ずっと君を待っていた。 ゴッホがゴーギャンに「ずっと君を待ってた」 映画『永遠の門』本編映像

ゴッホがゴーギャンに「ずっと君を待ってた」 映画『永遠の門』本編映像

ずっと君を待っていた

気だるげに見上げた水面に映し出される姿は無く、湖が上にあるという光景に慣れてしまった自分に、彼女は薄く苦笑いを浮かべた。 『元気がないね』 『いつものことだよ』 ふよふよと、冷たい石に寝転んだ彼女の周りに集まって来たのは淡く発光する光の玉。 魂、と呼ばれるもの。 天使が魅せられ、悪魔が欲するそれは、無防備にもその輝きをむき出しにして存在していた。 彼女の周りをくるくると踊るように周る彼らが彼女に話しかける、かれこれ数十年、目覚めた彼女と共にここで過ごしてきた。 親しげにもなれるというものだ。 『君は体があるんだから、もっと動けばいいのに』 『体があっても私たちと一緒よ。 それは危ないわ』 『平気さ。 天使たちが守ってくれる』 『此処の外に出てもずっと天使たちがついて来る。 気楽じゃないな』 彼女に話しかけていた筈なのに、彼女を交えずして彼らは話し合う。 じゃれ合うように揺れる光、彼女が見上げる先には彼らと何も映さない水面しかない。 やがて彼女は好き勝手に話を進める彼らに、静かで、けれどよく通る声でもって言った。 「ここにいる」 ここから出ないで、ここにいる。 ここから動かないで、ここにいる。 ここから離れないで、ここにいる。 ずっとずっと、そうしていた。 理由はない、根拠も無い。 ただ、来るかもわからないそれを彼女は待っていた。 『アズリアは頑固だなぁ』 一人が呆れたように言ったので、彼女は「そうだな」と頷いた。 霊界サプレス。 そこは、天使と悪魔、魔精や妖精たちの住む世界。 目覚めた時、彼女は既にその世界にいた。 かつて彼女が生きた理想郷<リインバウム>ではなく、形無き者たちの住む世界。 けれど彼女は天使でも悪魔でも無かった。 ましてや精霊の類でもなく、サプレスにおいて早々いない異質な存在。 未練を抱いて死に、転生の輪に入ることなくその世界に留まり続ける者たち。 サプレスにも幽霊はいた。 けれどそれは極めて希な事であり、数もとても少なかった。 何らかの理由で幽霊のままサプレスに紛れ込んでしまった。 それは事故であったり偶然であったり、少なくとも必然では無い。 幽霊は魂を守る体を失った者たちだ。 魂は天使にも悪魔にも狙われる。 好意であろうと悪意であろうと、関係なく。 本来ならその魂が死した世界で転生の輪に入る時を待つべきだ。 全ての魂はすべからく、五つの世界を回っているのだから。 (いわゆる成仏というものなのだろうが) 本当にその時は来るのだろうか、彼女は、アズリアは一人思考する。 目覚めた時には既にここにいた。 頭上に湖、足元に青く発光する石。 そして周りには、彼女と同じ幽霊となってサプレスに紛れ込んだ魂たち。 天使たちはサプレスに迷い込んだ魂たちが無事に成仏できるよう、その魂を保護し守っているのだという。 悪魔に狙われ、魂を食われては転生の輪に入ることは叶わない。 ここはその為に用意された場所なのだという。 だから安全なのだと、アズリアはそれを目覚めてすぐに聞かされた。 (……出来る気がしないな) たしかに安全らしい、目覚めてから数十年と時は流れたが今のところ、何らかの危険に襲われた例がない。 ただ目覚めては眠りを繰り返した。 幽霊の集まりというサプレスにおける異質の中でも、アズリアはまた異質な存在であった。 魂だけの彼らに対し、アズリアには体があった。 といってもそれは魂が人の形を保っているだけに過ぎないが、それでも他の魂よりは幾らか融通が利く。 もしかして精霊の類ではないかと言われもしたが、アズリア自身にそんな感覚は無い。 彼女の感覚は、生きていた頃とさほど変わりなかった。 そのせいなのか、この世界は彼女には生き辛かった。 死んだのか生きているのかもはっきりしない存在で、生きていた頃の感覚を未だに持ち続けている。 この世界は彼女に冷たくて、重たかった。 それは精神的にもだが、物理的にもまたそうだった。 起き上がりたくても、手を伸ばすことすら必死にならなければ出来ないことだった。 (アイツは、どうしているだろう) 目覚めて、眠って、そうして思い出すのは気づけば赤い髪の彼のことばかりだった。 世界を見守っていくと決めた彼を、仲間たちは置いていくことしか出来なかった。 彼女もまたそうだった。 共に生きていきたくとも、彼と自分たちは違い過ぎていて。 けれどどうすることもできなくて。 長い時間を生きる中で思い出を共有できるのは、機械人形の彼女くらいだろうか。 彼女もまた、置いて行かれ、見送る立場であった。 「……いつまで私は、ここにいるのだろうな」 成仏したい、とは思わなかった。 出来ると思えなかったというのが正しいかもしれない。 もしかすればこのままずっと、この世界で、この場所に囚われ続けるのかもしれないと思った。 無意識のうちに呟いた言葉だったけれど、彼女の周りにいた彼らにはしっかりと届いていて、彼らは途端に騒ぎ出した。 『成仏するまでじゃない?』 