内藤剛志 下手。 『ペット2』吹替はうまい?下手?評判はいいのか実際に見てみて思ったことまとめ

『科捜研の女』最終回、土門(内藤剛志)旅立つ?! マリコはゴルファー急死の真相へ

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武藤要(むとう かなめ)がまさかの再登場! 演ずるのは土門刑事と同じ内藤剛志!! 『相棒』と並ぶテレビ朝日・東映制作の長寿ドラマ『科捜研の女』。 10月18日 木 にシーズン18がスタートします。 それに先駆け、直前の10月14日の日曜日の21時よりスペシャルが放送されます。 主人公・榊マリコ(沢口靖子)はシャーロック・ホームズのような姿で登場するよう 今回はシーズン18の第1話ではなく、別枠の単発スペシャルとなります。 少々ややこしいですが、実は昨年も同様にシーズン開始直前にスペシャルが放送されました。 その時はかつてレギュラーだった土門美貴(加藤貴子)の再登場というイベントがありました。 美貴は土門薫刑事(内藤剛志)の妹で、元科捜研の研究員。 退場回となったシーズン10の第1話(2010年)以来、久々の登場でした。 今回のスペシャルにはそれ以上に久しぶりのキャラが驚愕の再登場を果たします。 シーズン2(2000年)からシーズン4(2002年)まで登場していた元プロファイラーの武藤要です。 約16年ぶり、これまでの過去のレギュラーキャラの再登場は何度かありましたが、 これだけ間隔を空けての復活は初めてです。 しかし、驚愕と書いたのは単に久しぶりだからではありません。 この武藤要、演じていたのは土門刑事役の内藤剛志さんなのです。 それってどういうことか?? 実は内藤さんは、シーズン2から4まで武藤役で出演し、 次のシーズン5(2004年)からまったく別役の土門として出演しているのです。 随分無茶な配役のように思えますが、 視聴率が低迷していた初期のこのドラマは大幅なメンバーチェンジを繰り返しており、 このようなことも、他に似た例があります。 例えば、シーズン5から出ている日野現所長役の斉藤暁さんは シーズン1には別の研究員役で出演し、1度完全に降板して、5年後に別役で復帰しています。 今回はその武藤が再登場するとのこと。 だからといって土門がお休みするわけでもなさそうで、内藤さんは一人二役ということになります。 内藤さんはもちろん土門としても出演 プロファイラーから作家へ 武藤要(むとう かなめ)の履歴 武藤要はシーズン2初回から沢口靖子演ずる榊マリコの同僚の京都府警科捜研のメンバーで プロファイラーとして登場しました。 シーズン1の視聴率は苦戦したので、マリコ以外の研究員メンバーは総入れ替えとなり、 その1人としてのキャスティングでした。 武藤は硬骨漢の熱血刑事である土門とはほぼ真逆、 ソフトで丁寧に物腰ながら、ちょっと人を喰ったようなところのあるキャラでした。 もちろん、このシーズンは主要メンバーとして活躍しました。 しかしシーズン2も数字は低迷し、シーズン3ではまたマリコ以外の研究員は総入れ替えとなります。 ただ、武藤は科捜研を退職し、作家に転身した設定で番組に残りました。 毎回、マリコが熱帯植物園のように樹木の生い茂った武藤の自宅を訪ね、事件の事を話し、 コミカルなやりとりの中から解決のヒントを得るのが定番となりました。 このシーズンは視聴率が急伸し、武藤は次の4にもほぼ同様の形で残留します。 ただし、武藤は直木賞を受賞して人気作家になって優雅な生活をしており、 その遊興先をマリコが訪ねるのが定番となりました。 武藤はやや悪ノリ過剰で、コメディパートの色合いが更に強まりました。 このシーズン3と4での武藤の登場は基本的にマリコが彼を訪ねるシーンのみで、 他のレギュラーメンバーとは絡みません。 「もしかしたら、武藤は既にこの世に存在せず、マリコのイメージの中だけで生きているのでは?」 そんな極端な妄想さえ湧いてしまいそうな不思議なポジションでした。 シーズン4は再び視聴率が低迷し、武藤も他の多くのレギュラーメンバーと共に退場。 番組は1年半のインターバルを経て『新・科捜研の女』としてリニューアルされ、 内藤さんは別キャラの土門薫として、妹の美貴と共に登場します。 この時の土門はかなりの無頼漢で、武藤とは正反対だし、今の土門ともかなり違うイメージ。 次シーズンで軌道修正され、ほぼ現在の同様の一本気なキャラとなりました。 前述のように武藤要はシーズン3と4ではほぼマリコとのシーンのみの登場だったりと、 極めてマリコと近しい関係にありました。 そして、当時のマリコは今とはかなり違う面もあるキャラクターでした。 16年ぶりの再会でマリコと武藤をどのように描くのか? そして、武藤と土門の関係はどうするのか? 今回は武藤の再登場が告知されているだけで、役割やビジュアルは公表されていません。 どうするのか、なかなか想像が難しく、楽しみでもあります。 出演シーンはそう多くはなさそうにも思います。 昔のように、マリコとのワンシーンだけなのか? だとしたら、マリコとは久々の再会なのか、時々会っていたことにするのか? 予告等を観る限り、登場シーンはあまり多くはなさそうですが。 ひとつ残念なことがあります。 テレビ朝日は『科捜研の女』を毎日のように再放送していますが、 実は放送されているのは地上波デジタル対応のハイビジョン放送になったシーズン 6 以降で、 武藤要の登場するシーズン 2 ~ 4 はこの数年間放送されていません。 これは『相棒』も同じ状況です。 今回はせっかくの武藤再登場なのだから、 前宣伝も兼ねて武藤時代のシーズンも少しは放送 すればよかったのに・・・ とは思います。 Old Fashioned Club 月野景史.

