給が優先されていたことの3点である。 通常の運用に加え、車両乗員やパイロットの自衛火器としても配備されていた。 評判は悪くなかったが、その後も弾薬の調達が難航した為、段階的にソ連邦製の火器へと更新されていった。 フランス [ ] 第一次世界大戦後に新しい自動火器の調達を計画していたでは、1921年に試験目的でトミーガン1丁を購入している。 1924年にはトンプソンがフランスを訪れ、M1921(. 45ACP弾)とM1923( ()、二脚付)の試験が行われた。 フランス側ではさらに ()(. 351 SL)仕様での試験に関心を示した。 これはフランス軍が大戦中に同弾薬を採用しており、当時まだ在庫が残されていたためである。 1926年には. 351SL仕様のトミーガンで再度試験が行われたが、銃の破損など問題が相次いだ。 1927年にはイギリスで再設計されたM1926の試験が行われたものの、射撃性能とは別に弾倉の故障などが起こった。 発射速度も高すぎると判断され、最終的にあらゆる種類のトミーガンの採用見送りが決定した。 勃発後の1939年、早急に大量の武器を調達する必要に駆られたフランスは3,000丁のトミーガン(大半はM1921)を購入し、1940年を通じて配備が行われた。 これらはスリングスイベルを取り付けない状態で出荷され、フランス到着後に ()と同型のものが取り付けられた。 追加の評価試験後、さらに3,000丁の追加注文が行われたものの、全てを受領する前にフランスは降伏した。 国内に残されていた3,000丁あまりのトミーガンは、の軍・警察部隊によって使用された。 ヴィシー政権下では独自のフランス語版マニュアルも作成された。 一方、ではM1928A1およびM1が広く使用された。 当初はFM23-40などアメリカ陸軍の教範をフランス語に翻訳したものが使用されていたが、のちに独自のフランス語版マニュアルも作成されている。 日本 [ ] 敗戦の際、マレーにて日本軍から接収された銃火器。 手前にトミーガンなどの外国製銃器が確認できる(1945年) 第二次世界大戦前の1930年には、が実験に用いたという記録がある。 開戦後、日本軍は各戦線でトミーガンを鹵獲した。 1944年2月に作成された米軍装備に関する陸軍の資料中では、米軍が装備する(日本陸軍では主に「機関短銃」と呼んだ)について、、、の3点が写真付きで紹介されている。 また、では短機関銃を有する連合国軍部隊に対抗するべく、トミーガンなどの鹵獲短機関銃を装備した「自動小銃班」なる特設部隊が各地で編成されていたという。 1943年に米陸軍省が作成した資料にも、ビルマ戦線にて日本軍が曳光弾を装填したトミーガンを用いて夜間の威力偵察を行っていた旨を記したものがある。 でから鹵獲されたトミーガン600丁が、後にに支給されたとも伝えられている。 敗戦後のに発足したに対しては、米国からと並んで供与され、"サブマシンガン"の訳語として「」という言葉が作られ「 11. 4mm短機関銃M1」として制式化された。 その後もからにおいて継続して装備され、ではまで使用されたほか、及びではに入っても少数ながら現役として装備されていた。 自衛隊が保有していた45口径短機関銃は、1998年度からへの更新が始まり、2011年度までに完了した。 中国 [ ] トミーガンの射撃訓練を行うの兵士(1937年) 1920年代から1930年代にかけて、アメリカ合衆国主導のもとで国際的な武器禁輸が行われていたにも関わらず、軍閥間の内戦が続いていたにも多数のトミーガンが輸出された。 少なくとも3箇所の地方兵廠にてコピー生産が行われていたことが知られている。 山西省を支配したの軍閥ではM1921のコピー品が生産され、をM1921のに合わせて化した独自製品まで出現した。 また、各地で跋扈する匪賊の襲撃を撃退する効果的な兵器として、富裕な地主や帰国 なども、手頃な価格で強力な防御能力を発揮できるトミーガンを用いていた。 中国に大量に存在したトミーガンとコピー工廠は、国共内戦の終結と共にの手に渡り、ではも中国軍も共にトミーガンを装備して戦っていた。 共産党軍では回収された旧式火器の口径を自軍の標準弾薬にあわせて改造した上で使用しており、トミーガンの場合は仕様に改造されたものもあった。 その他 [ ] トミーガンを装備した南ベトナム兵ら。 南ベトナム軍では、アメリカからの援助の一環としてトミーガンを受領していた。 しかし、アメリカ兵よりも小柄な者の多い南ベトナム兵にとって、その重量は大きな問題だった。 南ベトナム兵らが好んだ銃床を取り外す改造も、軽量化を目的としたものだった。 正規軍のほか民兵組織などにも配備されていたが、1967年以降に大部分が小銃へと置き換えられた。 