『だから、君ならここから出て行けるって』 『私たちにサプレスは危ないわよ』 『でも成仏ってどうすれば出来る?』 『分かるならとっくにしてるよ』 彼らもまた、自分と同じ囚われの身だった。 口々に騒ぐ彼らに、アズリアは溜息を吐く。 『アズリアは誰を待っているんだ?』 一人が聞いて、アズリアはぱちりと瞬いて聞かれた言葉を頭の中で反復した。 誰を待っている、問われたと理解するのに三秒ほどかかった。 そして答えを出すのにまた、随分と時間をかけた気がする。 「待つ、か」 そう、たしかに自分は待っている、と。 湖を見上げて思ったのは間違いない。 アズリアは待っていた、彼が自分を呼ぶのを。 約束した、いつか自分の名前を呼べと。 その時に自分は、必ずそれに応えるからと。 長い時間を一人で生きるのは寂しいだろうから、アイツの周りはきっといつまでたっても騒がしいだろうけど、それでも寂しくてどうしようもなくなったら。 その時は遠慮せずに呼べばいい。 そう自分は彼と約束したではないか。 「待って、いたんだな」 いつか呼ばれる日が来るかもしれないから、ずっとここで待っていたのか。 転生の輪に入らず、置いてきたアイツの傍に今度は共にいられるように。 重くて仕方ないその腕を必死に持ち上げて、手を開いて。 呼ばれはしなかった、声は聞こえなかった。 けれどどうしてか、そこに垂れてきているのだ。 「お前は釣りが好きだな」 湖から垂れた釣り糸の先に針は無く、魚など釣れようはずもない。 必死に伸ばした手をその釣り糸に絡ませて、そうして彼女は最初で最後、この世界で立ち上がった。 青空を雲が漂うその日、湖の岸でレックスはいつもと同じように釣り糸を垂らしていた。 大校長と言いつつ、その実は連合の切り札である彼の出来る事というのはとても少ない。 下手に何かしようものなら、それが要らぬ火種になる可能性だってあるのだ。 そんな彼にとって最も大切な仕事というのが、旧世界から続く者としてこの世界を見守っていくこと。 それは現在、釣りをしながら進行中である。 「やった、釣れましたよ。 兄様!」 そんなレックスの隣で同じく釣り糸を垂らすのは、彼を先生と呼び慕う調停召喚師、フォルスとその響友のスピネルだ。 最初の頃はなかなかうまくいかなかった彼の釣りの腕前は、気づけばものの数分でバケツから魚が溢れそうになるほどまで上達していた。 「釣りに関しては、もう君の方が先生って感じだね」 「そんなことないですよ」 数百年ぶりの生徒の成長に微笑むレックスに、フォルスはぶんぶんと首を振る。 首を振った彼の視線の先は、レックスのすぐ後ろに積まれた物に向けられた。 「まだまだ先生には遠く及ばないです」 「……これに追いつくのは、とても大変そうです」 「あはは。 いやはや、そんな」 積み上げられた宝箱の山は、初めてフォルスとここで出会った時と変わらない。 相変わらず、釣れるのは魚よりも宝箱ばかりだ。 追いつく、と言いながらもフォルスとスピネルの顔には苦笑いが浮かんでいて、レックスもまた困ったように笑った。 「見つけた」 溜息交じりの声が聞こえて、三人が振り返った先には彼らを見下ろす一人の女性。 フォルスはその姿を視界に収めるや、イェンファ、と親しげに女性の名を呼んだ。 「仕事中にも関わらず釣りだなんて、いい度胸ね」 「あ、あはは」 「あはは、じゃないわよ。 笑って誤魔化さないの」 「ぁうぅ……」 厳しく言い放つイェンファにフォルスもスピネルも返す言葉が無い。 一応、彼らも彼らで仕事に影響が無いようにしたうえでここに来ているのだが、それでも仕事中であることに変わりは無く。 見つかってしまえばサボりを見られたも同然なので、非常に心苦しくなるのだ。 「「ごめんなさい」」 だから二人揃って素直に頭を下げる。 見つからなければ何食わぬ顔でいる辺り油断ならないが、見つかってしまえば反省も早い。 そして、二人とそれなりに長く付き合っている彼女にとしても、素直に反省されればそれ以上は言う気にもならず。 「……まあいいわ。 これが貴方たちなりの息抜きなのも、わかってるし」 なまじ彼らを知っている分、思わず擁護の言葉が続いてしまうのだから、彼女も毒されているのだろう。 それは彼らの周りにいる者たちに共通する事だ。 そんな彼らのやり取りを、レックスは湖へと釣り糸を投げ入れながら聞いていた。 (懐かしいなぁ) ひどく懐古的な気持ちになって、緩く目を閉じる。 目を閉じれば今でも鮮明に、この島で過ごした日々が思い出となって甦る。 始まりは偶然で、最初は小さな学校だった。 校舎も満足な机も無い、それでもたくさんの人に見守られた温かな学校だった。 それが気づけば、たくさんの建物が立ち並び、立派な学校が出来上がって。 自分は大校長などと呼ばれるようになっていた。 (本当に、懐かしい) 懐かしすぎて、一人になってからは思い出さないようにとしていた思い出に、泣きたくなった。 (俺も、見つかっては怒られたっけ) 怒られた理由はフォルスと違って、いつもいつも彼女に「お前には危機感が無さすぎる!」と叱られた。 島では無色の派閥との争いが頻発するようになって、そんな中で見回りの最中、ふらりと立ち寄った海岸でよく釣りをしていた。 