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寺尾聰の嫁は元女優の星野真弓!子供や父の宇野重吉さんとの関係について

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土門刑事が戻ってきます!!!信じてました! 取り急ぎ吉報です! 下記の記事は1月13日に土門刑事が戻ってくると予想した記事です。 無事に的中しました。 **************************************** 2020年1月16日(木)夜8時~「科捜研の女」冬シーズンが始まります。 皆さん、気になってますよね? 前回放送のラストシーンで「あの男が帰ってくる」(上写真)のシーンが流れました。 今からもう1か月経ちますが、2019年12月12日に土門刑事は警察学校へ異動。 管理人の勝手な推察ですが、絶対に土門刑事は帰ってくると思うのです! その根拠をぜひ紹介させてください。 あくまでも個人的推察ですので外れる可能性も大にありますが、結構自信持ってます(笑)• 「あの男」は土門刑事と推察する根拠 どうか土門刑事が帰ってきますように!と願っている人はたくさんいるはずです。 今から1か月前、2019年12月5・12日と前・後編(第23・24話)では、土門(内藤剛志)の過去がキーとなり、同期との友情、そして病死した奥様がでてきて土門の過去も明らかになり、科学捜査がメインなのに、いつもとは違った角度からの切り口が、新鮮でした。 最後は土門の奥さんが最後まで土門に秘密を言わずに亡くなったことにギュっとしました。 しかし土門が警察官を目指す学生と向き合う決心をし、警察学校に異動する土門。 また「警察官に異動はつきもの」と藤倉甚一刑事部長(金田明夫)に言われ、「刑事として一番大切なことを土門さんから教わったから、今度は自分が土門さんのようになりたい」と覚悟を決めた蒲原(石井一彰)。 2人のバディが突然といなくなることになり、動揺を隠せませんでした。 20周年を迎えた1年間放送でまさかの土門刑事が離脱?そんな馬鹿な。。。。 この1か月もやもやが続いてました。 しかしやっぱり「土門刑事は帰ってくる」と思うのです。 3つの根拠を述べます。 土門刑事役の内藤剛志さんのスケジュールがパンパンだったので、2回~3回ほどフルでお休みする回が必要だった。 まず根拠ですが、土門刑事役の内藤剛志さんですが、 「警視庁・捜査一課長」の「大岩」です。 内藤さんの代表作であり、私も大好きなドラマです。 このドラマがなんと、2019年12月15日に1回、2020年1月3日にもあったのです。 また、 『全身刑事』という2時間長編サスペンスが2020年2月2日に放映されます。 この3つの内藤剛志さんが主役のドラマの撮影が重なったら、「科捜研の女」の土門刑事はお休みしなければならなかったと思うのです。 「科捜研の女」は沢口靖子さんが主役ですので、土門刑事が少しお休みしてもなんとかなると思ったに違いありません。 (推察) すべて 『テレビ朝日』系列ですので、だいぶ前から、 テレビ朝日ぐるみで、脚本等も調整できたのではないでしょうか? 2時間サスペンスは放映日の大体6か月前からクランクインするそうです。 内藤さんは2019年7月からおよそ11月ごろまでの間、ご自身が主役のドラマに集中していたのではないでしょうか。 個人的には「全身刑事」がとっても楽しみですが(笑) というわけでスペシャルドラマが3本つづき、 すべて撮影終了したので、「科捜研の女」に戻ってくる!と思うのです。 15年続いたどもマリ(土門&マリコ)コンビが、あんなそっけない終わり方しない 1999年10月からスタートした「科捜研の女」ですが、内藤さんが最初に出演したのは、2000年放送のシーズン2まで遡ります。 内藤さんが最初に演じったのは科捜研のプロファイラー武藤要で榊マリコの同僚だったのです。 次のシーズン3からは、推理作家に転身し、シーズン4まで登場してました。 そしてシーズン5から土門刑事役を演じています。 語りつくせないさまざまな歴史があるのに、この2人のバディはあんなに簡単に終わるわけないのです!終わってはいけないです!!! マリコを「おまえ」と呼べるのは土門だけ。 代わりはいない! 2人が強い絆で結ばれているのは、使命感、正義感が半端なく強いので、事件の捜査を重ねるうちに自然と信頼関係が生まれていったと思います。 土門がマリコを「おまえ」と呼ぶようになったのは、内藤さんが沢口さんに「お前って呼ぶよ」って宣言して始まったらしいです。 お互いが強く信頼しているからこそ、その呼び名がピタッッってくると思ったのでしょう。 またいつも、番組の終わりにある、屋上シーンの2人の会話はドラマの最後の余韻を残すのに必須です。 それが見れなくなったら。。。。 あれは科捜研の名物シーンの一つです。 あのシーンがないのは寂しいです。 願うのは土門刑事の復活、屋上シーンの再来です。 何卒、何卒お願い申し上げます。 (誰にお願いしているんだ?) スポンサーリンク 1月16日(木)夜20時より冬シーズンスタート シリーズ20周年として1年間放映されてきましたが、いよいよ残り3か月です。 まずは1月16日(木)第26話のあらすじです。 第26話あらすじ 新年を迎え、初詣に訪れた神社で、榊マリコ(沢口靖子)ら科捜研メンバーたちは、宮司の妻・深守教子(平井三智栄)の遺体を発見する。 被害者の教子は御神燈(石灯籠)の台座の一部で頭部を殴られ死亡したとみられるが凶器となった石から指紋は出なかったが、代わりに手袋痕が検出される。 今回の事件は捜査一課ではなく、広域サイバー捜査係の蒲原勇樹(石井一彰)と堀切徹(中村俊介)が担当することになる。 事件の起きた神社に住み込みで働く浜内詩帆(高田里穂)の動画がネット上で拡散された後、彼女を狙う悪質な人物による脅迫文が神社のホームページに書き込まれていたから。 書き込みをした人物により、詩帆と背格好や髪型の似た教子が間違われ、殺されたのではないか? 実は、夫からのDV被害に悩み、神社にかくまってもらっていたことを打ち明ける詩帆。 一方、夫でトラックドライバーの浜内通彦(山根和馬)は、ネット調査会社に詩帆の調査を依頼していたらしい。 妻を狙うストーカーと化した夫の凶行を物語るように、現場からは大型車用のエンジンオイルが染みた布も見つかっていた。 嫌疑は十分な通彦だが、下手に接触して刺激をすれば、詩帆を危険にさらしてしまう…。 やがてマリコは重要な手がかりをつかみ、大きく真相に迫る!! 科学鑑定により見えてきた、事件の背後に隠されていた事実は? スポンサーリンク まとめ マリコがお姫様を演じた回です。 とっても綺麗です。 どうか土門刑事が迎えに来てくれますように。。 さて1月16日(木)の放送で「あの男」の正体は分かるでしょうかね。 もし土門刑事が戻ってくるとしたら、どのようなシチュエーションか想像していたのですが、ベタに 「警察学校は俺の性に合わなかった!」でどうでしょうか? それか最初から刑事部長が、 期間限定で出向させていたとか。。。 超わざとらしいですが。。 戻ってくるのであれば理由は何でも目をつぶります。 マリコと土門刑事の 「どもマリ」コンビの復活を切に願います。 スポンサーリンク.