でもトミーガンは広く用いられた。 当時、部隊には戦後余剰装備としてアメリカから放出された各種火器が配備されており、トミーガンもそこに含まれていた。 紛争中には内で製造されたモデルも確認されている。 このトミーガンはおおむねM1A1のコピーで、いくつかの部品はアメリカ製のものがそのまま使われていた。 組合せは雑多で、M1A1では通常使われなかったカッツ・コンペンセイターが溶接(本来はネジ止め)されているものや、鋼鉄製よりも重量のある真鍮製のレシーバを備えたもの、手作業で作られた低品質な部品を組み込まれたものなどがあった。 刻印から親トルコ派の ()(TMT)が製造したものと考えられている。 正確には不明だが、生産数は10,000丁以下と推測されている。 画像 [ ]• 当時のアメリカ軍では、自動火器を2種類に区分し、陣地に据え付けるような大型で重量のあるものを機関銃(Machine gun)、運搬が容易で歩兵と共に前進できるものを自動小銃(Automatic rifle)とした。 この区分においては、一般に軽機関銃と称される銃の多くが自動小銃に含まれうる。 1930年代に福建省に潜伏したは、インドネシアから帰国した華僑と知り合い、その下に一時身を寄せていたが、匪賊による襲撃の噂が流れたため、これに備えて華僑の一族がトンプソンサブマシンガンなどの各種を準備して迎撃準備に努めていた事を記しており、当時の中国国内でトンプソンサブマシンガンは比較的身近な存在だった事が伺える。 出典 [ ]• Guns in Combat. Chartwell Books, Inc 1998. 2015年8月2日閲覧。 2015年11月17日閲覧。 2019年11月12日閲覧。 2019年6月18日閲覧。 Enterprises, ASIN: B0007HVRYY• 2011年2月15日. 2015年8月2日閲覧。 2013年12月20日時点のよりアーカイブ。 2014年11月11日閲覧。 smallarmsreview. com. 2020年2月3日閲覧。 2012年1月12日時点のよりアーカイブ。 2014年11月11日閲覧。 2015年8月2日閲覧。 smallarmsreview. com. 2016年9月8日閲覧。 The Unofficial Tommy Gun Page. 2016年8月22日閲覧。 The Unofficial Tommy Gun Page. 2016年8月22日閲覧。 The Unofficial Tommy Gun Page. 2016年8月22日閲覧。 2017年12月1日. 2018年8月23日閲覧。 2015年8月3日閲覧。 2019年10月13日閲覧。 2013年9月30日. 2015年8月15日閲覧。 2013年9月30日. 2018年7月31日閲覧。 2011年2月23日. 2015年8月3日閲覧。 Historical Firearms. 2016年3月20日閲覧。 2014年12月23日. 2015年8月24日閲覧。 Peter Harrington 2012年2月1日. 2015年8月24日閲覧。 canadiansoldiers. com. 2016年8月14日閲覧。 Janson. Gothia Arms Historical Society. 2016年8月14日閲覧。 smallarmsreview. com. 2016年9月8日閲覧。 2015年5月1日. 2015年8月18日閲覧。 smallarmsreview. com. 2016年3月20日閲覧。 「」 Ref. C05021291500• 「」 Ref. A03032193600• 藤田昌雄 2004. 光人社. 19-20. 2015年8月14日閲覧。 『陸軍落下傘部隊戦記 あゝ純白の花負いて』 田中賢一著 学陽書房 1976年 P130〜131• 2015年8月3日閲覧。 2016年7月10日閲覧。 『牢獄から牢獄へ - タン・マラカ自伝』 タン・マラカ 著 押川典昭 訳 鹿砦社 1981年7月• smallarmsreview. com. 2016年9月8日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 - オート・オードナンス社公式サイト• - 1929年に作成されたM1928およびM1921の共通マニュアル• - 米陸軍省が1942年に作成したM1928A1の教範• - - 米陸軍省が1942年に作成したM1928A1の教育用映画.

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