常に緊迫した日々で、今まで日常的に行って来たことを行うことで、少しでも冷静さを保ちたかったのだろう。 そんなレックスとそれに付き合う生徒を見つけるのは、決まって彼女だった。 冷静さを保とうと必死になる自分に喝を入れてくれたのは、彼女。 『背中は任せたぞ』 戦いの中で彼女にそう言われることは、最大限の信頼の証だった。 そして自分もまた、いつだって彼女に背中を預けた。 一度は交えた剣を、並んで一つに向けるようになって。 自分の道を真っ直ぐに進もうとしていた彼を支えた仲間たちの中にいつも彼女はいてくれた。 (会いたい、な) 今の自分にその仲間はいない。 皆、逝ってしまった。 それは仕方ない事だ、分かっていて自分は見守ることを選んだのだから。 それでも、不意に思い出した思い出に寂しさは拭えなくて。 今の日々を冷たいとは思わないけど、どうしようもなくあの温かさに焦がれてしまうのもまた事実で。 『レックス』 見守ると決めた自分に言ってくれた、彼女の言葉。 『これからお前は、お前らしくも無く我慢することも増えるだろうな』 誰かを守りたくても、その力を振るうことを許されないことは確かにあった。 それが歯がゆくて、何度もその我慢を振り切ったりもしたけど。 『いつか、我慢できなくなったら。 どうしようもなく、我慢できなくなってしまったら』 それは彼女も分かっていたんだろう。 彼女の言った我慢はそれじゃなくて。 『その時は、私を呼べ』 一人になってしまっても、大丈夫だから。 そう皆を見送って、彼女も見送って、叫びだしたい気持ちを何度も我慢した。 『今度は最後まで、お前と共にいくから』 我慢して、ずっと我慢していた。 でももう、泣きたくなってしまって。 涙を堪えるのも、大変だから。 (もういいかい、アズリア) 我慢できないんだ、もう限界なんだ。 この世界は冷たくないけど、でもやっぱり寂しいんだ。 傍に君が、いないことが。 「アズリア」 呼んでもいいかい、なんて確認することも出来ないけど。 それでももし、風の一つでも答えてくれたなら、自分は彼女が傍にいるんだと錯覚できるから。 垂らした釣り糸がくんっ、と引かれた。 何かが釣り糸を掴んでいる、そんな偶然でもレックスは彼女が答えてくれたのかと、自分を錯覚させようとして。 「っ、幽霊という割に水には濡れるのか。 使い勝手がいいのか分からんな」 文句を言いながら湖から顔を出した彼女は、釣竿を手から落としたレックスを見上げて悪戯に笑った。 「ようやく呼んだな。 お前にしては頑張ったじゃないか、レックス」 「……アズリア、なの? 本当に……」 「ああ、そうだ。 何もかも忘れて、ただ一心に目の前にいる彼女を抱きしめて、声をあげた。 「アズリア、アズリア!」 「よく我慢したな、レックス。 よく、頑張った」 「ッアズリアぁ」 涙を流すのは、何百年ぶりだろう。 ずっと我慢して、泣くのを耐えてきた。 泣いてしまえばきっと、自分は叶わない願いを叫んでしまうから。 自分を抱きしめて泣き出すレックスの背中に手を回して、アズリアは優しくその背中を撫でてやる。 きっと泣くこともなかったのだろうと、聞かずとも分かっていた。 「もう、置いていかないから。 今度はずっとお前と共にいくから、なあ、レックス」 「っああ! ああっ……」 約束しただろう、微笑むアズリアにレックスは泣きながら、何度も頷き返した。 『約束だ、レックス』 これからはもう、一人じゃないから。

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ずっと君を待っていた

気だるげに見上げた水面に映し出される姿は無く、湖が上にあるという光景に慣れてしまった自分に、彼女は薄く苦笑いを浮かべた。 『元気がないね』 『いつものことだよ』 ふよふよと、冷たい石に寝転んだ彼女の周りに集まって来たのは淡く発光する光の玉。 魂、と呼ばれるもの。 天使が魅せられ、悪魔が欲するそれは、無防備にもその輝きをむき出しにして存在していた。 彼女の周りをくるくると踊るように周る彼らが彼女に話しかける、かれこれ数十年、目覚めた彼女と共にここで過ごしてきた。 親しげにもなれるというものだ。 『君は体があるんだから、もっと動けばいいのに』 『体があっても私たちと一緒よ。 それは危ないわ』 『平気さ。 天使たちが守ってくれる』 『此処の外に出てもずっと天使たちがついて来る。 気楽じゃないな』 彼女に話しかけていた筈なのに、彼女を交えずして彼らは話し合う。 じゃれ合うように揺れる光、彼女が見上げる先には彼らと何も映さない水面しかない。 やがて彼女は好き勝手に話を進める彼らに、静かで、けれどよく通る声でもって言った。 「ここにいる」 ここから出ないで、ここにいる。 ここから動かないで、ここにいる。 ここから離れないで、ここにいる。 ずっとずっと、そうしていた。 理由はない、根拠も無い。 ただ、来るかもわからないそれを彼女は待っていた。 『アズリアは頑固だなぁ』 一人が呆れたように言ったので、彼女は「そうだな」と頷いた。 霊界サプレス。 そこは、天使と悪魔、魔精や妖精たちの住む世界。 目覚めた時、彼女は既にその世界にいた。 