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【2020年1月16日・科捜研の女】的中!!!土門刑事カムバック!!

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来歴 [ ] 少年時代〜プロデビューまで [ ] 北海道虻田郡豊浦町生まれ。 母親は、大助を身ごもっている時に夫としており、で大助と4歳上の長男を養った。 後に小さなを始める。 一家の生活は楽ではなかったものの、学校での大助少年は大会やので必ず1位になるなど運動神経抜群で、クラスでは人気者だった。 中学ではに所属。 しかし、中学2年になるとの標的にされるようになる。 クラス替えがきっかけともされたが、はっきりとした原因は本人にも分からないという。 生活が苦しかったため、兄のお下がりの制服やスキーウェアなどを着ていけば「 ボンビー(貧乏)」というあだ名で馬鹿にされたり、給食のおかずや貴重品を取り上げられたり、教師に見つからないよう人目につかない場所で暴行も受けた。 内藤はを患うまでに追い詰められるも、教師からはいじめには気付いてもらえず、気の強い母親への相談も諦め、1人でいじめに耐える中学生活を送った。 進学先のにいじめ加害者らが進学しなかったことからようやくいじめから解放され、新しい仲間との出会いを通じて本来の明るさを取り戻す。 同校では部に所属し、3年時には同校初の全道大会出場に貢献した。 卒業後にはそばにあるにとして就職がしていたが、春休みの研修中に些細な理由から上司と口論に発展、内定を取り消されてしまい、就職に失敗する。 高卒後はにも就かずだらだらと日々を過ごしていたが、母親に叱咤され。 母は予め、生別した実父が経営するに「大助を働かせてやってほしい」と話をつけていた。 上京から1年ほど経ったある日、書店で目にした雑誌に刺激を受け、下宿先の近くにあったに入門する。 内藤はボクシングを始めた動機について、「地元に帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。 でも、ジムに通えばケンカに強くなれる。 強くなれなくても、『ジムに行っている』と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思った」と振り返っている。 しかし、が好きではなかった母から、「あんな野蛮なスポーツはダメだ」と叱られ、勘当を言い渡される。 プロデビュー後〜日本王座獲得 [ ] 10月11日、プロデビュー戦を1R勝ちで飾ると、12月19日、で福山登()に1RKO勝ちし、9勝1引き分けの戦績で新人王を獲得。 7月16日、()の持つ日本王座に挑戦するも、引き分けで王座獲得ならず (も合わせて参照)。 4月19日、敵地で(タイ)の持つ世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録となる1R34秒KO負けを喫する (参照)。 しかし、復帰戦でKO勝ちすると、その後も()を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させる。 6月6日、日本フライ級王者の(畑中)に挑戦。 内藤は中野から2度のを奪うなど一方的に攻め続け、6Rに偶然のによる負傷判定勝ちを収め、日本王座を獲得。 同年10月11日、小嶋武幸()を相手に初防衛戦を行い、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちを収めた。 10月10日、WBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカムに再挑戦するも、7R負傷判定で敗れる (参照)。 6月27日、東洋太平洋フライ級王者()と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6Rで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。 同年12月10日には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い、判定で初防衛。 、自身の負傷および日本・東洋王座の防衛戦の兼用が困難になったことなどを理由に両王座を返上。 世界王座獲得 [ ] 同年、ポンサクレックとの3度目の世界タイトル戦が決定、テレビ局での放映も決定していたが、直前になり局が放送を取り止めてしまい集めが難航、およそ4000万円の経費を用意できず開催が危ぶまれる。 内藤は会見で、「ファイトマネーはゼロでいい。 リングに上げて下さい」と懇願した。 すると、大手のがスポンサーに名乗りを上げ 、テレビ中継に関しても、のであるでのが決定。 事態は好転し、開催へと漕ぎ着けた。 2007年7月18日、WBC世界フライ級王座3度目の挑戦で、王者ポンサクレック・ウォンジョンカムに12R判定勝ちし、32歳10か月にして悲願の世界チャンピオンとなる (参照)。 内藤は同年1月からのに師事し、綿密な作戦との強化に努めてきた。 2007年10月11日、初防衛戦を行い、の次男・(当時:協栄)を相手に試合内容で圧倒、ほぼフルマークの3-0の判定で勝利した (参照)。 内藤はこの勝利をきっかけに国民的な人気者となり、以降の試合は全てが中継することとなる。 また、テレビタレントとしての活動も開始した。 3月8日にで、前王者ポンサクレック・ウォンジョンカムと2度目の防衛戦。 試合は12R判定でジャッジは内藤勝利1、ポンサクレック勝利1、ドロー1で引き分けとなったため、規定により2度目のタイトル防衛。 ポンサクレックとはこれで4度目の対決となった (参照)。 