かつて彼女が生きた理想郷<リインバウム>ではなく、形無き者たちの住む世界。 けれど彼女は天使でも悪魔でも無かった。 ましてや精霊の類でもなく、サプレスにおいて早々いない異質な存在。 未練を抱いて死に、転生の輪に入ることなくその世界に留まり続ける者たち。 サプレスにも幽霊はいた。 けれどそれは極めて希な事であり、数もとても少なかった。 何らかの理由で幽霊のままサプレスに紛れ込んでしまった。 それは事故であったり偶然であったり、少なくとも必然では無い。 幽霊は魂を守る体を失った者たちだ。 魂は天使にも悪魔にも狙われる。 好意であろうと悪意であろうと、関係なく。 本来ならその魂が死した世界で転生の輪に入る時を待つべきだ。 全ての魂はすべからく、五つの世界を回っているのだから。 (いわゆる成仏というものなのだろうが) 本当にその時は来るのだろうか、彼女は、アズリアは一人思考する。 目覚めた時には既にここにいた。 頭上に湖、足元に青く発光する石。 そして周りには、彼女と同じ幽霊となってサプレスに紛れ込んだ魂たち。 天使たちはサプレスに迷い込んだ魂たちが無事に成仏できるよう、その魂を保護し守っているのだという。 悪魔に狙われ、魂を食われては転生の輪に入ることは叶わない。 ここはその為に用意された場所なのだという。 だから安全なのだと、アズリアはそれを目覚めてすぐに聞かされた。 (……出来る気がしないな) たしかに安全らしい、目覚めてから数十年と時は流れたが今のところ、何らかの危険に襲われた例がない。 ただ目覚めては眠りを繰り返した。 幽霊の集まりというサプレスにおける異質の中でも、アズリアはまた異質な存在であった。 魂だけの彼らに対し、アズリアには体があった。 といってもそれは魂が人の形を保っているだけに過ぎないが、それでも他の魂よりは幾らか融通が利く。 もしかして精霊の類ではないかと言われもしたが、アズリア自身にそんな感覚は無い。 彼女の感覚は、生きていた頃とさほど変わりなかった。 そのせいなのか、この世界は彼女には生き辛かった。 死んだのか生きているのかもはっきりしない存在で、生きていた頃の感覚を未だに持ち続けている。 この世界は彼女に冷たくて、重たかった。 それは精神的にもだが、物理的にもまたそうだった。 起き上がりたくても、手を伸ばすことすら必死にならなければ出来ないことだった。 (アイツは、どうしているだろう) 目覚めて、眠って、そうして思い出すのは気づけば赤い髪の彼のことばかりだった。 世界を見守っていくと決めた彼を、仲間たちは置いていくことしか出来なかった。 彼女もまたそうだった。 共に生きていきたくとも、彼と自分たちは違い過ぎていて。 けれどどうすることもできなくて。 長い時間を生きる中で思い出を共有できるのは、機械人形の彼女くらいだろうか。 彼女もまた、置いて行かれ、見送る立場であった。 「……いつまで私は、ここにいるのだろうな」 成仏したい、とは思わなかった。 出来ると思えなかったというのが正しいかもしれない。 もしかすればこのままずっと、この世界で、この場所に囚われ続けるのかもしれないと思った。 無意識のうちに呟いた言葉だったけれど、彼女の周りにいた彼らにはしっかりと届いていて、彼らは途端に騒ぎ出した。 『成仏するまでじゃない?』 『だから、君ならここから出て行けるって』 『私たちにサプレスは危ないわよ』 『でも成仏ってどうすれば出来る?』 『分かるならとっくにしてるよ』 彼らもまた、自分と同じ囚われの身だった。 口々に騒ぐ彼らに、アズリアは溜息を吐く。 『アズリアは誰を待っているんだ?』 一人が聞いて、アズリアはぱちりと瞬いて聞かれた言葉を頭の中で反復した。 誰を待っている、問われたと理解するのに三秒ほどかかった。 そして答えを出すのにまた、随分と時間をかけた気がする。 「待つ、か」 そう、たしかに自分は待っている、と。 湖を見上げて思ったのは間違いない。 アズリアは待っていた、彼が自分を呼ぶのを。 約束した、いつか自分の名前を呼べと。 その時に自分は、必ずそれに応えるからと。 長い時間を一人で生きるのは寂しいだろうから、アイツの周りはきっといつまでたっても騒がしいだろうけど、それでも寂しくてどうしようもなくなったら。 その時は遠慮せずに呼べばいい。 そう自分は彼と約束したではないか。 「待って、いたんだな」 いつか呼ばれる日が来るかもしれないから、ずっとここで待っていたのか。 転生の輪に入らず、置いてきたアイツの傍に今度は共にいられるように。 重くて仕方ないその腕を必死に持ち上げて、手を開いて。 呼ばれはしなかった、声は聞こえなかった。 けれどどうしてか、そこに垂れてきているのだ。 「お前は釣りが好きだな」 湖から垂れた釣り糸の先に針は無く、魚など釣れようはずもない。 必死に伸ばした手をその釣り糸に絡ませて、そうして彼女は最初で最後、この世界で立ち上がった。 青空を雲が漂うその日、湖の岸でレックスはいつもと同じように釣り糸を垂らしていた。 大校長と言いつつ、その実は連合の切り札である彼の出来る事というのはとても少ない。 下手に何かしようものなら、それが要らぬ火種になる可能性だってあるのだ。 