2008年7月30日にで、当時の日本王者(金子)と3度目の防衛戦。 9Rまで清水のに苦戦しポイントリードを許したが、10Rにを起点にしたラッシュでダウンを奪う。 立ち上った清水に更に畳み掛けて2度目のダウンを奪い、逆転KO勝ちで世界王座3度目の防衛を果たした。 なお、この日の興行ではダブルタイトルマッチとして当時の同級王者・坂田健史の防衛戦も行われ、対立する同階級日本人世界王者の競演となった。 2008年12月23日にで、元東洋太平洋ライトフライ級王者(渡嘉敷)と対戦。 初回から激しい打撃戦となるが、パンチの的確性で勝る内藤が序盤から主導権を握る。 王者有利の展開で迎えた11R、ついに山口からダウンを奪うと、立ち上がってきたところに連打を叩き込み、レフェリーストップを呼び込んで1分11秒でTKO勝ち。 世界王座4度目の防衛を果たした。 山口真吾戦前には普段の生活から見直し「午前0時前には必ず寝る」「8時間以上の睡眠」「ネットやメールは必要最小限に控える」を実行。 「休みの日に練習するのは、サボるのと一緒」とオーバーワークにも注意した。 5月26日、当時WBC世界フライ級10位の()を相手に5度目の防衛戦。 当初は中国・での対戦予定であったが、現地のイベント代行業者の不手際によって、直前になり現地での開催を断念。 急遽、東京のにおいて、試合無しのワンマッチ興行、試合チケットは全て当日会場で発売という異例の形で開催された。 試合は150cmの熊に再三懐に潜り込まれ、その都度バッティングを受けるなどしてペースを掴めず、終始苦戦を強いられた。 5Rに偶然のバッティングで右瞼をカット、6Rにはダウン 、更に11Rには口内をカットして出血し、熊の猛攻に防戦一方となった場面もあった。 しかし、内藤はパンチを的確に当ててポイントを稼ぎ、全体的には優位に試合を進め、3-0の判定勝ちで5度目の王座防衛に成功した。 世界王座陥落〜現役引退 [ ] 2008年11月に開催されたWBC総会では、1位の他、同年5月に行われた挑戦者決定戦に勝利した2位にも指名挑戦権を認めるとされていたが、ミランダの指名挑戦権は2009年4月に前王者ポンサクレックと暫定王座決定戦で対戦することが決まった時点で失効。 この決定戦ではポンサクレックが暫定王座を獲得した。 2009年11月、亀田興毅戦のリングに向かう内藤と WBCよりポンサクレックとの王座統一戦を行うことが義務付けられていたが、前述の熊戦の負傷の影響で延期が認められた。 それを受け、ポンサクレックは8月28日に母国で()を相手に初防衛戦を行い、6回TKO勝ちで防衛成功。 一方の内藤も統一戦の前に防衛戦を1試合行うことを認められ、11月29日、兼ねてより因縁深かった元WBA世界王者と対戦。 試合は2Rに興毅の左ストレートが内藤の鼻を捉え、このパンチ以降鼻からの断続的な出血を強いられることとなる。 その後アウトボクシングをする興毅を内藤が追い続ける展開となったが、興毅を捉えきれず0-3の判定で敗れて王座から陥落した (参照)。 家族からはを勧める声もあり、進退に注目が集まっていたが、亀田興毅戦からちょうど2か月後の1月29日、所属するで記者会見を行い、「打倒亀田」を掲げ現役続行を表明した。 2010年3月、亀田興毅との王座統一戦のために東京を訪れたポンサクレック・ウォンジョンカムと内藤 同年5月9日、で再起戦。 リエンペット・ソー・ウィラポン(タイ)とノンタイトル10回戦を行い、5RKO勝ちしたものの、これ以降1年以上試合を行わなかった。 元世界王者であるため、JBCの規定でライセンスが失効する37歳を過ぎても再交付の申請は可能だったが、手続きを行っていないことが明らかとなりライセンスを失った状態であった。 2011年11月12日放送の系番組『』出演中に現役引退を表明。 後日正式に引退会見を開いた。 12月31日にで行われたのタイトルマッチの前座で引退セレモニー、年明けて2012年1月12日にかつての勤務先であるで引退パーティーを開きエキシビションを披露した。 引退後 [ ] 2012年6月よりの『』に解説者として加わることが発表された。 また、同月20日に行われ、TBSが中継した井岡一翔VSのでも解説者として出演し、それ以降も同局で解説を務めている。 フジテレビが地上波ゴールデンタイムで放送する『』には歴代世界王者のひとりとしてゲスト出演。 なお、現役時代にもの中継にゲスト解説として出演したことがある。 また、フジテレビ系の昼ドラ『』で本格的に俳優デビューも果たした。 2013年7月には、北海道に内藤がプロデュースするラーメン店「麺屋べんべ」が開業。 2019年2月、北海道の民放5局とによる共同キャンペーン『』のキャンペーンソングに参加。 2019年10月11日、東京都内でバイクを運転中にトラックと接触し転倒して肋骨を折る重傷を負う。 戦績 [ ] プロボクシング 戦績 42 試合 T KO 判定 その他 引き分け 無効試合 36 勝 23 13 0 3 0 3 敗 1 2 0 戦 日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考 1 1996年10月11日 勝利 1R 0:55 KO 西野龍三 (レパード玉熊) プロデビュー戦 2 1997年4月30日 勝利 2R 0:39 KO 押金励 () 1997年東日本ジュニアフライ級新人王トーナメント予選 3 1997年6月17日 勝利 1R 0:42 KO 関裕介 (高崎) 〃 4 1997年8月1日 引分 4R 判定1-0 榎本信行 () 〃 5 1998年4月23日 勝利 1R 1:45 KO 安斉治明 (F赤羽) 1998年東日本フライ級新人王トーナメント予選 6 1998年6月30日 勝利 1R 1:24 TKO 佐藤崇 () 〃 7 1998年8月7日 勝利 