そんな彼にとって最も大切な仕事というのが、旧世界から続く者としてこの世界を見守っていくこと。 それは現在、釣りをしながら進行中である。 「やった、釣れましたよ。 兄様!」 そんなレックスの隣で同じく釣り糸を垂らすのは、彼を先生と呼び慕う調停召喚師、フォルスとその響友のスピネルだ。 最初の頃はなかなかうまくいかなかった彼の釣りの腕前は、気づけばものの数分でバケツから魚が溢れそうになるほどまで上達していた。 「釣りに関しては、もう君の方が先生って感じだね」 「そんなことないですよ」 数百年ぶりの生徒の成長に微笑むレックスに、フォルスはぶんぶんと首を振る。 首を振った彼の視線の先は、レックスのすぐ後ろに積まれた物に向けられた。 「まだまだ先生には遠く及ばないです」 「……これに追いつくのは、とても大変そうです」 「あはは。 いやはや、そんな」 積み上げられた宝箱の山は、初めてフォルスとここで出会った時と変わらない。 相変わらず、釣れるのは魚よりも宝箱ばかりだ。 追いつく、と言いながらもフォルスとスピネルの顔には苦笑いが浮かんでいて、レックスもまた困ったように笑った。 「見つけた」 溜息交じりの声が聞こえて、三人が振り返った先には彼らを見下ろす一人の女性。 フォルスはその姿を視界に収めるや、イェンファ、と親しげに女性の名を呼んだ。 「仕事中にも関わらず釣りだなんて、いい度胸ね」 「あ、あはは」 「あはは、じゃないわよ。 笑って誤魔化さないの」 「ぁうぅ……」 厳しく言い放つイェンファにフォルスもスピネルも返す言葉が無い。 一応、彼らも彼らで仕事に影響が無いようにしたうえでここに来ているのだが、それでも仕事中であることに変わりは無く。 見つかってしまえばサボりを見られたも同然なので、非常に心苦しくなるのだ。 「「ごめんなさい」」 だから二人揃って素直に頭を下げる。 見つからなければ何食わぬ顔でいる辺り油断ならないが、見つかってしまえば反省も早い。 そして、二人とそれなりに長く付き合っている彼女にとしても、素直に反省されればそれ以上は言う気にもならず。 「……まあいいわ。 これが貴方たちなりの息抜きなのも、わかってるし」 なまじ彼らを知っている分、思わず擁護の言葉が続いてしまうのだから、彼女も毒されているのだろう。 それは彼らの周りにいる者たちに共通する事だ。 そんな彼らのやり取りを、レックスは湖へと釣り糸を投げ入れながら聞いていた。 (懐かしいなぁ) ひどく懐古的な気持ちになって、緩く目を閉じる。 目を閉じれば今でも鮮明に、この島で過ごした日々が思い出となって甦る。 始まりは偶然で、最初は小さな学校だった。 校舎も満足な机も無い、それでもたくさんの人に見守られた温かな学校だった。 それが気づけば、たくさんの建物が立ち並び、立派な学校が出来上がって。 自分は大校長などと呼ばれるようになっていた。 (本当に、懐かしい) 懐かしすぎて、一人になってからは思い出さないようにとしていた思い出に、泣きたくなった。 (俺も、見つかっては怒られたっけ) 怒られた理由はフォルスと違って、いつもいつも彼女に「お前には危機感が無さすぎる!」と叱られた。 島では無色の派閥との争いが頻発するようになって、そんな中で見回りの最中、ふらりと立ち寄った海岸でよく釣りをしていた。 常に緊迫した日々で、今まで日常的に行って来たことを行うことで、少しでも冷静さを保ちたかったのだろう。 そんなレックスとそれに付き合う生徒を見つけるのは、決まって彼女だった。 冷静さを保とうと必死になる自分に喝を入れてくれたのは、彼女。 『背中は任せたぞ』 戦いの中で彼女にそう言われることは、最大限の信頼の証だった。 そして自分もまた、いつだって彼女に背中を預けた。 一度は交えた剣を、並んで一つに向けるようになって。 自分の道を真っ直ぐに進もうとしていた彼を支えた仲間たちの中にいつも彼女はいてくれた。 (会いたい、な) 今の自分にその仲間はいない。 皆、逝ってしまった。 それは仕方ない事だ、分かっていて自分は見守ることを選んだのだから。 それでも、不意に思い出した思い出に寂しさは拭えなくて。 今の日々を冷たいとは思わないけど、どうしようもなくあの温かさに焦がれてしまうのもまた事実で。 『レックス』 見守ると決めた自分に言ってくれた、彼女の言葉。 『これからお前は、お前らしくも無く我慢することも増えるだろうな』 誰かを守りたくても、その力を振るうことを許されないことは確かにあった。 それが歯がゆくて、何度もその我慢を振り切ったりもしたけど。 『いつか、我慢できなくなったら。 どうしようもなく、我慢できなくなってしまったら』 それは彼女も分かっていたんだろう。 彼女の言った我慢はそれじゃなくて。 『その時は、私を呼べ』 一人になってしまっても、大丈夫だから。 そう皆を見送って、彼女も見送って、叫びだしたい気持ちを何度も我慢した。 『今度は最後まで、お前と共にいくから』 我慢して、ずっと我慢していた。 でももう、泣きたくなってしまって。 涙を堪えるのも、大変だから。 (もういいかい、アズリア) 我慢できないんだ、もう限界なんだ。 この世界は冷たくないけど、でもやっぱり寂しいんだ。 