1R 2:20 KO 伊藤克憲 (角海老宝石) 〃 8 1998年9月28日 勝利 4R 判定2-0 久保田隆治 (沖) 〃 9 1998年11月8日 勝利 6R 判定3-0 佐藤宏章 (F赤羽) 1998年東日本フライ級新人王トーナメント決勝戦 10 1998年12月9日 勝利 1R 1:00 KO 福山登 () 1998年全日本フライ級新人王決定戦 11 1999年4月5日 勝利 2R 1:36 TKO ジュン・オルハリーサ 12 1999年6月14日 勝利 7R 0:25 TKO ジョビー・マンチャ 13 1999年9月13日 勝利 1R 1:28 KO 李明星 14 1999年12月15日 勝利 8R 判定3-0 田中潤 () 15 2000年7月6日 勝利 6R 判定3-0 伊波秀吉 (具志川) 16 2000年9月19日 勝利 3R 2:12 KO ヨドペット・チュワタナ 17 2000年10月28日 勝利 3R 1:11 TKO サックモンコン・シンマナサック 18 2000年12月5日 勝利 10R 判定 池田政光 (渡嘉敷) 19 2001年2月13日 勝利 5R 2:37 TKO 殿台カローラ (殿台赤城) 20 2001年7月16日 引分 10R 判定1-0 () 日本フライ級タイトルマッチ 21 2001年10月18日 勝利 5R 2:16 TKO ウィン・ネイションマン 22 2002年4月19日 敗北 1R 0:34 KO WBC世界フライ級タイトルマッチ /世界フライ級タイトルマッチ史上最短KO記録 23 2002年9月19日 勝利 7R 1:53 TKO タオチャイ・ソーソーゴージム 24 2002年12月11日 勝利 10R 判定3-0 () 25 2003年2月26日 勝利 2R 0:34 TKO マノップ・シットゴーソン 26 2003年9月2日 勝利 5R 1:15 TKO ソントーン・チタラダ 27 2004年2月25日 勝利 2R 2:46 TKO 瓜生崇大 (輪島S) 28 2004年6月6日 勝利 6R 2:33 負傷判定3-0 (畑中) 日本フライ級タイトルマッチ 29 2004年10月11日 勝利 1R 0:24 TKO 小嶋武幸 () 日本王座防衛1/日本タイトルマッチ史上最短KO記録 30 2005年4月11日 勝利 10R 判定3-0 榎本信行 (三迫) 日本王座防衛2 31 2005年10月10日 敗北 7R 2:38 負傷判定0-3 WBC世界フライ級タイトルマッチ 32 2006年2月13日 勝利 10R 判定2-1 (広島三栄) 日本王座防衛3 33 2006年6月27日 勝利 6R 1:38 TKO () 日本・OPBF東洋太平洋フライ級王座統一戦 /日本王座防衛4 34 2006年12月10日 勝利 12R 判定3-0 吉山博司 (ヨシヤマ) OPBF防衛1 35 2007年7月18日 勝利 12R 判定3-0 WBC世界フライ級タイトルマッチ 36 2007年10月11日 勝利 12R 判定3-0 (協栄) WBC防衛1 37 2008年3月8日 引分 12R 判定1-1 WBC防衛2 38 2008年7月30日 勝利 10R 0:57 KO (金子) WBC防衛3 39 2008年12月23日 勝利 11R 1:11 TKO (渡嘉敷) WBC防衛4 40 2009年5月26日 勝利 12R 判定3-0 (ユウ・チョウチュウ) WBC防衛5 41 2009年11月29日 敗北 12R 判定0-3 () WBC王座陥落 42 2010年5月9日 勝利 5R 2:12 KO リエンペット・ソー・ウィラポン 獲得タイトル・記録 [ ]• 東日本新人王• 日本フライ級王座(防衛4=返上)• 東洋太平洋フライ級王座(防衛1=返上、日本・東洋の現役2冠を達成)• 2007年度プロ部門 最優秀選手賞・年間最高試合賞(2007年7月18日、vs. 2008年度プロ部門 敢闘賞• 2009年度プロ部門 努力賞• WBC月間最優秀選手 Boxer of the month (2008年7月30日、vs. ) 各種記録• 2008年 年間トップ3 (かっこ内は番組平均世帯視聴率)• 7) プロボクサーとして [ ] 入場曲は、が1985年にリリースした『』。 異名は、古くから用いられていた「 北の剛拳」の他に、自身が持つ世界フライ級タイトル戦の史上最短KO負け、並びに日本タイトル戦の史上最短KO勝ちの記録に由来する「 最短男」、2007年10月に対戦が決定していた亀田大毅と試合前から繰り広げていた舌戦の中で発した「 国民の期待を背負うつもりで頑張りたい」 という言葉に由来する「 国民の期待」、元いじめられっ子がを始め、全日本新人王を経て日本王者になるという経歴が、作の漫画『』の主人公・の設定と共通していることに由来する「 リアルはじめの一歩」などがある。 中でも「最短男」に関しては、試合時に着用するボクサートランクスにも刺繍されており、内藤自身も代名詞にしていた。 「リアルはじめの一歩」については、内藤自身も漫画の大ファンで、連載中の誌上において何度か取材や作者との対談に応じており、同作品への熱い思いも語っている。 また、アニメ『はじめの一歩』の第2期のCMに出演しており、劇中の千堂戦の再現として一歩に扮しデンプシーロールを披露している。 なお、現在の内藤のサインは森川が考案した。 は172cmで、フライ級では長い部類に入る。 同級屈指のハードパンチャーでもあり、生涯KO率は7割近くに達した。 ボクシングスタイルは巷ではよく変則的と称され、常に上体を大きく動かしながらパンチを繰り出し、反動を活かして追撃や回避、あるいはその両方を素早く行う。 また、コンビネーションのリズムの変化や豊富なフェイントなども、対戦相手を困惑させる要因となっている。 中でもパーリングやウィービング、あるいはスリッピングなどのパンチから逃げずにかわし即反撃に繋げる技術に秀でており、試合では相手のパンチに即座に反応してパーリングしつつ、ほぼ同時に反撃のパンチを入れるシーンを頻繁に見ることができる。 2008年12月23日の山口真吾戦では11R1分11秒でTKO勝ちを収めるまでに839発を記録 日刊スポーツ調べ するなど、手数の多さにも定評があった。 好敵手・ポンサクレック [ ] タイが誇る名ボクサー、とは実に4度に亘り対戦をしている。 第1戦 [ ] 4月19日、無敗で世界初挑戦。 敵地タイに渡り、ポンサックレックの持つ世界フライ級王座に挑む(ポンサクレックは5度目の防衛戦)。 敵地ゆえに判定決着では負けると判断した内藤は、初回から積極的に仕掛けるが、開始20秒付近で内藤が右を出した矢先、ポンサクレックが左を被せた。 この結果、強烈なとなり内藤はリング上で大の字になりながら失神。 世界フライ級タイトルマッチ史上最短となる34秒でのKO負けとなってしまった。 この敗戦で内藤は周囲からの厳しい批判と中傷に晒され、「日本の恥」とまで言われた。 第2戦 [ ] 10月10日、ポンサクレックに再挑戦。 初対戦時以降、ポンサクレックはさらに防衛を重ね、この試合が12度目の防衛戦となる。 一方の内藤は前年6月6日に日本フライ級王座を獲得。 初防衛戦では日本タイトル戦史上最短となる24秒でのKO勝ちを収め、2005年4月には2度目の防衛にも成功し、勢いに乗っていた。 初回は内藤が前戦と同様にポンサクレックに対して積極的に攻撃を仕掛けた。 右ストレートを好打し、ジャッジ三者とも内藤を支持(10-9)。 しかし、続く2R、偶然ので内藤が大量の出血。 これを境に内藤はみるみる動きが落ちていった。 この結果、ポンサクレックの攻勢が目立ち、7Rに試合がストップ。 負傷判定で内藤の世界再挑戦は失敗に終わる。 第3戦 [ ] 7月18日、三たびポンサクレックに挑戦。 ポンサクレックの王座防衛回数は()の「14」を上回るフライ級史上最多の「17」にまで伸びていた。 一方の内藤は、前年6月27日にとの日本・東洋太平洋フライ級ダブルタイトル戦に勝利。 日本王座4度目の防衛を果たすと同時に東洋太平洋王座獲得を果たし、12月には東洋太平洋王座初防衛に成功していたが、内藤は引退を懸けてこの試合に臨んだという。 第1戦・第2戦の反省を踏まえ、内藤は序盤から距離をとり、長いリーチと変則的なで右ストレートと左フックで有効打を重ねていった。 対して長期政権を築いていたポンサクレックも要所でコンビネーションブローを決め、内藤を追いつめた。 内藤は9Rに疲労とダメージによりストップ寸前(防戦一方)に陥ったが、そのラウンド内に逆襲に転じポンサクレックを劣勢に立たせる底力も見せている。 試合は判定に縺れ込んだ結果、3・3・2差の3-0判定で内藤の勝利。 内藤は32歳10か月にして悲願の世界チャンピオンとなった。 判定結果を聞いた内藤は、自分の右の頬をつねったり顔を叩くなどして「夢ではない」ことを確かめる素振りを見せていた。 この試合は2007年度の年間最高試合に選出されている。 第4戦 [ ] との初防衛戦を制した内藤は、WBCの規定により、3月8日に前王者ポンサクレックと2度目の防衛戦を行った。 試合は、前回対戦とは体の切れが違うポンサクレック、そして、さらに進化を遂げた内藤の、ハイレベルな技術戦となった。 序盤から中盤に掛けては中々パンチが当たらない展開だったが、中盤以降にお互いのパンチが当たり出しヒートアップ。 そして一進一退のままお互い最終ラウンドまで足が止まらないタフでアグレッシブな試合となった。 判定決着となり、結果は1-1の三者三様で引き分け。 内藤が2度目の防衛に成功した。 亀田家との因縁 [ ] 長男・興毅への対戦要求 [ ] 事の発端は2005年1月、そのと派手なで良くも悪くも当時のボクシング界の話題をさらっていたが、週刊誌のインタビューの中で内藤を「弱い」と評し、これを受けた内藤が興毅に対戦を呼び掛けたことに始まる。 しかし亀田陣営は、「誰やそれ? 興味無いわ」「6回戦レベル」などと歯牙にも掛けない態度を貫いていた。 内藤も負けじと、自身と容姿が似ているの持ちネタである「ギター侍」に扮し、「結局逃げられて…残念! 亀田君、たまには日本人とやろうよ…斬り!! 」というキャッチコピーを載せたポスターを作製するなどして亀田陣営を挑発した。 内藤はポンサクレックへの3度目の挑戦を前に「世界王者になれたら亀田を挑戦者に指名する」と宣言し、有言実行を果たした。 試合後内藤は、「これで立場が逆になった。 チャンピオンになったのだから、どっしりと構えますよ。 あっちが(戦いたいと)言ってくるまで待つ」とコメントし、これを受け興毅も「いつでもやってやる」と挑戦者に名乗りを上げたが、初防衛戦の相手は興毅ではなく次男の大毅(当時WBCフライ級14位)に決定した。 次男・大毅との初防衛戦 [ ] この試合は契約前から亀田兄弟の所属する協栄ジムがプロモートすることが決まっており、協栄側が大毅に世界王座獲得の日本人最年少記録を懸けさせたいと目論んでいたことから、王者・内藤陣営に厳しい交渉期限を設けていた。 そのため、会長のはポンサクレック陣営の持つオプションの買い取り交渉を1日で決めるために奔走した。 両者は舌戦を繰り広げ、亀田陣営が内藤を呼ばわりして挑発。 対して内藤は「前に自分を呼ばわりしたけど、ゴキブリはしぶといよ。 地球が滅亡しても生き残るんだからね。 ゴキブリが1番強いことを証明しますよ」「亀田兄弟は何で日本人と戦わないのかと、みんなが思っている。 ここで僕と戦わないと亀田の人気は下がるんじゃないの? 」などと反撃。 すると大毅も「(取材記者から対策を聞かれ)ゴキブリに分析もクソもあるか。 