傍に君が、いないことが。 「アズリア」 呼んでもいいかい、なんて確認することも出来ないけど。 それでももし、風の一つでも答えてくれたなら、自分は彼女が傍にいるんだと錯覚できるから。 垂らした釣り糸がくんっ、と引かれた。 何かが釣り糸を掴んでいる、そんな偶然でもレックスは彼女が答えてくれたのかと、自分を錯覚させようとして。 「っ、幽霊という割に水には濡れるのか。 使い勝手がいいのか分からんな」 文句を言いながら湖から顔を出した彼女は、釣竿を手から落としたレックスを見上げて悪戯に笑った。 「ようやく呼んだな。 お前にしては頑張ったじゃないか、レックス」 「……アズリア、なの? 本当に……」 「ああ、そうだ。 何もかも忘れて、ただ一心に目の前にいる彼女を抱きしめて、声をあげた。 「アズリア、アズリア!」 「よく我慢したな、レックス。 よく、頑張った」 「ッアズリアぁ」 涙を流すのは、何百年ぶりだろう。 ずっと我慢して、泣くのを耐えてきた。 泣いてしまえばきっと、自分は叶わない願いを叫んでしまうから。 自分を抱きしめて泣き出すレックスの背中に手を回して、アズリアは優しくその背中を撫でてやる。 きっと泣くこともなかったのだろうと、聞かずとも分かっていた。 「もう、置いていかないから。 今度はずっとお前と共にいくから、なあ、レックス」 「っああ! ああっ……」 約束しただろう、微笑むアズリアにレックスは泣きながら、何度も頷き返した。 『約束だ、レックス』 これからはもう、一人じゃないから。

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INFINITY 16 welcomez TEE & hiroko from mihimaru GT ずっと君と… 歌詞

ずっと君を待っていた

気だるげに見上げた水面に映し出される姿は無く、湖が上にあるという光景に慣れてしまった自分に、彼女は薄く苦笑いを浮かべた。 『元気がないね』 『いつものことだよ』 ふよふよと、冷たい石に寝転んだ彼女の周りに集まって来たのは淡く発光する光の玉。 魂、と呼ばれるもの。 天使が魅せられ、悪魔が欲するそれは、無防備にもその輝きをむき出しにして存在していた。 彼女の周りをくるくると踊るように周る彼らが彼女に話しかける、かれこれ数十年、目覚めた彼女と共にここで過ごしてきた。 親しげにもなれるというものだ。 『君は体があるんだから、もっと動けばいいのに』 『体があっても私たちと一緒よ。 それは危ないわ』 『平気さ。 天使たちが守ってくれる』 『此処の外に出てもずっと天使たちがついて来る。 気楽じゃないな』 彼女に話しかけていた筈なのに、彼女を交えずして彼らは話し合う。 じゃれ合うように揺れる光、彼女が見上げる先には彼らと何も映さない水面しかない。 やがて彼女は好き勝手に話を進める彼らに、静かで、けれどよく通る声でもって言った。 「ここにいる」 ここから出ないで、ここにいる。 ここから動かないで、ここにいる。 ここから離れないで、ここにいる。 ずっとずっと、そうしていた。 理由はない、根拠も無い。 ただ、来るかもわからないそれを彼女は待っていた。 『アズリアは頑固だなぁ』 一人が呆れたように言ったので、彼女は「そうだな」と頷いた。 霊界サプレス。 そこは、天使と悪魔、魔精や妖精たちの住む世界。 目覚めた時、彼女は既にその世界にいた。 かつて彼女が生きた理想郷<リインバウム>ではなく、形無き者たちの住む世界。 けれど彼女は天使でも悪魔でも無かった。 ましてや精霊の類でもなく、サプレスにおいて早々いない異質な存在。 未練を抱いて死に、転生の輪に入ることなくその世界に留まり続ける者たち。 サプレスにも幽霊はいた。 けれどそれは極めて希な事であり、数もとても少なかった。 何らかの理由で幽霊のままサプレスに紛れ込んでしまった。 それは事故であったり偶然であったり、少なくとも必然では無い。 幽霊は魂を守る体を失った者たちだ。 魂は天使にも悪魔にも狙われる。 好意であろうと悪意であろうと、関係なく。 本来ならその魂が死した世界で転生の輪に入る時を待つべきだ。 全ての魂はすべからく、五つの世界を回っているのだから。 (いわゆる成仏というものなのだろうが) 本当にその時は来るのだろうか、彼女は、アズリアは一人思考する。 目覚めた時には既にここにいた。 頭上に湖、足元に青く発光する石。 そして周りには、彼女と同じ幽霊となってサプレスに紛れ込んだ魂たち。 天使たちはサプレスに迷い込んだ魂たちが無事に成仏できるよう、その魂を保護し守っているのだという。 悪魔に狙われ、魂を食われては転生の輪に入ることは叶わない。 ここはその為に用意された場所なのだという。 だから安全なのだと、アズリアはそれを目覚めてすぐに聞かされた。 (……出来る気がしないな) たしかに安全らしい、目覚めてから数十年と時は流れたが今のところ、何らかの危険に襲われた例がない。 ただ目覚めては眠りを繰り返した。 幽霊の集まりというサプレスにおける異質の中でも、アズリアはまた異質な存在であった。 