や」 「あいつ昔いじめられとったんやろ? 俺がリングでいじめたるよ。 俺はいじめっ子や! 」などと舌戦を繰り広げた。 当の試合は、序盤からガードを固めて突進する単調な試合運びだった大毅に対し、内藤がガードの上から有効打を浴びせるなど老獪な技術で最終ラウンドまで圧倒し、判定3-0で圧勝、初防衛を果たした。 大毅はこの試合で序盤からやを出し、試合中ので大毅不利が伝えられると、12Rではグローブの上からサミングを出し更に内藤を抱えて投げ飛ばすなど様々なを行った。 これらを陣営の兄・興毅と父・史郎が指示していた事実も後に明らかになり、日本中からの批判に晒された。 内藤は勝利者インタビューで「思った以上にやりにくかった。 ただ、ポンサクレックより全然弱かったです」「亀田に初黒星をつけて 国民の期待に少しは応えられたと思います」とコメントし、観客から喝采を浴びた。 そして内藤は試合後の会見において、「(腫れ上がった両眼周辺を指して)これは全部サミングです。 試合中はずっと目ばかり狙ってきた」と怒りを露わにし、「ボクシングは喧嘩ではなくスポーツ。 あっちが反省しないのなら、もう亀田兄弟とはやらない」と宣言した。 しかし、10月17日に亀田父子が会見で謝罪したのを受け、「ああいう態度の亀田父子を見るのは初めて。 僕はもう終わったことだからと割り切っている。 いがみ合って終わりになったので『お疲れさま』と讃え合いたい。 」と述べ、和解に前向きな姿勢を見せた。 大毅は会見の翌日に内藤宅を訪問し直接謝罪、史郎も電話にて謝罪をしたとのことで、「気持ちは伝わりました。 この問題はこれで本当に終わりです。 」とコメントし、遺恨は終息に向かった。 興毅との対戦〜王座陥落へ [ ] 翌2008年7月30日に行われた3度目の防衛戦終了直後、内藤が勝利者インタビューを受ける中、突如長男・興毅がリングに上がり「次に試合をしよう」などと持ちかけるパフォーマンスを行う。 興毅のこの行動に対し観客席からは歓声混じりの野次も飛び、試合を中継したTBSには視聴者からの抗議が寄せられたが、TBS側は「で、設定しておいた訳ではない」と釈明している。 この出来事から更に年を経た2009年11月29日、興毅とWBCフライ級王座6度目の防衛戦を行う。 前述の対戦呼び掛けから実に5年近い歳月を経て実現した試合であった。 結果は、序盤に興毅のカウンターで鼻を骨折しその後アウトボクシングに徹した興毅の作戦が功を奏し、0-3の判定で敗れ王座防衛に失敗した。 敗戦後は引退も匂わせる発言もしていた内藤だったが、王座陥落から2か月後の2010年1月29日、で記者会見を行い、興毅との再戦を目指し現役続行を表明したものの、当の興毅は3階級制覇を目指していたこともあってか、「俺の中では終わったことだし、正直興味が無い」と再戦には消極的であった。 しかし、興行権は当時内藤側が保持しており、興毅が初防衛戦となる指名試合を制した場合には再戦が可能だったものの 、興毅がポンサクレックに敗れ初防衛に失敗、更に興毅がタイトル奪還を目指すことなく階級をへ上げたことで対戦の可能性がほぼ無くなったことが引退を決める要因の1つとなった。 人物 [ ] 内藤曰く、母親の教育方針は厳しく、「母親から一度も褒められたことがない」と話しており、当の母も「褒めて育てるのは趣味じゃない」「向こう(大助)が勝手に(厳しいと)言っているだけ」とインタビューにて答えている。 内藤はそんな母の厳しさに恐れをなし、中学時代にいじめられていることを相談出来ずにいたが、いじめについては、「いじめられていたことを知っていれば黙っていなかった。 ボクサーになった大助が祝勝会で話すのを聞くまで、まったく知らなかった。 気づいてやれなかった自分の不甲斐なさに腹が立つ」と自責の念があることを明らかにしている。 夫人は2歳年上で、ボクササイズ中に一目惚れし1年間とも取れる行動に出る。 その間、内藤は一度も夫人に告白していないのにも関わらず3度振られている。 そして2000年に、2人の男児をもうけている。 夫人の両親は都内で店を営んでおり、だけでは生活するのが困難だった頃はよく惣菜を分けてくれたという。 また、が不安定だったにもかかわらず、夫人との結婚を許してくれた義理の両親を敬愛しており、の人気番組『』を通じて店舗兼自宅のをプレゼントしている。 これが契機となり、「」がシリーズ化された。 2007年末、トレーニングの一環としてのを訪れ、同部屋所属の第69代・と稽古を行う。 翌年2月、今度は白鵬が内藤の所属する宮田ジムを訪れ、サンドバッグ叩きやミット打ちなどを練習、親交を深めた。 これが縁で、TBSの『』へ共に出演した。 出演・作品 [ ] テレビ [ ] 単発出演の番組は除く。 (制作・) - 民• 第30話「チャンプ内藤登場 魂のゴングを鳴らせ」(系、2008年10月25日) - 本人役• (制作・) - 複数回出演。 2009年10月11日の放送では、依頼人として義理の両親宅のリフォームを依頼した。 (、2011年4月4日 - 2012年3月) - 金曜日レギュラー• (系) - 「全国ニッポン1視察」レポーター• (テレビ東京系)• (2011年5月28日) - 長男とに登山。 (2012年1月28日)• 鹿児島〜東京3000キロ! トラック乗り継ぎふれあい旅(2012年6月30日)• 北海道〜東京2000キロ トラック乗り継ぎふれあい旅3(2013年2月9日)• 長崎〜東京2000km! トラック乗り継ぎふれあい旅4(2013年7月20日)• 第46話(制作・フジテレビ系列、2013年3月11日) - 吉田重幸 役• 『城戸真亜子の油絵って楽しい! 』(2013年6月・7月期)• 『3か月でフルマラソン めざせ! サブ4』(2014年11月・12月期)• 内藤大助の大冒険() - ナビゲーター• 内藤大助の大冒険 大いなる道をゆく• 第1回 「馬で駆けろ! 