魂だけの彼らに対し、アズリアには体があった。 といってもそれは魂が人の形を保っているだけに過ぎないが、それでも他の魂よりは幾らか融通が利く。 もしかして精霊の類ではないかと言われもしたが、アズリア自身にそんな感覚は無い。 彼女の感覚は、生きていた頃とさほど変わりなかった。 そのせいなのか、この世界は彼女には生き辛かった。 死んだのか生きているのかもはっきりしない存在で、生きていた頃の感覚を未だに持ち続けている。 この世界は彼女に冷たくて、重たかった。 それは精神的にもだが、物理的にもまたそうだった。 起き上がりたくても、手を伸ばすことすら必死にならなければ出来ないことだった。 (アイツは、どうしているだろう) 目覚めて、眠って、そうして思い出すのは気づけば赤い髪の彼のことばかりだった。 世界を見守っていくと決めた彼を、仲間たちは置いていくことしか出来なかった。 彼女もまたそうだった。 共に生きていきたくとも、彼と自分たちは違い過ぎていて。 けれどどうすることもできなくて。 長い時間を生きる中で思い出を共有できるのは、機械人形の彼女くらいだろうか。 彼女もまた、置いて行かれ、見送る立場であった。 「……いつまで私は、ここにいるのだろうな」 成仏したい、とは思わなかった。 出来ると思えなかったというのが正しいかもしれない。 もしかすればこのままずっと、この世界で、この場所に囚われ続けるのかもしれないと思った。 無意識のうちに呟いた言葉だったけれど、彼女の周りにいた彼らにはしっかりと届いていて、彼らは途端に騒ぎ出した。 『成仏するまでじゃない?』 『だから、君ならここから出て行けるって』 『私たちにサプレスは危ないわよ』 『でも成仏ってどうすれば出来る?』 『分かるならとっくにしてるよ』 彼らもまた、自分と同じ囚われの身だった。 口々に騒ぐ彼らに、アズリアは溜息を吐く。 『アズリアは誰を待っているんだ?』 一人が聞いて、アズリアはぱちりと瞬いて聞かれた言葉を頭の中で反復した。 誰を待っている、問われたと理解するのに三秒ほどかかった。 そして答えを出すのにまた、随分と時間をかけた気がする。 「待つ、か」 そう、たしかに自分は待っている、と。 湖を見上げて思ったのは間違いない。 アズリアは待っていた、彼が自分を呼ぶのを。 約束した、いつか自分の名前を呼べと。 その時に自分は、必ずそれに応えるからと。 長い時間を一人で生きるのは寂しいだろうから、アイツの周りはきっといつまでたっても騒がしいだろうけど、それでも寂しくてどうしようもなくなったら。 その時は遠慮せずに呼べばいい。 そう自分は彼と約束したではないか。 「待って、いたんだな」 いつか呼ばれる日が来るかもしれないから、ずっとここで待っていたのか。 転生の輪に入らず、置いてきたアイツの傍に今度は共にいられるように。 重くて仕方ないその腕を必死に持ち上げて、手を開いて。 呼ばれはしなかった、声は聞こえなかった。 けれどどうしてか、そこに垂れてきているのだ。 「お前は釣りが好きだな」 湖から垂れた釣り糸の先に針は無く、魚など釣れようはずもない。 必死に伸ばした手をその釣り糸に絡ませて、そうして彼女は最初で最後、この世界で立ち上がった。 青空を雲が漂うその日、湖の岸でレックスはいつもと同じように釣り糸を垂らしていた。 大校長と言いつつ、その実は連合の切り札である彼の出来る事というのはとても少ない。 下手に何かしようものなら、それが要らぬ火種になる可能性だってあるのだ。 そんな彼にとって最も大切な仕事というのが、旧世界から続く者としてこの世界を見守っていくこと。 それは現在、釣りをしながら進行中である。 「やった、釣れましたよ。 兄様!」 そんなレックスの隣で同じく釣り糸を垂らすのは、彼を先生と呼び慕う調停召喚師、フォルスとその響友のスピネルだ。 最初の頃はなかなかうまくいかなかった彼の釣りの腕前は、気づけばものの数分でバケツから魚が溢れそうになるほどまで上達していた。 「釣りに関しては、もう君の方が先生って感じだね」 「そんなことないですよ」 数百年ぶりの生徒の成長に微笑むレックスに、フォルスはぶんぶんと首を振る。 首を振った彼の視線の先は、レックスのすぐ後ろに積まれた物に向けられた。 「まだまだ先生には遠く及ばないです」 「……これに追いつくのは、とても大変そうです」 「あはは。 いやはや、そんな」 積み上げられた宝箱の山は、初めてフォルスとここで出会った時と変わらない。 相変わらず、釣れるのは魚よりも宝箱ばかりだ。 追いつく、と言いながらもフォルスとスピネルの顔には苦笑いが浮かんでいて、レックスもまた困ったように笑った。 「見つけた」 溜息交じりの声が聞こえて、三人が振り返った先には彼らを見下ろす一人の女性。 フォルスはその姿を視界に収めるや、イェンファ、と親しげに女性の名を呼んだ。 「仕事中にも関わらず釣りだなんて、いい度胸ね」 「あ、あはは」 「あはは、じゃないわよ。 笑って誤魔化さないの」 「ぁうぅ……」 厳しく言い放つイェンファにフォルスもスピネルも返す言葉が無い。 一応、彼らも彼らで仕事に影響が無いようにしたうえでここに来ているのだが、それでも仕事中であることに変わりは無く。 見つかってしまえばサボりを見られたも同然なので、非常に心苦しくなるのだ。 「「ごめんなさい」」 だから二人揃って素直に頭を下げる。 見つからなければ何食わぬ顔でいる辺り油断ならないが、見つかってしまえば反省も早い。 そして、二人とそれなりに長く付き合っている彼女にとしても、素直に反省されればそれ以上は言う気にもならず。 「……まあいいわ。 これが貴方たちなりの息抜きなのも、わかってるし」 なまじ彼らを知っている分、思わず擁護の言葉が続いてしまうのだから、彼女も毒されているのだろう。 それは彼らの周りにいる者たちに共通する事だ。 そんな彼らのやり取りを、レックスは湖へと釣り糸を投げ入れながら聞いていた。 (懐かしいなぁ) ひどく懐古的な気持ちになって、緩く目を閉じる。 目を閉じれば今でも鮮明に、この島で過ごした日々が思い出となって甦る。 始まりは偶然で、最初は小さな学校だった。 校舎も満足な机も無い、それでもたくさんの人に見守られた温かな学校だった。 それが気づけば、たくさんの建物が立ち並び、立派な学校が出来上がって。 自分は大校長などと呼ばれるようになっていた。 (本当に、懐かしい) 懐かしすぎて、一人になってからは思い出さないようにとしていた思い出に、泣きたくなった。 (俺も、見つかっては怒られたっけ) 怒られた理由はフォルスと違って、いつもいつも彼女に「お前には危機感が無さすぎる!」と叱られた。 島では無色の派閥との争いが頻発するようになって、そんな中で見回りの最中、ふらりと立ち寄った海岸でよく釣りをしていた。 常に緊迫した日々で、今まで日常的に行って来たことを行うことで、少しでも冷静さを保ちたかったのだろう。 そんなレックスとそれに付き合う生徒を見つけるのは、決まって彼女だった。 冷静さを保とうと必死になる自分に喝を入れてくれたのは、彼女。 『背中は任せたぞ』 戦いの中で彼女にそう言われることは、最大限の信頼の証だった。 そして自分もまた、いつだって彼女に背中を預けた。 一度は交えた剣を、並んで一つに向けるようになって。 自分の道を真っ直ぐに進もうとしていた彼を支えた仲間たちの中にいつも彼女はいてくれた。 (会いたい、な) 今の自分にその仲間はいない。 皆、逝ってしまった。 それは仕方ない事だ、分かっていて自分は見守ることを選んだのだから。 それでも、不意に思い出した思い出に寂しさは拭えなくて。 今の日々を冷たいとは思わないけど、どうしようもなくあの温かさに焦がれてしまうのもまた事実で。 『レックス』 見守ると決めた自分に言ってくれた、彼女の言葉。 『これからお前は、お前らしくも無く我慢することも増えるだろうな』 誰かを守りたくても、その力を振るうことを許されないことは確かにあった。 それが歯がゆくて、何度もその我慢を振り切ったりもしたけど。 『いつか、我慢できなくなったら。 どうしようもなく、我慢できなくなってしまったら』 それは彼女も分かっていたんだろう。 彼女の言った我慢はそれじゃなくて。 『その時は、私を呼べ』 一人になってしまっても、大丈夫だから。 そう皆を見送って、彼女も見送って、叫びだしたい気持ちを何度も我慢した。 『今度は最後まで、お前と共にいくから』 我慢して、ずっと我慢していた。 でももう、泣きたくなってしまって。 涙を堪えるのも、大変だから。 (もういいかい、アズリア) 我慢できないんだ、もう限界なんだ。 この世界は冷たくないけど、でもやっぱり寂しいんだ。 傍に君が、いないことが。 「アズリア」 呼んでもいいかい、なんて確認することも出来ないけど。 それでももし、風の一つでも答えてくれたなら、自分は彼女が傍にいるんだと錯覚できるから。 垂らした釣り糸がくんっ、と引かれた。 何かが釣り糸を掴んでいる、そんな偶然でもレックスは彼女が答えてくれたのかと、自分を錯覚させようとして。 「っ、幽霊という割に水には濡れるのか。 使い勝手がいいのか分からんな」 文句を言いながら湖から顔を出した彼女は、釣竿を手から落としたレックスを見上げて悪戯に笑った。 「ようやく呼んだな。 お前にしては頑張ったじゃないか、レックス」 「……アズリア、なの? 本当に……」 「ああ、そうだ。 何もかも忘れて、ただ一心に目の前にいる彼女を抱きしめて、声をあげた。 「アズリア、アズリア!」 「よく我慢したな、レックス。 よく、頑張った」 「ッアズリアぁ」 涙を流すのは、何百年ぶりだろう。 ずっと我慢して、泣くのを耐えてきた。 泣いてしまえばきっと、自分は叶わない願いを叫んでしまうから。 自分を抱きしめて泣き出すレックスの背中に手を回して、アズリアは優しくその背中を撫でてやる。 きっと泣くこともなかったのだろうと、聞かずとも分かっていた。 「もう、置いていかないから。 今度はずっとお前と共にいくから、なあ、レックス」 「っああ! ああっ……」 約束しただろう、微笑むアズリアにレックスは泣きながら、何度も頷き返した。 『約束だ、レックス』 これからはもう、一人じゃないから。

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