勇者の道」(2017年11月1日)• 第2回 「水の迷宮 夢を運ぶカヌー」(2017年11月8日)• 第3回 「激流を乗り越えろ! 欲望の道」(2017年11月15日)• 第4回 「先住民の知恵が生きる大河」(2017年11月22日)• 第5回 「大地に刻まれた鉄道の記憶」(2017年11月29日)• 第6回 「黄金のラストフロンティア」(2017年12月6日)• 内藤大助の大冒険 シーズン2~アメリカ(アラスカ編)• 第1回 「アラスカ 大氷壁に挑む」(2018年12月15日)• 第2回 「犬ゾリで駆けろ! 白銀の大地」(2018年12月22日) ラジオ [ ]• 内藤大助ラジオパンチドランカー()• 内(2007年12月5日 - 2008年3月28日・同年10月1日 - 2009年3月18日、毎週水曜日) - 10月1日放送分より『グリグリ』から移動• 内(2008年4月21日 - 2008年9月1日、毎週月曜日) CM [ ]• (2007年)• (2008年)• (2009年 - )• 「桜篇」(2010年3月)• 「ケータイもってないブラザーズ篇」(2010年)• アサヒ一番麦(2011年3月)• (2014年 、2017年 ) CD [ ]• 2009年3月7日公開 『』 主題歌「ケロロ・ジャポ〜ン! 」 - との曲• 私たちの道 - One Hokkaido Project(参加作品、 WESS RECORDS、デジタル配信2019年2月20日、CDシングル2019年3月6日) MV [ ]• 私たちの道 - One Hokkaido Project 著書 [ ]• 内藤大助 『』 、2008年2月• 2008年7月28日には、系『』枠で「内藤大助物語 〜いじめられっ子のチャンピオンベルト〜」のタイトルでドラマ化された。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 2012年7月13日. 2013年8月19日閲覧。 asahi. com. 2010年12月14日. 2013年8月19日閲覧。 asahi. com. 2010年12月21日. 2013年8月19日閲覧。 上柳昌彦のお早うGoodDay! () 2007年10月19日. 2013年8月25日閲覧。 2011年3月9日閲覧。 2011年3月9日閲覧。 TOKYO MX. 2011年3月9日閲覧。 日刊スポーツ. 2007年7月18日. の2007年9月16日時点におけるアーカイブ。 2011年2月13日閲覧。 田口潤 2008年1月19日. 日刊スポーツ. 2012年9月18日閲覧。 2010年1月29日. の2010年2月1日時点におけるアーカイブ。 2011年2月28日閲覧。 落合一郎 2011年8月30日. 2012年9月17日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年1月12日. デイリースポーツ. 2012年5月29日. ORICON STYLE 2013年2月23日. 2013年8月19日閲覧。 one-hokkaido. 2020年7月11日閲覧。 TBS NEWS TBSテレビ. 2019年10月11日. 2019年10月12日閲覧。 ボクシングニュース「Box-on! 2010年1月6日. 2011年2月28日閲覧。 2011年2月13日閲覧。 ORICON STYLE 2008年4月28日. 2013年8月19日閲覧。 日刊スポーツ. の2008年8月29日時点におけるアーカイブ。 2011年2月28日閲覧。 2008年8号『はじめの一歩』第800回記念、同年14号(森川ジョージとの対談記事掲載)、同年16号「週刊少年マガジン創刊50周年記念特別企画」など。 日刊スポーツ. 2011年2月28日閲覧。 日刊スポーツ. 2011年2月28日閲覧。 日刊スポーツ. 2011年2月28日閲覧。 日刊スポーツ. 2007年8月11日. の2007年10月14日時点におけるアーカイブ。 2012年9月17日閲覧。 日刊スポーツ. 2011年2月28日閲覧。 2008年7月30日. 2011年2月28日閲覧。 2010年1月29日. の2010年2月5日時点におけるアーカイブ。 2011年2月28日閲覧。 2012年6月28日閲覧。 asahi. com. 2010年12月28日. 2013年8月25日閲覧。 大改造!! 劇的ビフォーアフター SEASONII() 2009年10月11日. 2013年8月25日閲覧。 nikkansports. com. 2008年2月15日. 2013年8月19日閲覧。 Sponichi Annex. 2008年2月16日. 2013年8月19日閲覧。 サンスポ・コム. 2017年5月10日閲覧。 サンスポ・コム. 2017年5月10日閲覧。 www. youtube. com. 2020年7月11日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (2010年11月25日 - )• - (英語) 前王者 第49代日本王者 2004年6月6日 - 2007年4月25日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 第35代東洋太平洋王者 2006年6月27日 - 2007年1月20日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2007年7月18日 - 2009年11月29日 次王者.

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